ぷりずむー1602号

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昨年、トランプ候補が当選を決めた翌日11月10日付けの朝日新聞「天声人語」は、「民主主義は完璧でないことを教えてくれた選挙だった」という言葉で結ばれていた。その指摘は朝日新聞が代表してきた、いわゆる知的エリートの正直な失望の表明ではあるけれど、進行しつつある時代状況の核心を大きくはずしている。それは、民主主義という理念と実現するための政治システムに対する無知を表明していると言える▼国民国家という枠組みが政治の舞台となって以後、代議制は不可避となった。だから選挙が民主主義そのものだとの思い込みは根強い。けれど、日常生活からはるか遠いそんな『民主主義』を、人々は概ね無関心で受け入れている。個人生活が危機に直面する時、憤りが湧き上がるが、やがて、深い失望に替わる。トランプを選んだアメリカの人々の底知れぬ深い失望にこそ、時代の核心はあったのだ▼歴史に学ぶ謙虚さを持たない安倍首相も、国民主権と民主主義を混同してはばからない一人だ。主権という言葉に焼きついたドス黒い支配の歴史を学ぶ気概もなく、政権延命にだけ忙しい民主主義は万人の人権が等しく尊重される政治理念。その実現の核心は人々の暮らしの現場での闘いこそある。                (M)

 安倍や橋下をみていて、平気で嘘をつける人の怖さと愚かさと、政治家というものの闇を感じる。真珠湾に行って戦争の本質や責任に深く入り込まず「不戦の誓い」だ、「寛容の精神」だと、美辞麗句を平気で言える。思えば政治家とはそういうものだと思う▼平気で嘘が言えたり暴力的弾圧ができたりするのはなぜかと考えると、「自分が嘘・空虚な美辞麗句を吐いている」という感覚がなく、脳の中で自分の都合のいいように認識を曲げてしまっているからだ。政治とは権力闘争で、勝たねば意味はない、そのために何をしてもよい、目的のためには嘘もデマも謀略も買収も恫喝もOK、という考えを持っているからだ。さらにその背景には、人としての倫理よりも自分が優位に立つことを優先する思考があり、自分に本当の自信がなく、人を信じられず、金や権力(主流秩序)にとらわれ、非暴力の在り方を知らず、少しの異論を自分への攻撃と思い、自分をよく見せなくては不安だというような感覚があるのだろう▼ナイーブな人なら、嘘をついた時に罪悪感や恥を感じたり動揺があるものだが、安倍などの政治家は平気で大胆に堂々と嘘をつけるのだから、サイコパスや反社会性人格障害と近い、ある種の病気状態といえるかもしれない。政治の闘争路線について暴力をどう評価するかは、時代によるとは思う。しかし、今、言えることは、今は非暴力こそが、「敵・主流秩序との対抗の路線」ということだ。だが、こうした政治家は自分を病気と認識しないから、嘘を平気で言い続けるだろう。                      (H)

将棋の三浦弘行九段が、対局中に将棋ソフトをカンニングしたのではないかとの疑いがかけられ、出場停止処分を受けた。その後疑いが晴れたとはいえ、この事件はトップクラスの棋士たちですら、ソフトの進歩に脅威を感じていることを示している▼ホーキング博士は、私たち人間が目覚めた時にネズミの看守たちによって牢獄に入れられていたとしたら、そのネズミを倒して獄から出ていくだろう、彼らとてそうだ、と、AIが進歩して人間の手に負えない日がくることに対して警鐘を鳴らしている▼浦沢直樹は作品の『プルート』において、ロボットは人を殺すことができるかという深刻なテーマについて掘り下げた。もともと『プルート』は、手塚治虫の『鉄腕アトム』シリーズの中の一話をリメイクしたものだが、手塚治虫がロボットの夢を語ったのに対し、現代の浦沢直樹はロボットのもつ危険性についてとりあげた。そして、彼の答えは「できる」だった▼米軍の巡航ミサイルや無人攻撃機は、すでに多くの人間を殺している。これらの兵器は、半自動だからロボットとまでは言えないが、その延長上に、ロボットが人を殺す日が来ることを思わせる。米軍はAIやロボットの研究に一番熱心である。         (や)

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