書き手:ジャーナリスト/同志社大学大学院社会学研究科博士課程教授(京都地裁で地位確認係争中)
浅野健一
劣化を重ねる犯罪報道
「絶対に犯人だと思うが、証拠がないから無罪になるかもしれない」。ある東京紙の宇都宮支局の若い県警担当の男性記者が今年2月ごろ、ある懇親会で力説していたという。この記者の予想に反し、証拠がないのに有罪判決が出た。警察・検察が156日間も被告人を監禁してもぎ取った「自白」調書と、「自白」の録音・録画が決め手になっての判決があった。
2005年12月、今市市(現日光市)の小学1年生(当時7歳)が下校途中に同級生と別れた後、行方不明になり、翌日、茨城県内の山林で遺体が発見され、栃木、茨城両県警が合同捜査本部を設置した事件で殺人罪に問われていた男性(34)が4月8日、求刑どおり無期懲役の判決を受けた。
法廷で一貫して無実を訴えた男性に対し、証拠もないのに有罪判決を言い渡したのは宇都宮地裁(松原里美裁判長、水上周右陪席裁判官、横山寛左陪席裁判官、裁判員6名)だ。
男性は4月19日、地裁の裁判員裁判の判決を不服として、東京高裁に控訴した。
男性は2月29日から15回開かれた公判で、捜査段階で強要された「自白」を「強要・誘導の結果」と否定、直接証拠は一つもなかった。検察側は3月10日の公判から4日間かけて、捜査段階での警察・検察の取り調べの録音・録画を7時間13分に編集して法廷で 再生した。裁判員は判決後の会見で、「録画の再生がなければ、違う判断になっていたと思う」と口を揃えた。
警察・検察の違法な捜査と、自白偏重の不当判決の内容については、「週刊金曜日」4月15日号、「紙の爆弾」「自然と人間」各6月号に記事を書いたので、読んでほしい。
今市事件を取材・報道する記者たちを見て、犯罪報道の現場は劣化を重ねていると感じた。その象徴が、毎日新聞宇都宮支局の野口麗子記者が4月15日の〈記者の目〉で書いた「栃木女児殺害 被告に有罪判決」と題した記事だ。
野口記者は14年6月、〈殺害の状況を身ぶり手ぶりを交え、再現した場面〉を見て、〈いつもの無表情な被告とは違った。内容が具体的で真実味を帯びていると感じた〉と書き、完全に犯人視している。捜査の難航と被告が〈自分の車を廃棄した〉ことを根拠も示さずつなげる記述もあった。
大手メディアの記者たちは松原裁判長らと同様に、別件逮捕を悪いと思っていない。メディアは、被疑者を送検後も警察署の留置場に勾留し、警察の監視下に置く代用監獄で取り調べる問題に触れない。
私は3月4日に、弁護団が裁判所の隣の公道上で行った記者団のぶら下がり取材に参加した。その質疑の最後に、人権と報道について聞いた。今市事件では、地元の下野新聞が殺人での逮捕の2カ月前に、男性が「今市事件への関与」を自白したと報じた。
一木明弁護士は次のように答えた。「警察ないし捜査機関は情報を一括して独占している。そういう独占情報の中から、ごく一部の情報を特定の報道機関にリークをして、報道機関は金科玉条のごとく警察情報を報道する。もし警察が、裁判員裁判を念頭に置きながら意図的にやっているとすれば、大変怖いことだ。一時期、被害者の写真が被告人のパソコンのハードディスクの中にあるという虚偽情報が蔓延していた」。
取材が終わった後、栃木県警記者クラブ(司法記者クラブとほぼ同一)の記者たちが「弁護団の会見は県警クラブがすべてセットした。クラブ員でもない者が勝手に質問までして、その場を混乱させた。今後はクラブ以外の質問を禁止すべきだ」と息巻いていたという情報が入った。
私は4日夜、県警クラブの幹事社へ電話し、電話に出たNHKの家喜誠也記者に、「まるで大昔のクラブのようだ。弁護団の了解を得て取材した。公道上での取材を制限するとは何事か」と伝えた。家喜記者は何も答えず、「誰からそういう情報を聞いたのか」としつこく聞いてきた。
特権意識丸出しの記者たち
私は3月18日に、地裁が男性の自白調書の証拠採用を決めた日にも取材で出かけた。傍聴券を入手できなかったので、地裁本館一階の道交事務室(簡裁の道交法違反の切符を処理する部屋)にある記者クラブ用の作業部屋に何度か入った。その際、作業部屋の中央にあるホワイトボードにあった法廷内の記者席(20席)の配置表を見た。席順をくじで決めていた。記者席にスケッチ画家用の席が2つあった。
