脇浜義明
2002年、ラッマラーで、「健康・開発・情報研究所」の所長で「パレスチナ・ナショナル・イニシアチブ」のムスタファ・バルグーチさんに会って、話を聞いたことがある。
占領、入植地、占領地内のパレスチナ社会が300の孤島に分断されたアパルトヘイト、そして日々の殺害。占領地で殺害された人の対人口比を日本の人口に置き換えて二人で計算したら、数千万人になるので驚いたと記憶している。彼は医者で、貧困や病気や公衆衛生の悪化と、チェックポイントがパレスチナ人の大きな精神ストレスになっていることを語った。彼は抵抗運動について、抵抗するのは民衆だけで、パレスチナ自治政府(PA)役人は何もしない、と言った。
そういえば、彼に面会する前日、PAの役人にラッマラー市内を案内してもらっているとき、アラファトを軟禁状態において外から見張っているイスラエル戦車に、少年たちが投石するインティファーダに遭遇した。役人が「あんなことをするから事態が悪くなるのだ」と舌打ちをして不快感を表したので、私はびっくりした。それは私の記憶に強烈に残っている。「PAはイスラエルや国連のお偉方との対話を止め、民衆と対話せよ」と、バルグーチさんが言ったが、14年後の今でもあてはまる言葉だ。
そのバルグーチさんが、今年8月1日、政策・戦略研究パレスチナセンターの主催で、ラッマラーとガザで「パレスチナの大義を蘇らせる」とのテーマで話をし、そのための5つのアプローチを提起した。
(1)現場での民衆抵抗(国連とか民衆の生活とかけ離れた豪華ホテルの一室での交渉ではなく)を尊重し支援し、広げよう。それはテロではなく、国連憲章でも国際法でも認められた民衆の抵抗権だ。第一次インティファーダから学ぼう。
(2)BDS(イスラエルボイコット・脱投資・制裁)を世界的に呼びかける運動は、世界のパレスチナ人支持者が解放闘争に参加する機会にもなる。また、ディアスポラ・パレスチナ人の解放闘争の手段ともなる。この運動はイスラエルを追い詰めている。
(この非暴力抵抗運動で思い出されるのは、2002年のパレスチナ訪問でベルゼイト大学へ行ったとき、当時盛んだった「自爆攻撃」を批判して、大勢の学生を相手に大討論となったことだ。私は、批判というより、命を大切にせよと言いたかったのと、実際自爆攻撃者が権力に近づけることはなく、たいていはバスや商店街で自爆、犠牲者は同じパレスチナ人かイスラエルへの出稼ぎ労働者であることを指摘したかったのだ。学生たちは目に涙を浮かべて日頃の抑圧を語り、今ここに爆弾があったら自爆攻撃に出かけたいと叫んだ。それに、米帝国と捨て身で戦った日本人から聞く言葉じゃないと非難された。私は「特攻隊」の英雄視が虚構(フィクション)であることを説明し、南アフリカが「テロ」戦術を取っていたら世界の同情が白人政権へ移り、解放が困難だっただろうが、彼らはボイコットを世界に訴えたから、世界世論を味方につけて勝利したのだ、と反論した。南アフリカを引き合いに出した反論は、かなり効果があったことを、記憶している)。
(3)周辺部に位置するパレスチナ人に資金と支援を広げよう。彼らは貧困と失業と高い疾病率に悩んでいる。仲間を助けることも解放闘争の一つだ。
(4)パレスチナ統一の実現。指導層がファタハとハマスに分裂、両者は自己保存と官僚主義的民衆支配にばかり力を入れ、パレスチナの大義を忘れている。草の根の力でパレスチナの統一を実現しよう。統一戦線ができれば外圧に抵抗できる。
(5)パレスチナ社会のすべての人、モノ、資源を統合・活用しよう。この場合、パレスチナ社会というのは西岸地区とガザ回廊だけでなく、イスラエル内パレスチナ人や世界に散らばるディアスポラ・パレスチナ人も含む。みんなパレスチナ人の自由、権利、帰還権、イスラエルのアパルトヘイト体制解体に強い関心を持っている。
以上5つの提案で、バルグーチは眠れる獅子の解放戦線各派に立ち上がることを呼びかけた。
余談だが、バルグーチさんが関わるネット・メディア「パレスチナ・モニター」で、パレスチナ人女性水泳選手マリー・アル・アトラッシュが、参加水準に至ってないが、国際オリンピック委員会からリオ・オリンピックに参加招待されたことが載っていた。私はオリンピックの馬鹿騒ぎにうんざりしているが、彼女や仲間のパレスチナ人が、国際舞台でパレスチナを代表できる機会を喜んでいるのを知って、私もよかったと思った。彼女はアルジェリアの好意で、同国のプールで練習した。
スポーツで思い出したが、あの2002年訪問のとき、ナーブルスのナジャハ大学で、私が日本でボクシングの指導者であることを知って、学長から、食事と宿を保証するから学生にボクシング指導をしてくれと言われた。当時はまだ現役で働いていたので、そんな余裕はなかったので断った。懐かしく思い出される。