【現地報告】香港 若者による新たな運動が生み出した大きな成果

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「雨傘運動」後初の立法会選挙を振り返って

香港中文大学 小出

 4年に一度の立法会議員選挙が終わった。「雨傘運動」の後、初めての立法会選挙だけに、内外の注目度も高かった。特に「雨傘」の後を受けて、多くの青年が新たにいくつかの政党を結成し、立法会選挙に立候補したからだ。また、過去最高の投票率(58・28%)を記録したことでも、関心の高さが伺えると思う。
 従来、立法会の図式は「親中国派」と「民主派」の2つで、ある意味わかりやすかった。しかし今回からは、「排外本土派(熱血公民、青年新政)」と「自決派(香港衆志、土地正義聯盟など)」とで4つに増えた。しかも、日本のメディアによっては、排外本土派と自決派をひとくくりにしたり、自決派を民主派に入れたりと、その扱いに違いもあった。
 それだけにわかりにくかった面もあるが、〝排外〟と名がつくグループは、中国からの買い出し客への抗議行動から始まっている点と、「香港民族論」や「住民投票」への考え方の違いから分けられている。また、選挙への出馬を表明したものの、排外本土派の中には選挙管理委員会によって立候補が却下された候補もあり、別に抗議行動が起き裁判になるなど、問題となっていた。
 毎回、民主派全体で7割もの得票率があるが、議席は3割程度にとどまっていた。原因の一つは、親中国派は懇意にしている支持者に動員をかけ、誰に何票程度入れるかを指示して、最低投票数で死票が少ないことがある。しかし、民主派は政策の違いについて有権者に選択肢を増やすとの理由で多くの立候補者が出て、死票が多かったことがあげられる。
 今回は、オキュパイ・セントラルの呼びかけ人でもある香港大学の戴耀廷教授の提唱で「Wise Voter(選民起義)」という運動が、この問題の解決に向け一翼を担った。選挙期間中、毎週世論調査を行い、投票後の当落の可能性について順位をつけ、コメントをつけていった。実際に各メディアの集計する支持率などとも合わせ、いくつかの民主派の候補が選挙期間中に立候補を取り下げるなどし、死票を減らす身を切る努力もなされた。そして、それらの調査に基づき、選挙当日も出口調査などを集計し、現段階での予想と当落可能性をネット・メディアを中心に発表していった。
 これらがどれほど影響を持ったかは検証のしようがないが、それでも超級区議会枠(職能別で区議会議員から立法会議員を選出するもの、定員5名)では民主派が3議席を獲得するなど、一定の成果はあったのではないかと推察できる。もともと、職能別議員は、職業を持っている人間が業界団体などから立候補している人に投票し、その業界の代表を選ぶ仕組みである。

親中派の強行採決阻止できる議席確保

 しかし、職業を持つ人間が居住区の選挙区と業界団体と2票投じるのに対し、パートや家庭主婦などは1票しかないことが問題視され、その是正策として、60名だった定員を70名に増やし、人口の増えた選挙区に5名を割り振り、残り5名を区議会議員から職業を持たない人すべてが2票投じるよう制度変更されてきた。親中国派も工聯會の大物議員、王國興さんを担ぎ出すなどしたが、及ばず落選。彼の議員事務所前では、学生たちが徹夜で彼の落選祝賀会を開き、その様子はネットを通じて配信された。
 香港の選挙戦では、候補者が各テレビ局などが主催する討論会で激しく意見を戦わせる。また、そこでの発言が選挙戦に大きな影響を与えることがよくある。例えば、日本でも少しは知られている「長毛(ロングヘアー)」こと梁國雄さんが初めて選挙戦に出た時も、彼の身なりを見て嫌っていた人たちも論戦で彼に対するイメージを変え、急に支持率を伸ばし、当選につながったこともあった。今回も、「雨傘」の時の警察とぶつかり合った記憶からか、選挙戦が始まった当時、低い支持率だった自決派や排外本土派も、最後の2週間で、支持率を大きく伸ばした。
 選挙結果は、すでに日本でも報じられていると思うが、23歳で最年少議員に当選している。その当選者、羅冠聰さんは、親中派の中学校から大学に編入し、學聯の秘書長(書記長)から「雨傘」を経て、Joshua黄さんらと「香港衆志」を結成。香港島選挙区で出馬し、得票数約5万票、得票率でも13・49%で、親中派の民建聯や工聯會をも上回った。
 会派で分ければ、親中国派が3議席を減らして40議席、民主派・自決派・排外本土派が29議席、中間派1議席で、合計70議席となった。よって、親中派が強行採決をしようとしても定足数上、阻止に必要な議席は確保できたことになる。
 また、工黨(労働党)の李卓人さん、民協の馮檢基さん、民主党のエミリー劉慧卿さん、アルバート何俊仁さん、人民力量の陳偉業さんなど、イギリス時代に初の直接選挙を勝ち取り、若い青年として政治の世界に飛び込んだ人々の引退・落選も目立ち、世代交代と新たな時代を印象付けた。

