会社員・龍谷大学院生 片岡 英子
「戦争責任」論に一石投じる
1945年8月15日。日本の敗戦に伴い、アメリカをはじめとする連合国は日本の戦争犯罪を「戦犯裁判」という形で裁いた。東条英機などの政治指導者などを裁いた「極東国際軍事裁判」、いわゆる「東京裁判」は知る人が多いだろうが、そのほかにも、一般の兵士や民間人などによる連合軍捕虜や非戦闘員への虐待や虐殺などを裁いた軍事裁判もあった。
それらは現在、「BC級戦犯裁判」と称されており、そこで裁かれた人びとは「BC級戦犯」と言われている。ここでは、1950年から60年代にかけてBC級戦犯がどのように表象されていたのか、という問題をめぐって少し述べてみたい。
50年代以降にかけてBC級戦犯は、小説などの文学作品やドラマや映画で多く取り扱われてきた。一般の兵士でありながら、その行為の加害責任を問われたBC級戦犯が大衆文化のなかでどのように表象されてきたのか。それを考察することは私の力量不足により不可能であるが、おそらく「戦争責任」論に一石を投じることのできる大切な問題ではないだろうか。今回はそうした問題意識から出発し、BC級戦犯であった加藤哲太郎原作とされている「私は貝になりたい」をめぐって、そこでBC級戦犯がどう表象されたのかを確認し、BC級戦犯の「責任」について思うところを述べてみたい。
「罪」の4つの概念
まず本題に入る前に、そもそもBC級戦犯の「責任」とは何か、ということについて触れておきたい。
敗戦直後から現在にいたるまで、「戦争責任」についての議論は数多くなされてきており、その複雑な議論はますます難解さを増してきている。BC級戦犯の「戦争責任」についても、非常に様々な論点があるため、一概に語ることは難しい。
ここでは、1950年当時も知識人のあいだでよく引用されていたドイツの哲学者、カール・ヤスパースの『戦争の罪を問う』(1946年)を考察の一助としたい。
ヤスパースは第二次大戦後、ナチスによる戦争犯罪を考察し、「罪」には四つの概念があるとした。ヤスパースによると、「罪」(本記事では、一旦「罪」≒「責任」と結びつけて考察を進める)は、(1)「刑法上の罪」、(2)「政治上の罪」、(3)「道徳上の罪」、(4)「形而上的な罪」があるという。(1)と(2)については、それぞれ審判者は裁判所、そして戦勝国であるとされ、字面からして想像しやすい概念である。少し複雑なのが、(3)と(4)であるだろう。(3)「道徳上の罪」では、審判者は「自己の良心」であるとされている。(4)「形而上的な罪」は、「世の中のあらゆる不法・不正に対し、ことに自分の居合わせたところや自分の知っているときに行なわれる犯罪に対しての責任」であり、審判は「神」が下すものだとされている。
(4)については、キリスト教の影響が強く、一概に日本人へとあてはめることは難しいかもしれないが、「戦争責任」を考えるうえで、現在でもよく参照される概念である。BC級戦犯についてあてはめてみるのは、非常に難しい問題でもあり、ひとつひとつ考察を重ねることは重要であろうが、ここではしない。それは難解な「責任」への迷路の入口でもあり、私自身その迷路で立ち往生しているさ中であるので、私の力量では分析を加えることができない。ただここでは、ヤスパースの「罪」の4類型を見てみれば、BC級戦犯を「犠牲者」だとする議論(たとえば、戦犯裁判の不当性をあげて彼らを「犠牲者」とするものや、アメリカの犯罪行為を主張することで日本人戦犯の「責任」を免責しようと試みるものなど)は退けられるということが確認できれば充分である。
ヤスパースは、ナチス政権下でドイツ人が自分の命を守るために、ユダヤ人が連行されていくことに異を唱えなかったという事実をふまえて、それでも、(4)「形而上的な罪」があるとした(それは限りなく「無実」に近い「罪」に思えるが、それでもなお)。この議論を受けるならば、BC級戦犯とされた人びとにも、何らかの「罪」≒「責任」があることになるだろう。
