市民と科学者の内部被曝問題研究会会員 渡辺悦司
再稼働で電力会社が利益を生む秘密
6月28日、関西電力の株主総会が、再稼働に反対する市民が抗議するなか開かれ、岩根社長が「原発の再稼働に全力を挙げる」と表明、脱原発を求める吉村大阪市長の発言を途中で「官僚以上に官僚的に」打ち切らせて、脱原発を求める決議案を否決し、原発再稼働を基本線とする会社側の議案を承認して閉会した。
なぜ電力会社は、事故時の賠償費用を考慮した場合のリスクが大きく、現実にも決して低コストとは言いがたい原発を何とかして稼働したがるのであろうか? その秘密は、電力会社の現在の会計制度では、原発で燃やした使用済核燃料を「資産」として処理することができるという点にある。
財界側の経済誌『ダイヤモンド』(インターネット版)は、西村吉雄・元早稲田大学政治経済学術院教授へのジャーナリスト西川敦子氏のインタビューを掲載している(「核兵器数千発分のプルトニウムがゴミと化す!? 原発大国ニッポンが『廃炉大国』になる日」2013年1月25日付)。そこに重要な指摘がある。
「(西川)注目したいのは、『使用済核燃料』が、電力会社の資産として扱われていること。つまり、使用済核燃料は、将来、利用が可能だというので、『資産』として扱われています。もし廃炉にしてしまえば、使用済核燃料はただのゴミと化してしまい、電力会社は一気に資産を失ってしまうわけです」。情報通で知られる池上彰氏のベストセラー『知らないと恥をかく世界の大問題4』にも同様の指摘がある(115ページ)。この事実は、事情通の間では、既知のことなのだ。
核廃棄物が金塊と同様に扱われる会計上の錬金術
要するに、使用済核燃料について、事実上政府公認の「粉飾会計が行われているということだ。経済産業省令「電気事業会計規則」を見れば、三氏の指摘どおり、(1)使用済核燃料が固定資産として扱われている、(2)核燃料は、燃焼によって減少したウラン235の価額を、新たに生じた「分離有用物質」(プルトニウムなど)によって補填することができ、使用によってほとんど価値を減じることなく、場合によっては増価することができる、(3)経年による減価償却は必要ない、つまり半永久的に価値を保持していく規定になっている。
この観点から、2015年度の関西電力の貸借対照表(バランスシート)の資産項目を見てみよう。そこでは、「核燃料」が5263億円計上されている。内訳を見ると、「装荷核燃料」が906億円、「加工中等核燃料」4357億円となっている。「加工中等核燃料」は何のことかよく分からないかもしれないが、ここに使用済核燃料が資産処理されている。
一方、「原子力発電設備」は3837億円であり、加工中等核燃料(その大部分は使用済核燃料)の資産額は、全ての原子炉と発電施設の資産価値総額を上回っている。それほど、使用済核燃料の価額が高く評価されていることがわかる。
核のゴミへの物神崇拝
現在の電気事業会計制度では、電力会社は、原発によって発電する限り、将来、再処理によって再び核燃料として資産となるからという理由で、(1)会計上燃料代はかからないことにできる、(2)さらには、将来の巨大な処理コストが、会計処理上は、あたかも金塊と同じように減価償却が不要な資産として評価できる。核のゴミが利益の源泉と同時に蓄蔵対象となる。言ってみれば、巨大なマイナス・将来コストから、金塊と同じ永遠の資産を創造する「現代の錬金術」となっているのである。
これによって、電力会社に巨大な利益をもたらす原発稼働は、現実には、莫大な使用済核燃料を「将来コスト」として無限に蓄積していく結果を導く。使用済核燃料すなわち核廃棄物が人為的に「資産」とされ、それが資本としてあたかも「自己目的」として増殖するかのように、人間を支配し、人間は、自己増殖する核廃棄物の前に拝跪するのである。
本来「死の灰」として巨大なマイナスの価値を持つこの「核のゴミ」、今後数万年にわたって管理し続けなければならないほぼ無限大の将来コストが、いったん架空の「価値」とされ「資本」となってしまうと、個別の資本家や経営者だけでなく支配層のトップの意識、さらには物事を表面的にしか見ることのできない多数の専門家たちの意識を支配するようになり、原発の恐るべきリスクはみな消え失せ、およそ冷静で理性的で合理的で現実的な判断力をことごとく失なわせてしまうのである。
資産あるいは資本としての使用済核燃料あるいは核廃棄物の「核のゴミ」あるいは「死の灰」のもつ、この「物神性」こそ、原発を稼働する電力会社、原発に関連する広範な産業、政府・官僚組織、政党、マスコミから学者にいたる広範な原子力複合体を、一種の逆立ちし倒錯した世界に変える。
この経済的に倒錯した関係こそ、原発や被曝に関連する人々の「倒錯した意識」を生み出す現実的基礎である。このような現実の倒錯こそが、政府が現在進めている原発再稼働計画ー20数年ごとに過酷事故を繰り返すことを前提に原発を次々稼働していこうという一種の「狂気」「狂信」を作り出しているのである。
原発を保有する電力会社は「ゾンビ企業」である
池上彰氏は、「核のゴミ」の資産扱いを止めれば「電力会社は債務超過に陥る」と指摘して、原発を保有する電力会社が、実際には債務超過状態にありながら、政府公認の粉飾会計によって何とか生きながらえている事実を認めている。
関電についていえば、関電の2015年度のバランスシートには、原発関係の資産は、上記の「加工中等核燃料」を含めて、合計で9100億円ある。だが、これらは、脱原発となれば、すぐに資産ではなくなり、最低でもこの数倍の、実際には桁違いの、コストや負債に転化する。関電にとって原発は、ほとんど発電していない期間にも、年間2997億円のコスト負担となっているが、これにさらに廃炉費用と使用済み核燃料保管処理のための巨大なコストが加わる。使用済み核燃料を数万年も保管するというコストなどは計算のしようがない。また、福島級の重大事故が起こった場合に備えての新たな事故対応費用(福島で今まで10数兆円)の積み立てなどは何もなされていない。
これらに対して、関電の純資産合計は、わずか1兆2018億円しかない。つまり関電は、池上氏の言うとおり、会計上の粉飾によってのみ生き残っているだけの、完全な「ゾンビ企業」なのである。
国民にとって必要なことは、会計上の「魔法」を続け、原発を稼働させて半倒産企業を延命させ、第2第3の福島原発事故に向かって突き進むことではない。このようなゾンビ企業が、全国各地で次々に重大事故を引き起こして、国民に被曝による死の脅威をもって襲いかかってくる前に、再稼働を止めさせ、原発を全廃し、電力独占とくに送電網の民主的国有化を断行し、自然エネルギーへの完全な転換を実現しなければならないということである。それ向かっての政治的決断に国民の文字通り生死がかかっているのである。