住宅打ち切りはね返し市営住宅へ「避難者の自治区」を作りたい

原発事故の避難体験談③ 

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羽石敦さん(茨城から大阪へ 2011年)
「関東からの避難者たち」集会では、茨城県から大阪に避難し、森松さんとともに活動する羽石敦さんも話した。3月末の無償住宅打ち切りに対して大阪市と交渉し、支援住宅は打ち切られたが、新たに市営住宅への入居を勝ち取り、権利を広げた。その成果を全ての避難者や住民と共有し、寄り集まって住む「自治区」を作りたいと話す。発言を紹介する。

【住宅は権利】

 私はJCO臨界事故(99年)が起きた東海村の近くのひたちなか市に住んでいました。3・11後は3日間停電が続き、テレビが点いたら3号機が爆発し、放射線量が通常の100倍になったのを見て、避難を決断しました。翌日、東京行きの高速バスに飛び乗って大阪まで来ました。
 安い1500円くらいの宿に泊まりながら、避難所に移り、避難者への住宅支援で公営住宅に移りました。今で4軒目の公営住宅になり、ようやく落ち着いたところです。 最初は高槻市の雇用促進住宅に3カ月ほど入りました。次は泉北ニュータウンの府営住宅に半年ほど入居。さらに西成の大阪市営住宅に5年ほど入居し、浪速区の市営住宅に至ります。
 しかし昨年3月、大阪市から「今年度で支援住宅を打ち切ります。大阪から出て行きますか、それとも家賃を払って住み続けますか?」というアンケートが届きました。たった一通の紙切れで、説明会も何もない。黙って打ち切られてたまるかと思いました。当初、楽観視していたのは、神戸の震災では公営住宅入居が10年間延長されたと聞いたからです。ところが今回は、突然6年で打ち切りと言われ驚きました。当事者が声を上げないと受け入れたことにされるので、ダメだとしても声を上げたいと思いました。
 私は原発賠償関西訴訟の原告でもありますが、もし住宅が打ち切られたら弁護士さんのアドバイスを得たいと思って原告になった面もあります。

【私はこう交渉した】

 まず私は、同じ支援住宅の避難者5人とともに、地元の維新の会の議員を訪ねて事情を話しました。しかし反応が鈍かったために、共産党の議員事務所にも行くと、ようやく話を聞いてくれました。その議員の紹介で支援者が増えていき、要望書を提出したり、大阪市や府と協議しました。許せないのは、大阪市はパブコメを募集したのですが、約140件の全てが打ち切りに反対でした。でもそれが全く反映されなかった。大阪市府議会への陳情請願が、テレビや新聞で報道されましたが、結局、家賃無償継続は打切られました。
 しかしその代わりに、災害による特定入居(継続入居か住みかえ入居)を勝ち取りました。ただ納得いかないのは、京都は入居から6年無償継続(最長の人であと約2年)されます。奈良県では、震災直後に避難者の意見を聞いて条例を改正し、無期限無償で継続されました。これは避難者や避難を希望する人々と広く共有したいことです。
 これは情報公開請求で判明したことですが、大阪市は当初は国に求償していないと言っていたのに、国に上限家賃で求償していました。その額なんと約5億円(地方交付税)です。これは兵庫県や京都府に比べても高く、奈良県は求償さえしてません。
 それまで私たち避難者は「大阪市の税金でお世話になって…」と肩身の狭い思いをしていました。ある母親は「あんたたちは家賃無償で住めていいなぁ」といじめられたそうです。しかし実際は、大阪市の財政に貢献していたわけです。利用するだけ利用し、国の補助が打ち切りになったら見捨てるのか、という対応で、許せない気持ちです。

数は力。集まって住み、影響力拡大を

 役所は個別対応で、避難者一人ひとりの力量を見ながらの対応でした。私のケースでは、空いていれば、どこでも入ることができました。たとえば中国出身の避難者のように、住宅問題に詳しくなく、言葉が不自由な状態に置かれている避難者は、「空いてない」と嘘をつかれたり、不便な物件を紹介されたりしました。結果、避難者間に格差が生じ、避難者の分断につながってしまいました。本当にこれは悲しいことです。
 今後どうしていくか? 数は力です。避難者が集まって住む。避難者自治区のようなものを作り、助け合い、力を大きくしていく。チャイナタウンのようなものです。そして地域、議員、行政、国へ影響力の拡大をはかるのです。避難者を無視できない存在にしていくために、「関東からの避難者もたくさんいますよ」と発信していく。「大阪を避難者の首都」にしていけたらいいなと思います。
 最後に、羽石さんとともに活動した地元の方も発言。関西で保養の取り組みをする黒田さんは「私自身は自分の問題としても取り組んだ。高浜原発の再稼働が近づく中、クレーン倒壊の事故を受けて近隣自治体が『説明会もなくなぜ再稼働するんだ』と凄く怒っています。避難者をなくす国の態度は、原発推進の政策につながってると思います」と話した。
 「居住と被差別を守る会」のメンバーは「昨年末に羽石さんと出会い、住宅明け渡し問題に数年来関わってきたので、人ごととは思えなかった。『大阪でみんな一緒に住もうよ』という提言は心に響きました。京都府・市に3月に住宅支援継続の要望を出し続けましたが、鉄扉を叩いてるような感触でした。暖かい言葉は言うけど、コミュニティの必要性については『他のところに当たってください』と言われるからです。
 同じ避難者が集まって住む重要性は、日雇い労働者が集まる釜ヶ崎や山谷を見ればよくわかる。大阪の次は京都などでのたたかいを作らなければならないと思います。」

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