シネマブロス 宗形修一
前回は、「棄民」というキーワードで、福島第一原発事故を背景とした国・東電と避難住民の関係を浮き彫りにしようとしたが、今回のキーワードは「歴史」と「現在」です。
テレビマンユニオンの今野氏の言葉が象徴的です。「〈時間〉をすべて自ら政治的に再編したあとで、それを〈歴史〉として呈示するのが〈権力〉である」と、彼は語ります。それに抗する術は、私たちにはありません。
私が痛切に願うのは、この世界的原発事故を歴史にしてはならないということです。2011・3・11を背負い今日の2016年4月15日を生きろということです。歴史として整序された言葉のなかで語られる3・11はすべて、私たちに違和感を持って受け止められ、今の自分の生きている位置に疑問を呈してきます。
私たちが「いま」を生きねばならないなら、この5年間の時間をどうとらえ返せばよいのだろう。マスコミは、この試練を乗り越える人たちの勇気を讃える。アル中になり孤独死する老人たちの死は、新聞のかたすみに小さく報じられる。
強いられた仮の人生
私は、補償金も大切だがこの5年間の43800時間の自分なりの時間が奪われた口惜しさこそが、帰還困難区域の人たちの本質的な部分だろうと思う。保育園児は小学生になり、小学生は中学生になった。高校生は大学生になり社会人にもなった。この5年間の強いられた仮の人生がどんなに辛いものかは、本人しか知らない。それは、補償できない人生の「すべての可能性」だから。
4月14日の熊本県地震も、われわれが真っ先に心配するのは川内原発であった。私たちが背負った放射能汚染の十字架を、鹿児島県民には負わせたくない、生きるために必要な原発が牙を剥けば、生活の本質をなす時間を奪いつくすというパラドックスが、この事故の本質なのです。
だが、私たちはひざを屈しているわけにはいきません。福島県の歴史は、1868年の会津戦争をへて明治10年代には自由民権運動において、西日本の拠点が高知県で東日本の拠点が福島県であった。当時の薩長藩閥政府と激しく闘った歴史と伝統がある。東北人の大人しく従順なイメージは、多分に明治政府のイメージ操作だろうと推測される。隣接する栃木県の足利鉱毒事件を闘った田中正造と農民たちも、北関東の「大人しい」と言われた農民たちであった。
高支持率を維持する安倍政権だが、福島県の支持率は28.4%(2015年6月・福島民報)である。沖縄に次いで低い支持率である。本質的な部分で、県民は理屈ではなく、皮膚感覚で安倍政権のうそとペテンを見抜いている。
私たちは、政権が過去にしたいこの福島第一事故をけっして、過去にはしない、本に収まった歴史にもしない、今を生きながら背負い続ける覚悟である。