4月8日の判決公判の日に、ある記者から「浅野さんが許可なしにクラブ室に入った後、地裁の係官が部屋に来て、問題だと言った。クラブ員の間では、不法侵入で盗撮もしていた、という声もある」と知らされた。司法当局と結託して、フリージャーナリストを排除しているのだ。
メディアは、多数の市民が傍聴券を求めて列を作ったと報じたが、傍聴券を求める人たちのほとんどは、メディア関係者とメディアが動員したアルバイトである。初公判では913人、判決の日は1317人が並んだ。66ある傍聴席は記者クラブが20、特別傍聴者4で、くじの対象になる一般は42席しかない。
3月4日午前9時過ぎに、地裁敷地内で首に「日本テレビ」という黄色のネームプレートをぶら下げた約50人の集団がいた。数人の人に聞いたところ、公益社団法人・宇都宮市シルバー人材センターの募集で、70分拘束で報酬1500円だという。初公判の日は、テレビ各社、新聞社が計300人を募集したという。裁判所の敷地内に、報道機関の名前の入った札をぶらさげたアルバイトが堂々と並ぶというのは、これまで見たことがなかった。
傍聴券をお金で獲得するのは、プロ野球選手の「声出し」現金集めより悪いのではないか、と宇都宮地裁に質問したところ、越田秀之総務課長は「当裁判所として、傍聴希望者の属性を調査することはない」と回答してきた。
宇都宮市シルバー人材センターの宮崎加代子業務第1課長は「マスコミからの依頼があって希望者を派遣している。何の問題もない」と言っている。宮崎課長は4月8日の判決公判の時に、地裁で数百人のアルバイトの指揮を取っていた。「はい、読売新聞は4枚当たりました」と、大声で傍聴券を読売記者に渡していた。
私は地裁に対し、記者席をどういう手続きで選ぶのか、20社の社名を開示するよう求めたが、越田課長は再び「報道機関の取材過程にかかわることにはお答えできない」と返答した。裁判所が報道従事者の代弁をしている。
判決直後に裁判長が出す判決要旨を記者クラブメンバーにしか配付しないのは差別ではないか、と聞いたところ、「この事件の判決時に要旨が出るかどうかも言えない」と答えた。判決後も、「出したかどうか言えない」と言い放った。
私は4月8日、県警記者クラブに、裁判所は判決要旨を記者クラブ以外のジャーナリストにも配布すべきと思わないか、報道機関による傍聴券アルバイト動員はアンフェアではないか、などと質問した。
4月12日付で、「栃木県司法記者クラブ」(文責の氏名なし)から「加盟社で検討しましたが、当記者クラブとしてお答えする性質のものではないという判断に至りました」という「回答」があった。
4月から幹事になった産経新聞の豊嶋茉莉記者は8日、「裁判所と県警クラブの契約でクラブ加盟社がこの部屋を使っているので、クラブ関係者以外は使えない」と私に告げた。
「キシャクラブ制度」は廃止しかない
袴田事件で袴田巌さん、足利事件で菅家さんを犯人視しひどい記事を書いた記者たちは 順調に出世している。人権問題を重視する記者は、私のように人事で差別され冷や飯を食わされている。共同通信社内では、「浅野のようになるぞ」という脅しが実際にあった。
日本における表現の自由について調査した国連特別報告者、ディビッド・ケイ米カリフォルニア大アーバイン校教授は4月19日、暫定的な調査結果を発表した。ケイ氏は記者クラブ(英文でkisha clubと表現)制度について、「情報アクセス権を抑止するツールになっており、廃止すべきだ」と提言。報道評議会の設置も提言した。
ケイ氏が日本での現地調査を終えたちょうどその時、日本の報道が危機にあることを示す調査結果が出た。パリに本部がある非営利のジャーナリスト組織「国境なき記者団」は4月20日、2016年の「報道の自由度ランキング」を発表した。日本は対象180カ国・地域のうち、前年より11位順位を落とし72位になった。
日本のジャーナリズムが機能するためには、ケイ氏の助言どおりに、日本にしかない「キシャクラブ制度」を廃止するしかない。