鍵を握る反米的民衆の政治参加
ウォールデン・ベロー(元フィリピン国会議員、京都大学東南アジア研究所の客員研究員)/10月31日「Zネットコメンタリー」
翻訳・脇浜義明
大統領になって4カ月目のロドリゴ・ドゥテルテは、ドナルド・トランプに匹敵するお騒がせ屋として世界舞台に登場。彼の麻薬との闘いは麻薬中毒者や麻薬売人を超法規的に殺害するために、フランスのテレビは彼に「連続殺人犯」という肩書を与えた。中国訪問中に行ったオバマ大統領への「くそったれ」発言、米国への「絶縁」宣言、中国とロシアとの「提携」宣言は、東アジア地域の政権をびっくりさせ、困惑させた。
特に困惑したのは、米国との盟友関係を強化し、中国を包囲し、中国の海洋進出を制限しようとする日米戦略でフィリピンを重要な要素と考えている日本の安倍首相であった。今週のドゥテルテ日本訪問は、安倍を安心させることはなかった。ドゥテルテとの会議の後、日本政府の外交政策トップは、ドゥテルテは米国に対して「不必要に挑戦的」だった、と私に語った。
政治的野獣=ドゥテルテの特徴
ドゥテルテは何をしようとし、なぜフィリピンの隣人諸国が警戒しているのか。
大統領となったこのややこしい政治的野獣を説明せよと言われれば、私はたぶん以下の特徴を強調するだろう。
まず、彼の成育史と心理を過小評価してはならない。1960年代マニラで送った学生時代に盛んだった反米感情は、今も持ち続けている。非常に激し易い性格で、その米国が彼の麻薬との闘いの特徴である超法規的殺人を批判したので、それを個人攻撃と受け取って腹を立てた。また彼は自分と国家の区別ができず、自分への批判を国家主権への攻撃と解する。ルイ14世の「朕は国家なり」という言葉が、彼の自分とフィリピン国の関係の捉え方を表現していると思われる。
彼が中国に惹かれる理由は中国の権威主義体制が彼のワンマン的性格にぴったりだということも指摘したい。国民の個人的権利に対する国家の姿勢などの内政問題は、米国からとやかく言われる筋合いのものではない、と米国に文句を言っている姿は、ドゥテルテの心を魅了する。この中国政府に対する政治心理学的親近性も、過小評価してはならない。
第2に、彼は弁護士であるので、米国とフィリピンの軍事条約にもかかわらず、米国は南シナ海のフィリピンの領土的主張を支援し擁護する法的な義務を負わないことを知っている。実際米国は、国家主権問題に関しては「介入しない」と公言している。
第三に、2014年に締結された米比防衛協力強化協定(EDCA)は、フィリピンを大国間対立の一方に立たせただけで、その代償は弱小パートナーのフィリピンが負い、その恩恵は何一つないことを、彼が正しく理解している点も指摘したい。彼のイデオロギー的発言趣味(怒鳴っていないときはイデオロギー的発言をする)にもかかわらず、外交政策的には「リアリスト」で、米国の戦略目的は中国封じ込めであることを知っていて、米国の「慈悲深い大国」レトリックの欺瞞性を見抜き、米国・フィリピン間の利益の一致論には我慢ならないのだ。
彼のプラグマティックな性格は、米国との防衛協定についての曖昧な発言に表れている。たぶんフィリピン独自の政策を遂行し、米国と距離を置く決意をしているかもしれないが、今すぐに米国との防衛協定を破棄することはしないだろう。しかし、事実上の棚上げにすることはあるかもしれない。
戦後安保体制の3大前提を覆す
いずれにしても、彼が米国と距離を置いて中国に接近する動機が何であれ、彼の行動は第二次世界大戦後のアジア・太平洋地域安全保障体制に大きな衝撃を与えていることは確かである。その安全保障体制には3つの基本的前提があった。
第1の前提は、東アジア諸国は自力では地域の平和と安定体制を築く能力がないという前提。
第2の前提は、NATOのような多元的システムや敵対国も含めた集団的安全保障協定ではなく、米国の軍事力と米国主導の日・韓・比・豪らとの2国間同盟が東アジア地域の平和と安定を守るという前提。
第3の前提は、米国とアジア・太平洋諸国は利益が一致していて、米国は強制する大国ではなく、慈悲深い大国であるという前提。
意識しているかどうかはともかく、ドゥテルテは米比関係だけでなく東アジア太平洋地域全体の安全保障体制に異議を挟んでいるのである。だから、日本、韓国、フィリピン、その他この安全保障体制に関わっている東南アジア諸国のエリートがドゥテルテに頭を痛めているのだ。その点で彼は不安定要素である。
他方、私を含む政治的エリートでない多くの人間にとっては、彼は、冷戦の残存物である安全保障体制という氷河構造を溶かし、米国や米国に従属する国々のエリートが促進する不安定な力の均衡戦略に依存しない、新しい地域安定体制を切り開くかもしれない可能性を表している。
米国の反応とドゥテルテのオプション
とはいえ、基本的な問題がある。ドゥテルテの行動は、単なるはったりの空威張りではないのか。もしそうでないとしても、彼の米国からの離別宣言は、あまり当てにできないワンマンショーではないのか。それとも、計算され継続的に実行される政策なのか。また、米国から離れるのはよいが、それと同時にフィリピンが中国の従属国にならないようにする戦略を用意しているのか。それと、言うまでもないが、もしドゥテルテが本気であると判断した場合、米国がどんな行動を採るかも考慮しなければならない。
米国とフィリピンの間には、植民時代に遡る緊密な諜報機関の連携がある。米国は独裁者フェルディナンド・マルコスを支援したが、彼が厄介者になると、彼を政権の座から追い払う運動を支援した。米国政府はフィリピンを失うばかりでなく、第二次大戦後以来維持してきた米主導の地域安全保障体制が著しく損なわれることになることを知っている。だから、ドゥテルテを外交的に孤立させようとする手を打つだろう。だからドゥテルテは、アセアン諸国や韓国や日本のような米国のコアな同盟国と友好関係を維持し深めようと必死なのだ。たとえ新しい東アジア地域平和と安全パラダイム構築に積極的に参加してもらえなくても、せめて中立を保ってもらおうとする外交戦略なのだろう。
しかし、米国の反応はそんな生易しいものではないだろう。考えられる攻勢は、フィリピン国内を不安定化させることだ。ヒラリー・クリントンが大統領になったら、きっとそういう攻撃を仕掛けるだろう。ドゥテルテはワンマンショーでなく、批判的民衆を自分の背後に陣取らせる必要がある。批判的民衆も反米であるから、彼らに批判的創造的に政治参加させる仕組みを造れば、米国CIAお得意の内乱扇動は功を奏しないだろう。
また、現在ドゥテルテを支持している人々も、彼の見境ない中国寄りを、主人を米国から中国に変えただけと考え、あるいはそういうプロパガンダの影響を受けて、彼から離れることも予想される。そうならないためには、中国に対してもっと押しの強い態度をとる必要がある。例えば、フィリピンから米軍の存在を段階的に減らすから中国も南シナ海の軍事化を減らせと要求してはどうか。
かなりの数の民族主義者もドゥテルテ支持だが、彼が国内治安で殺人を使って法と秩序の貫徹を実行していることを嫌悪している。彼らを味方に留めておくためには、殺人だけはやめる必要があるだろう。ロドリゴ・ドゥテルテは旋風を巻き起こした。旋風が今後も強くなるか衰えていくかは、わからない。それは彼自身のあり方次第だ。一つだけはっきりしているのは、ワンマンショーだけでは必ず失敗するということだ。