市民と科学者の内部被曝問題研究会会員 渡辺 悦司
運転停止仮処分は推進派マスコミにも強い衝撃
周知の通り、関西電力高浜原子力発電所3号機は3月9日、大津地裁の仮処分決定によって運転が停止された。裁判所の判断に前述の2月29日の4号機の送電線接続トラブルによる原子炉緊急停止が影響したかどうかは知る由もないが、このトラブルが原発・再稼働の推進を主張する支配層側のマスコミにさえ強い衝撃を与えたことは確実である。
▽日経社説―「関電は安全確保に厳しく向かい合っているか心配」
「財界の機関紙」的な存在であり、財界中枢の意図を忠実に反映するといわれる日本経済新聞が、その「社説」で「(裁判所の仮処分には)関電や国が重く受け止めるべき点も多い。高浜4号機は2月末に再稼働したが、直後に緊急停止した。大津地裁が指摘したように、関電は安全確保に厳しく向き合っているのか、心配だ」と書いたことは、注目に値する。つまり、日経新聞は間接的表現ながら、関電が「安全確保に厳しく向き合っていない」と批判したのである。
▽産経記事―関電、「現場力の劣化」「本当の危機」
産経新聞の前出記事の特徴は、日経よりもさらに踏み込んで、緊急停止トラブルのなかに関電の安全保守管理における「現場力の劣化」を見出し、しかもそれが「危機」的状況であることをストレートに指摘した点にある。つまり「原発の長期停止が現場の運転員らの技術や知見などを細らせている影響が表面化した」というのである。
もちろんこれは、「現場の運転員の技術や知見を維持するためにも、原発の再稼働を大規模に進め、日常的に原発が稼働している状態をつくり出すことによって現場力の危機を克服するべきだ」という主張を示唆するためかもしれない。だが、それにもかかわらず、関電の「現場力の劣化と危機」を公然と指摘したことの重要性は明らかだ。
関電報告書そのまま承認した規制委
政府の原子力規制委員会は、4月6日、関電の前記報告書を協議し、そのまま了承した。産経記事によれば、「田中俊一委員長は『(トラブルの内容が)電力専門の会社なのに今さらだ。社会的信頼の喪失は大きく、深刻に反省してほしい』とにがりきった表情だった」という。つまり田中委員長は、関電に対してこの程度の苦言を呈した以外は、懲罰措置はもちろん是正勧告も再調査も行うことなく、再度の再稼働作業を無条件に承認したわけだ。
規制委は、原発推進派のマスコミが今回の原子炉緊急停止トラブルに対して、「関電は安全確保に厳しく向き合っているのか心配」「現場力の『劣化』、本当に危機かも」と警告したにもかかわらず、田中委員長のこの程度の「お小言」だけで関電を許した。裁判所の仮処分が撤回されさえすれば、関電は再び再稼働作業に取り組むことが行政上可能になった。何の再点検も、安全管理体制改革も必要なく、原発を動かしてよいのである。これが今の規制委の姿勢である。それは「無責任」という言葉を越えて、あたかも電力会社に対して、次の福島原発級事故を起こしてもよいから、ともかく原発を動かすように促迫するかのようだ、というほかない。
明らかになった「現場力の劣化と危機」について、産経も日経も規制委員会も、何も具体的に考えない。原発の安全保守現場の具体的状況を考えない。彼らは、その現場が、危険な高線量の放射線被曝労働であるという事実を無視している。無知なのか、意図的に隠しているのかは分からないが。
「現場力の劣化と危機」とは何か?
高温高圧の水や蒸気を扱う保守の現場では、水漏れや蒸気漏れは日常的に起こっている。原発では、老朽化していくにつれて、放射線による設備の脆弱化や劣化によって保守必要箇所が増大するだけではない。過去の漏水や漏洩もまた、現場の放射能汚染として積み重なっていく。すべてを除染することはできない。結果として、保守現場のいたるところに、作業が困難な高い放射能汚染の箇所や区域が広がり、汚染箇所の放射線レベルがますます高くなっていく。
だから、産経新聞の指摘する「現場力の劣化と危機」とは、客観的には、放射能汚染が進み、安全保守作業がきわめて困難となり、高線量の被曝と高い労働コストが伴うような現場状況のことである。
このあたりの事情を、日立で20年以上原発の建設と保守の現場において現場監督として働いてきた故平井憲夫氏(1997年逝去)は、がんと闘いながら残した遺言的な手記『原発がどんなものか知ってほしい』において、次のように記している(インターネットで読むことができる)。
元現場監督の貴重な告白
「ボルトを締める作業をするとき、『対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ』と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。・・・ネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです」
「稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが1本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その1本のネジを締めるのに働く人30人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで7メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、1、2、3と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には、走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?と言ったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった1山、2山、3山締めるだけで160人分、金額で400万円くらいかかりました」
これが、ボルトの緩みについての関電の言い訳的な報告書の裏にある真実である。
被曝によって現場力・熟練が破壊
しかも、「現場力の劣化」には、また別の側面がある。第一に、労働現場での放射線被曝によって、「現場力」すなわち労働の熟練の形成は大きく阻害される。つまり、熟練した労働者は、(1)被曝許容量の上限に達することによって、(2)放射線関連の健康被害による病気や死亡(平井氏自身も含めて)によって、労働力から脱落していく。
政府は、(1)を引き上げたが、それは必然的に(2)を増やす。第二に、現場の被曝労働者のほとんどは、電力会社の社員ではない。「多重下請け構造」の末端労働者である。10層にも及ぶとされ、暴力団的要素の関与が指摘される、このような前近代的で半奴隷制的な労働関係(「被曝奴隷制」)は、原発保守作業の効率や確実性や安定性を根底から掘り崩している。現場の安全意識が喪失し、現場の士気が退廃するのは、避けられない。
「現場力の劣化と危機」とは、まさしく、現場労働者の生命を犠牲にした発電システムの危機なのである。これら保守現場の危機的状況を押して老朽原発を次々再稼働すれば、何が起こるかは明らかである。