ウリ・アヴネリ(元イスラエル国会議員/平和運動「グーシュ・シャローム」創設者)
5月20日「Tikkun daily」(進歩的ユダヤ教徒のサイト)
翻訳・脇浜義明
イスラエル軍幕僚副長のヤーイル・ゴラン将軍が、ホロコースト記念日(今年は5月5日。ユダヤ暦の第一月27日と定められている)に演説をした。軍服姿で用意したスピーチを読んだが、それが大騒動を引き起こし、まだ収まっていない。問題となった演説の一節は、「ホロコースト記憶で私が恐ろしく思うのは、70年前、80年前、90年前に欧州一般、特にドイツで起こったことで、それらと同じようなことが2016年の今日ここ(イスラエル)でも見られることだ」である。
何だって!?イスラエルにナチと同じことが見られるって! ナチが我々にやったことと我々がパレスチナ人にやっていることが似ているって!?
90年前は、ワイマール共和国が終焉した時、80年前はナチが政権の座に就いた3年後、70年前はナチ帝国の終焉の年。
私は将軍の演説について書きたく思った。何しろ私もドイツにいたからだ。子どものころに、ナチの政権獲得・支配の半年間を目撃した。
イスラエルには一つの戒律がある。「何事もホロコーストに喩えてはならない」という戒律が。ホロコーストはユダヤ人だけに起きた。なぜなら、ユダヤ人も独特だからである。
私はその戒律を破ったことがある。ゴランが生まれる前、私は『鍵十字』という本を出版、子ども時代の経験から結論を引き出そうとしたのだ。当時、最も文化的で、ゲーテやカントを産んだ国が、なぜヒトラーを民主主義的に指導者に選んだのかという問題を論じたものだった。この本の最後の章は「イスラエルでも起きる可能性がある」だ。
ナチが権力を掌握した時、私はその場にいた。教室へ入ると教師が「ハイル・ヒトラー!」と手を上げるようになるのを見た。高等学校ではユダヤ人は私だけだった。みんながナチの国歌を合唱、私だけが歌わなかったとき、「腕を折ってやる」と脅迫された。数日後、私の一家はドイツを出た。
ナチスの時代情勢に酷似するイスラエル
ゴランは、イスラエルを「ナチと同列にした」と非難された。とんでもない。彼の演説文を注意深く読めば、彼はイスラエルの展開がワイマール共和国の解体と似ていることを指摘したのだ。特に前の選挙以降、イスラエルで起きていることは、当時のドイツ情勢と酷似している。
生活の全域で、パレスチナ人差別はナチの初期段階のユダヤ人処遇と似ている。イスラエル国会で次々と成立した人種差別法は、ナチ政権初期の国会で次々と成立した人種差別法と酷似している。ナチのスローガン「ユダヤ人を絶滅せよ」と同じように、「アラブ人に死を!」が叫ばれている。国会議員は、アラブ人の新生児とユダヤ人の新生児を分離扱いすることを要求している。イスラエル教育・文化相は学校・劇場・芸術を極右路線に従わせようとしているが、これはナチの強制的均一化と同じである。ユダヤ人ゲットーが作られたように、ガザは巨大なゲットーにされた。
ナチが政権を取ったとき、ドイツ軍の高官の大半は反ナチで、中には反乱を計画するものさえいた。1年後、彼らの指導者は処刑された。ゴランはボディガードを雇って身を守っているという。
ゴランは、軍が管轄の占領地と入植地については触れなかった。しかし、彼は今もイスラエルで問題になっているエピソードを語った。軍支配下にあるヘブロンで、イスラエル兵が倒れているパレスチナ人に近づき、頭部を撃って殺害した。このパレスチナ人はナイフで兵士を襲撃しようとしたのだが、阻止されて重傷を負っていた。
この殺害は明らかに服務規定違反で、現在は軍法会議にかけられている。しかし、「兵士は英雄で、軍法会議どころか勲章の対象だ」という声が国中で上がった。ネタニヤフ首相は兵士の父親に電話をして、「味方する」と言った。極右のゴロツキ政治家=アヴィグドール・リーベルマンは人でいっぱいの法廷に入り込み、兵士への連帯を表明した。その数日後、ネタニヤフはリーベルマンを国防相に任命した。
イスラエルでは、国防相が首相に次いで2番目に重要な地位を占めている。任命前、ゴラン将軍はモシェ・ヤアロン国防相とガディ・エイセンコット幕僚長から支援を受けていた。多分これが、ヤアロン追い出しとリーベルマン任命の本当の理由であろう。ファシスト党首・リーベルマンの入閣こそ、ゴラン将軍が恐れていたことだった。
リーベルマンの国防相任命は、イスラエルの民主主義への大打撃になるだろう。