BC級戦犯の「戦争責任」について、否定的な議論は現在でも根強いが、それでもなお、彼らには何らかの「戦争責任」はあるだろうし、現在に生きる私たちはそれらを考慮していかなければならない(もちろん私たちは彼ら個別の「責任」を追及し、「糾弾」することはあってはならないが)。
天皇制国家の支配原理と人間の弱さを前提にすること
さて、BC級戦犯の「戦争責任」について若干思うところを述べたところで、ようやく本題に入りたいと思う。今回は、1959年にフランキー堺主演で放送された映画「私は貝になりたい」を考察の対象としたい。この映画は、前年の58年に同じくフランキー堺主演で放送されたドラマを、監督である橋本忍が部分的に修正して放送したものである。
この映画では、フランキー堺演じる主人公、清水豊松という男が招集され、二等兵として従軍していた折に行なった行為が、戦後の戦犯裁判で裁かれて死刑になるという物語である。この物語では、豊松は撃墜されたB29の搭乗員に対する加害行為を裁かれたという設定になっている。映画のなかでは豊松は上官から搭乗員を刺殺するよう命令されるが、結局殺すことができずに怪我を負わせるにとどまる。こうした軽微な罪にもかかわらず、「理不尽」にも死刑を執行された豊松を描いたこの映画では、明らかにBC級戦犯を「犠牲者」として表象している。現実の戦犯裁判では二等兵が死刑になることは一切なかったので、監督の橋本忍によって「犠牲者」的な側面が脚色されたと言える。
豊松が死刑になった折に遺した遺書が、この映画で最も有名なものであろう。遺書では豊松は、「人間に生まれ変わりたくない」と記す。そうして「海の底の貝になりたい」と述べるのである。家族思いの主人公として描かれた豊松が、最期の際に「家族の心配をしたくない」とすべてを投げ出して生まれ変わることを拒否するこの文章は、当時の人びとの胸をうち、この映画は大反響を得たという。
現在に至るまで根強くあるBC級戦犯を「犠牲者」とみなす認識は、この映画の影響も大きいと考えられる。この映画は、2008年にも中居正広主演で放送され、BC級戦犯を扱った代表的作品として最も著名なもののひとつであろう。
ここで表象されたのは明らかな「犠牲者」である、と先に述べた。この表象に対して、私たちは批判的な視点で接しなければならないことは、言うまでもない。この作品が「連合国=戦犯裁判=理不尽」、「日本人=兵士=犠牲者」という図式であるとして批判することはたやすいし、豊松を「戦争責任」などから逃避した主体性の欠けた人物として捉えて批判を加えることも出来なくもない。それはそれで重要な批判であろうが、ここでは改めて豊松ならびにBC級戦犯の置かれた状況とそこから生じる「戦争責任」のありかについて考え直してみたい。
つまり、兵士として招集されて非人道的行為を強要された際、自分の身の保身故に犯した行為について、どこまで「責任」を問えるのか、ということである。もちろん、これは問われなければならないことなのだろうが、私はいつも己の身として考えた際、どこまで「責任」を負うことができるのかという問題へと転換してしまう。
そこで先のヤスパースに立ち返ってみると、(3)「道徳的の罪」、そしてさらには(4)「形而上的な罪」はなんと背負い難い「罪」であり、「責任」であろうかと考えさせられる。おそらくは多くの日本人が同じようにその背負い難い「罪」と「責任」の前に立ちつくし、それらから逃避して豊松に同情したのではないだろうか。
ここで「責任」を自覚できるのは、自分自身の弱さや天皇制国家という支配原理などに抗することができる強い「主体性」の持ち主であろう。しかし、多くの人間はそうはなれずに、否応なく(もしくは積極的に)その「罪」と「責任」から逃避しただろう。私はここでその「多くの人間」を免罪しようと思うわけでも、批判を加えようというものでもないが、改めてそうした当たり前の事実を確認する必要性があると感じている。少なくとも、人間のなかにあるそうした卑小さや弱さをそのままに受け容れるところから、「戦争責任」の問題は考察されなければならないのではないだろうか。
次回は、「犠牲者」とは別の形でBC級戦犯を表象した文章に触れてみたい。