城﨑勉さんを救援する会事務局長 山中幸男
9月21日より、城﨑勉さんの裁判が始まります。この裁判は、公安事件としては、オウム事件以外では初めての裁判員裁判となります。毎週、水・土・日・祭日を除き、連日法廷が開かれ、論告求刑の11月1日まで、計21回の公判が予定されています。
裁判員裁判は、「公判前整理手続き」なるもので争点や証拠が予め絞られて短期間の集中審理となり、徹底した真相解明にはほど遠いものです。また、被告・弁護団にとっては、その防御権が著しく奪われる制度であります。
城﨑勉さんは、赤軍派のM作戦で逮捕され、府中刑務所で服役中、1977年9月の日本赤軍による日航機ハイジャック闘争(ダッカ事件)で奪還指名され、超法規的措置で釈放されました。
1986年5月、ジャカルタで米国、日本大使館が手製金属砲弾で攻撃され、カナダ大使館前の車が爆破されました。そして「反帝国主義国際旅団」名の声明が、東京、ロンドン、パリ、ベイルートなどの報道機関へ送られました(ジャカルタ事件)。
城﨑さんは、この件で国際指名手配され、1996年9月ネパールでFBIに拘束、アメリカ合衆国へ連行されました。米国大使館への攻撃容疑で起訴され、裁判で30年の刑を受けましたが、刑期を短縮されて昨年1月に釈放されました。
その後2月に日本へ強制送還、同じジャカルタ事件の日本大使館への容疑で逮捕され、「殺人未遂」「偽造有印公文書行使」の2件で起訴されました。
これら城﨑さんの容疑は、「偽造有印公文書行使」を除いて、同じ事件として日本大使館か米国大使館かの違いでしかなく、すでにアメリカ合衆国の裁判で裁かれ、18年間服役してきたものです。
しかし、米での裁判で採用された目撃証言も証拠とされるものも、確固としたものではありません。城﨑さんが何を行ったかとか、「誰とどんなことを共謀した」とかの証拠は、一切ありませんでした。
城﨑さんは「事件のあった年の2月、レバノンで近くで破裂した爆弾の影響で眼を負傷し、数カ月間視界がぼやけ、そのような行為ができるような状態ではなかった」と言っています。
日本の司法は、「同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問われない」という『一事不再理』の憲法の規定を無視しています。
曖昧な証拠で有罪とされ、18年近くを米国の刑務所で過ごした城﨑さんを、再び獄中へ送るわけにはいきません。
また、いま世界中で、ISをはじめとした行為に対し、「テロリズム」「テロリスト」として断罪する一方で、その根本にある社会の矛盾を無視し覆い隠しています。支配権力による「反テロ」キャンペーンの大合唱が叫ばれています。私たちは、この裁判がそのような「反テロキャンペーン」に使われることを許しません。
城﨑さん本人は、米国での長期受刑生活にも負けることなく元気に法廷に姿を現すと思います。支援の輪を広げましょう。
▼城﨑勉さんを救援する会(連絡先=救援連絡センター/電話・03-3591-1301)