遙矢当
「改憲勢力の圧勝」、改めて見るまでもない今回の参議院選挙の結果を、東京から眺めています。
今はただ冷静に結果を受け止めています。この結果は、単に低投票率や無関心によるものと、そのまま政治に責任を転嫁して良いのでしょうか。必然的なこの事実を受け止めることから始めます。
改憲勢力(自民、公明、おおさか維新、こころ)と野党(民進、共産、生活の党、社民)との間に広まったこの差は、何が原因なのでしょう。まず、野党側の選挙総括に耳を貸すなら、おそらくこんな話が出てくるのでしょう。
「18歳から対象となる選挙権解禁。SEALDsに協力を仰いで、若い世代にアピールを増やした」「ツイッター、フェイスブック、ラインなどSNSを駆使して無党派層にも訴えた」「1人区での野党間における選挙協力を貫徹させた」「アベノミクスの破たんは事実だし、消費税増税の回避は公約違反だ」・・・まぁ、そんなところでしょうか。
嫌な「予感」は、4月の北海道5区の衆議院の補選で、改憲勢力と野党との差が更に広まった現実にありました。それは、「資金」と「メディアのコントロール」の充実ぶりという差でした。野党側の最初の選挙協力とされた池田真紀氏の選挙結果について、私は、落選したものの概ね満足してしまっていたという野党側の楽観的な見解を聞いて、今回の参院選が厳しいものであることを確信しました。
改憲勢力のメディアコントロール
「資金」と「メディアのコントール」の充実は、改憲勢力が資本を通じ、メディアをコントロールする力を得たことを意味します。そのメディアを資本からコントロールするのは、何といっても広告代理店でしょう。改憲勢力と野党との差は、このコントロールする力にあります。改憲勢力は、今回の選挙で予め「選挙結果を告示前に作る。改憲勢力の勝利を既成事実化する」という一つのプロセスの作成に成功したと言えます。これこそが、安倍政権によるファッショが完成に近づいてきたことの証左なんでしょう。有権者、そして民主主義は資本によりいよいよ形骸化されてしまったのです。
私が住む東京選挙区は、6人の改選数に対し、実に31人も候補者が立ちました。これは、野党による選挙協力が首都東京から早速果たせず、ゆえにここまで乱立したというのが率直なところでしょうか。
東京選挙区を振り返ると、話題になった候補の一人に三宅洋平氏がいました。彼はリクルート社の出身で、退社後の活動として社会運動に携わってきたという経歴の持ち主です。衆議院議員の山本太郎氏が、三宅氏のサポートを受け当選したのは有名な話でしょう。
彼の「選挙フェス」を、投票日前日の9日に渋谷で見ました。渋谷ハチ公前は、三宅氏の軽快なトークに乗せられた聴衆を通じ、町全体が何か強烈なパッションを放っているようでした。三宅氏が渋谷の街中に放ったこの強烈なエネルギーが東京の野党候補全体に反映されるなら、野党の候補者一人一人に大きな力となったのに、と惜しまずにはいられませんでした。
選挙に代わる何かが必要
私の周りには、2014年の衆議院議員選挙での悔しさから、「この参院選で巻き返す」と誓った人が何人もいました。しかし、今回の結果は、そこで得たもの、学んだものの「成果」を示す場面でしたが、志半ばで敗れてしまった印象です。東京はすぐに都知事選も控えますが、なんだか7月10日の「ビデオ」を繰り返し見させられるのでは、という予感がまたしています。
こうなると、この国には、選挙に代わる何か新しい手法でも生み出さない限り、政治の刷新が生まれなくなってしまっているのか、とさえ思います。これからの政治は、追いかけて、しがみつかない限り、遠くなってしまいそうです。でも、そうやって民主主義を目指してきた、戦前の無産主義者の諸先輩たちの生き様から学び、耐える時期なのかな、とも思っています。