スリーノンの女たち ちせ(写真撮影 鈴木和子)
11日、三春町での「原発いらない福島の女たち」の集いに参加。メンバー手作りのお結びと漬物、惣菜をいただきながらのランチ交流会。その後の全体会では、「今、伝えたい福島の現状―マスコミが伝えない事故から5年目のフクシマ」の講演。原発サイト内では1・2号機の排気塔の破断、汚染水や凍土壁の問題、被曝労働。
危険な「安全キャンペーン」
生活圏では県内1030カ所に積まれているフレコンバッグ、放射能ゴミの仮設焼却炉や中間貯蔵施設の問題、子どもたちの甲状腺ガンの増加。事故は収束していないのに、帰還政策で避難者を切り捨て、中学生を動員しての国道6号線の清掃や環境創造センターの開所など、安全キャンぺーンにつながる動きの危険性。動画を見ながら、武藤類子さんから説明を聞く。
午後3時からは、昨年10月開所した環境創造センター本館を見学。事故には触れず、「環境の回復・創造に向け」「安心して快適に暮らせる『福島』にする取り組み」をめざすという。3月に交流棟が完成したら、県内の小学生全員を参加させ「未来を創造する力を育むための教育」を行う、とのセンターの目的や職員の説明に、参加者から疑問や批判の声が上がった。
苦悩する事故後の生産者たち
その後、「地域と農家のためのコミュニティショップ『えすぺり』」に立ち寄る。30年近く農業をしてきた経営者夫妻の事故後の苦悩をシイタケ栽培農家の人形劇に仕立てたものを鑑賞。食の安全をめざし有機農業を営んできたのに、放射能汚染された土地で、どう農業を続けていけばいいのか。線量を計り、基準値以下でも数値を消費者に知らせ、判断してもらう、それが今のところの夫妻の結論。「食べて福島を応援しよう」には反対、でも、農家の覚悟や苦悩、不安に消費者としてどう向き合えばいいのか。
翌12日の午前中は、14年4月に真っ先に避難指示が解除された田村市都路地区を見学。都路には今も戻らず、三春で有機農業を続けているWさんがバスに同乗、案内してくれた。
彼女が30年近く栽培をしていた梅林に行く。無添加の梅干しは、おいしいと評判だったそうだ。青空の下、早春の日差しをうけて、木々や農家の屋根瓦が光る、のどかな山間の里。しかし、畑にはフレコンバッグの山。話を聞きながら、この梅林に今頃満開だっただろう梅の花が瞼に浮かぶ。「ここの、こしあぶらなどの山菜はうまかった。養鶏・豚・牛農家が多く、都路牛も評判だった」-そんな暮らしも原発事故で吹っ飛んだ。帰還政策で7割近く戻ったのは、ほとんど高齢者。
引き上げられた除染基準
亀の形の大きな岩があって脇から透明な清水が流れている所にも行った。整地されているのに、地面で計ると毎時0.4μSv超。年1ミリSvは毎時0.115μSv。1日8時間外にいても0.23μSv。春、幼子が野原をよちよち歩きすることも、タンポポやオオイヌノフグリを見つけて駆け寄ることも、絶対許されない。除染の目標は年1ミリSvだったのに、いつの間にか、避難指示解除は20ミリSv以下が基準。避難解除の説明会で反対したのは彼女一人。「放射能は危険だって言うと、帰還後米作りしている人たちから、そんなこと言うから米が売れなくなると非難される。でも、本当のことは言わねば」と、彼女は言う。
午後は「原発のない福島を!県民大集会」とデモに参加。人々はデモに無関心に見える。放射能排出効果があるというお茶の差し入れや、飛んでいた花粉に800Bqの放射能が含まれていたから気をつけてと「原発いらない女たち」。5年後の今も、農家はもちろん、福島で暮らすことの緊張や苦悩を実感したツアーだった。