倉庫に放っておいた荷物を整理したら、クモの巣とホコリにまみれたガラクタがいろいろ出てきた。ガラクタと言ったら申し訳ないが、昆虫ケースや石ころなど、子どもが小さいころに「これは取っておく!」というので、残しておいたものだ。16歳になった彼に聞くと、「もういらない。何を思って取っておいたのか、まったく覚えてない」というので処分することにした▼たしかに、子どものころに熱中して大事にしていたものが、いつのまにかガラクタのようになっていることってあるよな、と思う。子どものときにかぎらないかもしれない。ものにはきっと、人の魂みたいなものが宿ることがあって、それが抜けてしまうと、寒々としたモノ、ガラクタになってしまう▼ものは「物」でもあり、もののけの「もの」でもあり、「者」でもある。妖怪には「付喪神」というのがいて、100年を越えて使った道具に宿るという。いまの社会のおかしさのひとつは、ものを物質としてのみ扱って、その消費速度ばかりを上げているために、ガラクタばかりが増えていることだろう。また、ものと切り離された魂は、荒ぶりながら這いまわっているようにも感じる。それはまた、人を労働力として使う場合にも同じことは言えるのだろう。ものも人も、ただの「物質」として扱ってはならないのだ。 (K)