薩摩川内市在住 川畑清明
根拠失った地震安全対策
2日続けてスマホのアラームの後、強い揺れを感じた。身体の中には、鹿児島県北西部地震=97年3月、M6.6(薩摩川内市で震度5強)と、同年5月、M6.4(薩摩川内市震度6弱)の記憶があり、震度は予想できる。
16日午前1時の揺れは、川内で震度4、川内原発では震度3と発表された。自宅より震源地に近いのに震度は低いのには、首を傾げたくなる。というのも、NHKの画面で鹿児島の地図は出なかったからだ。山口県や四国の一部は表示されているのに、日本で唯一稼働している原発の周囲の震度が表示されない。
本来、九州電力が川内原発内の震度と状況を直ちに発表すべきであるが、鹿児島県北西部地震の際、震度計が壊れていて正確な震度がわからなかったという失態がある。3・11以前だったので、抗議をした人たちもいたかもしれないが、市民の反応は鈍かったと記憶する。
今回の大地震は異例続きだ。余震であるべき後の揺れが「本震」に変更され、震源地が東に移動する地震が続いた後、再び最初の震源地付近に帰り、さらに南西側に移動して、甚大な被害をもたらした。
16日未明、「本震」発生の午後に会見した気象庁・橋本地震予知情報課長は、「14日に発生したM6.5の活断層型地震の後、それを上回る本震が発生した記録が国内には存在しない」と言い、「本震は布田川断層帯で発生したが、午前3時台にM5.8の地震が2回発生、大分県中部でもM5.3の地震が起きた。この2カ所の地震活動の高まりは、本震とは別の地震活動」との考えを示した。その上で「今までの経験則から外れている」「今後どのようになっていくか分からない」とも語った。
私は驚いた。経験則から外れて先は分からないということは、原発の地震安全対策の根拠はなくなったのだから。翌18日、九電鹿児島支店と県知事への即時停止の申し入れ行動に参加した。
鹿児島支店での申し入れ行動は緊迫した。地震予知課長の発言に対する見解を問うと、「聞いてない」「事故が起こらないようにする」と答えるのみ。女性の方々が、泣きながら止めてくれと訴え続けた。
県庁では、所管の安全対策課に乗り込み、横柄な対応にあきれて知事室まで迫るが、知事は対応せず。他の団体は薩摩川内市長に申し入れようとしたが、対応マニュアルがあるかのごとき原子力ムラの対応であった。加えて、田中規制委員長の「政治家や国民が何と言おうと止める根拠はない」の発言には、あきれる価値もない。
原発を止められない理由はない
久見崎テントの人たちとともに『川内原発ゲート前緊急抗議行動』と銘打ち、3日間の抗議行動を実施した。『地震がくるから今すぐ止めろ』の抗議に、約70人が参加した。
「地元同意」を盾に再稼働を許した私たちには、全国の人に対する負い目がある。何かせずにはいられない。弓矢の矢じりになって、原発の正面で「止めろ」と叫んだ。県内はもとより、宮崎県小林市から大型バイクで駆けつけた男性、「FBで知った、再稼働当日もここにいた」と語る水俣からのお二人は、地元メディア、東京新聞、韓国メディアの取材も受けた。
九電は相変わらず無反応だが、返り際、ガードマンさんたちに「また来ます」と挨拶したら、微笑みと会釈を返してくれた。命は同じだし、過酷事故が起これば同じ運命だ。
初日の行動終了直後、4トントラックが止まった。降りてきた青年は、「原発の敷地で線量を測ろうと来てみたら、抗議している人たちが居たので遠くで見ていた」。聞けば、熊本出身、福島で被災し、大阪に住んでいるという。実家が半壊し、母親は避難所に身を寄せている。難を知ったなかまが、トラック一杯の物資を集めてくれたそうだ。マイクを握った青年は、たどたどしくも切実に廃炉を語った。
電気は足りている。東電は、新設のガスコンバイン火力発電で原発なしに黒字化した。金儲けのためだけに、再稼働の条件だった免震重要棟建設を止めて耐震にしたいと申請し、金のために緊急停止を避けた九電は、二度と国民の信頼を得られない。重要免震棟問題、地震対策問題に口をつぐんだままの伊藤県知事と岩切市長に首長の資格はない。
原発を止められない理由はない。あると言うなら、政府及び九電は、地震多発で怯える国民に対し、熊本の被災者に対し、福島の被災者に対し、明確な説明をしろ!