街づくり運動を基盤にした市民ネットワークの発展

 これからの新たな流れを考えるうえで特記すべきは、朱凱廸さんのトップ当選(8万4千票あまり、第2位当選者に1万4千票も差をつけた)だろう。彼は地元の中立紙「明報」の記者。利東街保存運動、クィーンズピア保存運動、高速鉄道立ち退き反対運動など、返還後の香港での社会運動の中でも、コミュニティーとしての街づくりと農業にこだわってきた人だ。高速鉄道建設に伴う農家の移転問題では、土地収用を都合よく適用しようとする開発業者とそれに結託する新界地区が植民地になる前から土地を所有する地主らと背後にいる暴力団を批判してきた。
 彼が4月に選挙運動の打ち合わせ会を初めて開いたとき、本人も含め当選の可能性は低いとみていた。しかし、「食と農」にこだわり、土地は金もうけのためではなく、そこに暮らす全ての人のためのものと、街づくり運動から発展した市民のネットが形になった。新界の地主と暴力団のつながり、郷議局などの既得利権団体や鉄道など独占企業体への批判を通し、その〝談合政治〟のようなやり方を快く思っていない人たちから旧来の民主派の枠を超えた支持・関心があった。
 ただ、既得権を持つ人は彼の当選を嫌い、当選後、朱さんは数々の脅迫を受け、しばらく家に帰れない状態が続いていた。今現在、24時間警察の保護下にある。それでも、これから先4年間、植民地時代の影を引きずる構図に決別できる一歩になるか、勝負どころだと思う。
 一つ、残念な点を挙げれば、女性議員の比率は毎回、居住区の選挙区で増えてきたが、職能別議席でゼロになった点だ。過去2004年・08年は6名(20%)、12年は9名(25%)と選挙区で順調に増やしてきたが、元から女性の少ない職能別議席を含む全議員数では、04年が18・3%、08年が16・6%、12年では15・7%と減ってきていた。今回は、九龍西で当選議員がすべて女性の地区もあり、11名(31%)にもなった。しかし、職能別議席(超級区議会の1名を除く)から女性は選ばれなかったため、17%にまで落ちる。業界をとりまとめ、利益を代表するような立場で、女性が出てこられないのは、やはり残念である。
 香港は長い植民地時代の間、粘り強く頑張り、経済の自由を手にし、一定の民主化を成し遂げた。香港人には、自分たちの力でやってきたという自負は強い。祖国はなくとも、自らを超国家的存在と考え、国の枠組みを超えて商売ができることこそ、経済の活力と理解してきた。返還が決まったときも、祖国がほしかったのではない。自由がなく運命に翻弄されてきた人たちにとって、自分の運命を自分で決める自由・自立がほしかったのだ。
 そういう意味で、今回の選挙の結果は、植民地時代の枠組みを引きずる「民主派vs親中国派」という枠組みから、返還後、街づくりを中心に発展してきた若い人たちの新たな運動の成果が一つ形になったものとして評価したい。特に先述の朱さんは、土地を巡る汚職追及に親中国派の一部とも協力には前向きだ。そして、中国政府と「愛国比べ」をしてきた民主派がまた新たに生まれかわるきっかけとなってほしい。

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