香港中文大学教員 小出雅生さんインタビュー
香港では、自決権・独立を求める第3極の政治勢力=本土派が注目されている。香港在住で長年に渡って現地社会運動に携わる小出雅生さんに、(1)香港独立運動の評価、(2)本土派形成の社会的背景、(3)選挙後の懸念、についてインタビューした。私たちが生きる日本社会・政治と香港社会・政治を比較・相対化することで見えてくるものがあれば幸いである
(編集部・ラボルテ)
―昨年12月、中央政府に批判的な書店店主の失踪事件が相次ぎ、抗議デモが起きましたが・・・
小出:香港の人々が問題視しているのは、中央政府の公安警察が香港区域内で勝手に活動した点です。香港内では「警察・公安を含む中国の公務員は、香港で公務の執行はできない」ことになっています。公安警察の活動は、法的根拠がなく、一国二制度に反しています。市民を連行したのは、単なる誘拐です。
大陸で拘束中の一人の肉声が、中国内地のメディアで公開されました。このインタビューで被害者は、広東語(香港の公用語の一つ)ではなく、北京語で話しており、「10年前に中国大陸で交通事故を起こし、香港に逃げたのですが、良心の呵責で出頭しました」と語っています。
もう1名は香港に帰ってきていますが、中国内地へ定期的に出頭しているみたいです。彼はイギリスのパスポート所持者で、「私は根っからの愛国的中国人なので、他のパスポートは放棄します」と語っています。
大陸で8カ月間拘束され、最近戻れた銅鑼灣書店主・林さんは記者会見で「公安から恫喝された」と証言し、「抗議しないと次は君たちが拘束されるぞ」と警告を発しました。6月18日、この事件に抗議する6千人規模のデモが行われました。
独立は交渉の切り札
―失踪事件は言論弾圧の象徴だ思いますが、言論・表現の自由は後退局面にあるのでしょうか?
小出:雨傘革命を「雨傘運動」と言い直すなど、言葉を選ぶ傾向はあります。目に見える「占拠」などの取り組みはなくなりましたが、日々の運動は継続されています。議論されるテーマは、雨傘革命当時と同じです。
―香港独立が叫ばれています。背景と評価は?
小出:香港の政治は親中派と民主派という2大勢力による対立構造でした。ところが雨傘革命以降は、若者世代を中心に自決権や独立を掲げる「本土派」(香港地域派)が、第3勢力として台頭しています。本土派は、個人のネットワーク的なつながりや大学自治会メンバーなどが、主体的・流動的に参加しています。「独立」をめぐっても、本土派内で意見が大きく分かれます。たとえば、本土派の一グループである「熱血公民」は排外・排他的に独立を叫んでいます。「学民思潮(スカラリズム)」の黄之鋒さんらが結成した新党「デモシスト」は、香港独立を「大陸政府との交渉の切り札」と考えています。「一国二制度は香港返還(1997年)から50年間」なので、2047年に、「中国残留か独立か?を、住民投票で決めるべきだ」というのが彼の立場です。これはスコットランド独立を問う住民投票と同じで、独立する権利を有するが、行使はしないということでしょう。
自決・自救・自強
香港の社会運動は、「自決(自己決定)・自救(自力救済)・自強(自ら努め励むこと)」といった「自」がキーワードです。しかし、「独立」は香港の「自立」につながらないと考えています。食糧から電気・水道まで、あらゆるものを中国本土に依存しているからです。
独立は、中香関係を対等にし、自由な活動を担保する解決策になりませんし、危険だと思います。あるグループは「軍事力で人民解放軍を追い出して独立する」と主張しています。香港は自由に言える場なので、何を言っても構いませんが、非現実的です。
―本土派形成の背景は?
