【イスラエルに暮らして】今も入植者に奪われるパレスチナ人の家 イスラエル在住 ガリコ美恵子

「出ていかないぞ! 俺たちの家だ!」

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逆らえば容赦なく連行

 エルサレム旧市街イスラム教徒地区にあるパレスチナ人の家が入植団体に奪われた。

 2月17日朝、「アブ・アサブ家に警察が入った」と連絡がきた。行くと、数百人の国境警察、警察、治安警察が動員され、玄関に近寄ることもできない。一家が住む建物の1階と2階は数カ月前の判決によってユダヤ系入植団体に所有権が移っており、ユダヤ教右派が住んでいる。同建物に住むパレスチナ人は、アブ・アサブ一家のみとなっていたが、ついに最後の住民追い出しに着手したのである。

 アブ・アサブ家は、「2月28日までに退去せよ」との判決を受け、イスラエル人左派に連帯を求めていた。2月22日は玄関前で連帯デモを行い、23日からは私を含めた活動家が泊まり込むことになっていた。もしデモを行っていれば、イスラエル国民の注目も集まるだろう。告知はまだだったが、当局はこれを察知し、デモの前に襲撃したのである。

 警察が侵入して、夫ハッテム、妻ナイマ、6人の子ども、ハッテムの妹、計9人が監禁されて3時間が経った頃、隣家の扉が開き、ヒジャブ姿の女性が現れて私たちを手招きした。屋根の上にあがらせてくれるのだという。

 屋根に上ると、5m先に、アブ・アサブ家の窓があった。怒鳴り声や食器の割れる音がひっきりなしに聞こえる。ハッテムの声も聞こえた。

 「出て行かないぞ。ここは俺たちの家だ。借家証明書類も揃っている」。

 屋根で待機していると、家具が倒れたり、数人の男がもみあう音がして、ハッテムが殴られ、ナイマが悲鳴を上げた。家族は、家財道具を運び出すことも許されず、鞄一つで路上に放り出された。

 退去を拒んだハッテムと16歳の長男は逮捕され、両手を縛られて連行された。ハッテムの目には涙があふれていた。ナイマは、警察や入植者に向かって泣き叫んだ。

 「あんたたちに人の心はないのか? 夫と息子を返せ! 私の人生をずたずたにして!」

 この姿はパレスチナのテレビで繰り返し放映された。玄関前で抗議したハッテムの父は、警察に囲まれ、「黙らないとお前も連行する」と言われながら、壁に押し付けられていた。

 こうした混乱のなか、現場入りしたイスラエル人入植団体のリーダーの指示のもと、アブ・アサブ家の屋上にイスラエル国旗が翻った。

 数時間後、ハッテムと息子は釈放されたが、一家はホームレスになった。

 ナイマの両親は、西エルサレム・バッカ地区の家に1948年まで住んでいた。しかし、不在者財産管理法によりイスラエル政府の所有物件となったため、1950年代、ヨルダン政府の計らいで、旧市街でユダヤ人が空き家にした家に移住し、ナイマが生まれた。家賃はヨルダン政府に支払っていた。

 裁判では土地管理法が適用された。同法は、1970年成立。1948年以前にユダヤ人のものだった土地・家屋はユダヤ人が裁判申告できる。裁判でユダヤ人に所有権が移れば、パレスチナ人居住者は追放される。

 こんな事件はほんの一例だ。旧市街と周辺には、ユダヤ系入植団体に奪われた家や、奪われかけている家が多数ある。入植者が増えると、武装警察も増え、パレスチナ人の人権はますますないがしろにされることになる。

 

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