治安裁判とイスラエルの人権弁護士
イスラエル在住 ガリコ・美恵子
ナーデル・ナセル(23)が逮捕されて1年が経つ。2015年9月、東エルサレム・シルワン村のアムード地区で、入植者専用バスが炎上した。地元の若者らが走行中のバスに投石し、モロトフ弾(火炎瓶)を投げたのだ。バスは回送車だったので、運転手は瞬時にバスを止めて飛び降り、怪我もなかった。
イ警察は、「計画的テロだ」として、犯人逮捕のためにアムード村に侵攻、若者5人を逮捕した。そのうちのひとりであるナーデルは、私の友人=マラームの弟だ。事件発生は午後7時頃だったが、ナーデルはその日、隣人をハダッサ病院に自家用車で送るため午後5時半に家を出て、現場にいなかった。胃の手術が終わり、ナーデルが自宅に戻ったのは夜半だったという。
ナーデルの父は、パレスチナ人弁護士に依頼して裁判に挑んだが、第1審で懲役7年が言い渡された。父は、「息子は殺人を犯したわけではない。誰かに怪我を負わせたのでもない。俺の息子を返してくれ!」と怒ったが、弁護士は「自分では太刀打ちできない。イスラエル人の弁護士を探してくれ」と言って頭を垂れたという。
マラーム一家は、イスラエル人で人権弁護士として有名なレア・ツェメルを雇い、上訴した。弁護費用は、パレスチナ人弁護士の数倍、5万シェーケル(約170万円)だった。
レア・ツェメルは、ミシェル・ワルシャウスキーの顧問弁護士であり、妻である。ミシェル・ワルシャウスキーは、AIC(オータナティブ・インフォーメーション・センター)創設者、マツペン(1960年代から1990年初期まで活躍したイスラエルの左派活動団体)元メンバーであり、『国境にて』(人民新聞編集員=脇浜義明氏翻訳・つげ書房)の著者だ。
5月1日、私は東エルサレムにある地方裁判所で行われた公判に、ナセル一家とともに傍聴に出かけた。ガザ地区と西岸地区に住むパレスチナ人に対する裁判は、イスラエルの軍法で裁かれるため、西岸地区にあるイスラエル軍刑務所で行われる。一方、イスラエル国内に住むパレスチナ人(アラブ・イスラエリー48)と東エルサレムに住むパレスチナ人(市民権はないが、住民権をもつ)は、一般の刑法で裁かれるため、イスラエルの裁判所で行われる。
両手両足を重い鎖で繋がれたナーデルが、両脇を警察官に固められて法廷に現れた。マラームが逮捕後に生まれた子どもを見せようと四女を高く挙げ、「生まれたわよ!」と言うと、ナーデルは腰掛けながらニコニコして「可愛いね」と答えた。「こっちは日本人の友達よ、あなたのことを日本の新聞に書きたいんですって」。私がナーデルに手を振ると、笑顔を返してくれた。彼に会うのは初めてだったが、優しい笑顔の好青年という印象を受けた。警察官が会話を禁じたので、皆、押し黙った。
拷問による別件逮捕
その日の公判で無罪判決は出なかった。私は理由がわからなかったので、次回裁判の準備に取りかかるレアに「質問がある」と伝えると、名刺をくれた。「金曜日に事務所に来い」という。
東エルサレムのシェイク・ジャラ地区にあるレアの事務所を訪問した。彼女に弁護を頼みに来ているのはほとんどパレスチナ人で、行列ができている。「私はナーデルの知人で、彼の裁判について詳しく知りたくて来ました。あなたのことは、この本に書かれています。あなたのような有能な弁護士が、なぜ無罪を勝ち取れないのか、教えて欲しい」。日本語版の『国境にて』を見せると、彼女は、夫のワルシャウスキーに電話をした。「『国境にて』が日本語になっているわよ!」。彼女は助手に本の表紙をコピーするように言いつけ、裁判ファイルを開いて私に向きあった。
「ナーデル・ナセル・ファイル」は、厚みが18㌢もあった。そこには、ナーデルと仲間が携帯電話で交わした会話が記録され、ヘブライ語に翻訳されていた。通話相手・日付・時刻が、全て記録されている。シャバク(秘密警察)が、携帯電話会社から取り寄せたそうだ。レアは、バスが炎上した日、ナーデルが仲間と交わした会話を読み上げた。
仲間:「ナーデル、みんなお前を待ってるんだ。来いよ」ナーデル:「俺は行けない。病院まで運転しなければならなくなった。お前たちだけでやるんだ」と記録されている。
無実は明らかだ。ところがシャバクは、彼を釈放するどころか、拷問で過去の事件を自白させ、起訴したのだった。
ナーデルの仲間がシャバクに自白した内容は、「軍への投石やモロトフ投下にあたって、年長のナーデルが指揮をとった」。「x月x日ナーデルの自白=『モロトフを作る材料をガソリンスタンドで買った』」など、延々と続いていた。シャバクは、ナーデルたちを個別に尋問。繰り返される拷問に耐えられず、ナーデルも仲間も自白に追い込まれ、国境警察の車にモロトフを投げ、投石したという「過去の犯罪」が浮き彫りにされた。
3年半の実刑
レアの事務所を出て、マラームを訪ねた。ナーデルの無実を疑っていなかった私は、苦い思いでレアのファイルのことを話すと、意外にもマラームは概要をすでに知っていた。短時間だが、定期的に刑務所から家族に電話をかけることが許されており、その電話で知ったのだという。
「『刑務所で拷問され、発狂しそうになって吐かされた』と言ってたわ。彼の友人は軍警察に殺された。家屋撤去のために村に侵攻してきた軍に投石して撃たれたの。家を壊す時、何百人もの警察官や兵士が道路を封鎖して、学校にも行けない。別の友人は軍に家を奪われ、ユダヤ人入植者が引っ越してきた。軍は地区の住民を常時監視し、道で身分証明書の確認や身体検査したり、抗議行動の度に催涙弾やゴム弾を撃ちに来る。夜も昼も眠れないなかで育つと、『仕返ししたい』という欲求に駈られる若者がでてくる。人生が占領軍に台無しにされているという感情は、誰でも持ってるけど、軍に報復しようという勇気は、なかなかわかない。弟は心の優しいいい子で、周囲で人たちが軍に泣かされているのを、黙ってみていられなかったのよ」と、ため息をついた。
ユダヤ人がパレスチナ人に暴力をふるうことは多々ある。しかし、確たる証拠映像でもなければ、逮捕されることはない。昨年、パレスチナ人とイ軍との衝突が激化する中、イスラエル国会で民族差別的な法律が成立した。「投石に対して3年以上20年以下の禁固刑を課し、さらに投石者の両親の健康保険や社会保障を奪うことも可能」という厳罰法だ。裁判では、母国語で法律を熟知し弁論できるイスラエル人弁護士が圧倒的に有利だ。弁護士がパレスチナ人の場合、差別的な態度をとる裁判官も多い。
11月6日、ナーデルに対する判決が出た。3年半の懲役である。民族差別のあるイスラエルで、レアは、最も軽い判決を勝ち取った。ナーデルのように占領軍に怒り、行動し、捕まって、刑務所で青春をおくる若者は、あとを断たない。
(注釈)シャバク=ヘブライ語の“シェルート・ハ・ビタホン・ハ・クラリ”の頭文字をとったもの。Shin Bet とも呼ばれる。姿の見えない監視官”または“イスラエル国内秘密警察。