小出:「香港人としてのアイデンティティ」は、共通しています。2008年以降、中国内地から香港への投機的な資本流入でジェントリフィケーション(再開発)が拡大し、下町は高級ブティック街に変容しました。家賃が高騰し、住宅難の一方で空き家が増えています。また、「爆買い」する大陸の客への反発もあります。
また、香港の社会運動は、過去10年間、「まちづくり」が大きなテーマとなっていました。クイーンズピア保存運動、ジェントリフィケーションに対する下町の保存運動などです。これらの社会変容と運動によって「香港人」としての意識が醸成され、本土派形成につながっています。
そもそも、若者の親世代は「中国内地などからの難民だった」人たちが多いのです。香港はあくまで「仮住まい」でしたが、時間を経るにつれて人間関係が形成され、コミュニティができ、文化が形成されていきました。特に「香港返還」を通して、「仮住まい」から地元民としての意識が強くなったのです。
親世代は、民主派の中心です。平和的交渉で解決するという手法を求めています。不満があっても、対話の中で主張し、紳士的に解決する「英国式」を基本スタンスとしています。「香港返還」時、鄧小平とサッチャーによる首脳交渉で「いま中国は、戦争で失ったものを机の上で取り返そうとしている」と表現したのは象徴的です。
民主派は、雨傘革命でも中央政府高官との対話を重視し、話し合う機会があったのですが、プロセスの問題から民主党(香港)の支持率は落ちました。5月には民主派が、中国共産党ナンバー3と初の公式会見の場をもちました。本土派と民主派は、アイデンティティも政治手法も違うのです。
「祖国への幻想」を打ち破る決定打となった「雨傘革命」への弾圧
―香港の人々からみた中央政府の存在は?
小出:香港の人々は中央政府を、「中香関係」の言葉が表すような対等な関係とみています。しかし、中央政府にとって香港は、一地方に過ぎません。「香港は中央政府に指導されるべきだ。歴史的権威のある中央政府の方針を拝聴しろ!」といったところです。香港の人々にはこの「上から目線」へのアレルギーがあり、中国内地旅行客の横柄な態度も相まって、嫌悪感が強まっています。
植民地とされて苦労したのは、香港人です。祖国を必要としていた時に、祖国は何もしてくれなかったわけです。香港の人々は、60年代に経済力をつけるために仕事をがんばり続けました。70年には、香港市民とイギリス人を法的平等に扱うコモン・ロー(普通法)が適用され、ビジネスで成功し、億万長者となる香港人も出ました。80年代には、鄧小平の開放政策に乗り、積極的に内地への投資をしていきます。
香港の人々には、植民地時代に苦労して貯めたお金で祖国発展の基礎をつくった、という自負があります。そういう意味では、雨傘革命への弾圧は、祖国への幻想を打ち破る決定打となりました。「何が祖国だ、植民地政府と変わらないじゃないか」という批判です。
選挙候補者乱立親中派圧勝の可能性
―選挙の争点は?
小出:教育予算が削られ、潤沢にあった奨学金なども削減されています。高速鉄道の建設費用は見積もり額の2倍になり、完成のめどもたっていません。医療現場では、人もモノも不足し、医師が患者に病名を伝えることもできないぐらい過密で、パンクしている状態です。家賃高騰・住宅難問題も続いています。
―選挙への懸念は?
小出:候補者乱立によって、民主派・本土派双方の死票が大量に出ることを懸念しています。本土派は「香港の自治を守る」という点で民主派と共通していますが、民主派や他の本土派グループとの選挙協力に消極的です。
民主派は、候補者の調整によって一定の死票を防いできましたが、本土派の候補者やグループと連携する信頼関係は、まだできていません。加えて本土派には他の本土派グループ・民主派に否定的なスタンスを取るグループもあります。一方で民建連(親中派第1党)は、少ない得票率で効率よく多くの議席を確保しており、資金力も圧倒的です。
また、本土派が補欠選挙で15万票を得たことも不安です。これが投票先の判断を難しくさせる要因になっています。多くの香港市民は、本土派がこんなに得票するとは、想像もしていなかったのです。親中派が圧勝し、民主派・本土派が立法会総議席数の3分の1を割ってしまった場合、どのようなことが起こりうるか? それは、この十数年間、社会運動とともに議会で阻止してきた「悪法」の数々が通ってしまう可能性があることです。
例えば、愛国教育法です。教育現場で「中国共産党に間違いはない。議会制民主主義は諸悪の根源だ」と教えることになります。また、国家保安法も同様です。令状なしの捜査や連行、弾圧が認められるなど、戦前日本の治安維持法のような法律となる恐れがあります。加えて、選挙改革法です。これは事実上の信任投票制度であり、雨傘革命で争点化され、去年の議会では否決されました。これらが再度争点化され、香港の自治権が大幅に後退するかもしれません。