リオも東京もオリンピックはいらない!

「グローバルメガイベント闘争と我々の生」報告

 建築家・都市研究者 ジゼレ・タナカさん
 3月5日、大阪市内にて「グローバルメガイベント闘争と我々の生」が開催された。2020年東京オリンピックが3年後に控えるなか、本講演の登壇者であるシゼレ・タナカさんのリオ・オリンピックでの闘争の経験を読者にお届けする。(編集部)

 私は基本的にオリンピックを「排除のゲーム」だと考えています。
 リオでは人口の22%がスラムに住んでおり、スラムで生きることは、リオで生きる現実のひとつです。オリンピックが決まると、多くの人々は喜びました。「投資でお金が下りてくる」と考えたからです。95億ドルがオリンピック予算として計上されていました。しかし、以下に述べるように、実態は人々の期待したものと全く異なったものとなりました。
 リオ・オリンピックに関連した都市計画の策定は、民主的な過程を経て決まったものではなく、巨大企業が決めたものです。オリンピックと無関係な再開発が、大々的に行われました。
 市当局は「綺麗なイメージを打ち出して街を変える」と表明しましたが、実際にはとてもずさんなプロジェクトでした。この結末は人々に押し付けられていくことになります。市当局は、露天商たちを不当逮捕し、暴力的な破壊行為に及びました。都市部で野宿する人たちは、郊外40㎞の場所に強制収容されました。また、法的根拠すらなく、「盗難対策だ」と標榜して公共交通機関を止め、貧困層の人々がビーチに行けないようにしました。社会運動を委縮させるために新しい法律をつくり、この法律によって平和的なデモを逮捕・弾圧し、パソコンや運動関連の資料を押収していきました。
 労働問題でいえば、オリンピック建設現場で働く労働者は不安定な雇用条件で働かされていました。圧力がかけられている裁判所は労働者の側に立たず、オリンピックの開催を優先させました。
 環境問題でいえば、政府が指定する環境再生エリアにゴルフ場を造成しました。リオにはゴルフ場がすでに2つもあり、もっといえばリオでゴルフは人気がないのです。大規模な不動産事業として、不必要に大きいものをつくり、22カ所に新しいホテルを作りました。芝生は「緑のイメージ」を作り出していますが、私たちは緑の砂漠と呼んでいます。維持するのに人工的に手入れしなければならないからです。
 2010年には、私たちは他都市とも連携した社会運動の連合体をつくり、反オリンピック委員会を創設しました。共通のテーマとしては、①人権侵害に異議申し立てること、②都市の発展を問い直すこと、③投資は貧しい人のためではないこと、を明らかにすることです。

五輪はコミュニティを破壊する反五輪は世界共通の課題

 オリンピックはスポーツのためではないと考えています。一例をいえば、ブラジルで有名なマラカナスタジアムを、多目的競技場とショッピングモールに作り変えようとしました。マラカナスタジアムは地域住民のためのスポーツ場や、宗教行事をはじめとした多目的な場所として機能しており、改築工事は必要ないと訴えてきました。しかし、地域住民のためのスポーツ場は駐車場に変えられ、廉価な公営プールは閉鎖されました。
 オリンピック会場付近の地域では、機動隊を子どものデイケアセンターに駐屯させて、コミュニティを監視しました。「薬物密売を取り締まるため」と言っていますが、コミュニティに必要なのは、福祉や子どものための教育事業など社会的投資です。子どもを含む2500名が機動隊によって殺害されました。
 20万人の人々が強制退去の危機にさらされ、少なくとも7万7千人が排除されました。市当局が「福祉プログラム」を名目に排除を行ったのです。直接排除だけではなく、脅しもかけて、退去への補償もわずかでした。ブラジルの住居関連の法律は進歩的ですが、市当局は法律に基づいた行政サービスを提供していません。
 リオ市内にあるヴィラ・アウト・ドロモは、立ち退き対象の他のコミュニティと違う展開になりました。大学から援助を受けて、オリンピックを名目にした再開発に対抗するプロジェクトを打ち出しました。アウト・ドロモでは留まり続ける計画を人々が話し合って決め、案をリオの市長に手渡しました。ヴィラ・アウト・ドロモの取り組みはドイツ銀行から「民主的に人々で作り上げたこと」を評価されて賞を授与されました。
 さらに、オリンピックのメディア露出を逆に利用し、メディアに排除の実態を暴露しました。ワールドカップ開催があった2014年には、公共交通機関値上げ反対と警察暴力を訴える大規模なデモが開催されました。「ワールドカップのためではなく、社会的投資を」と訴えました。また、インターネットの国際キャンペーンで、世界各地から排除反対の声を集めることで、巨大イベントに対抗する人々の言論を作ってきました。結果的に、リオ市長をヴィラ・アウト・ドロモと交渉テーブルにつかざるえない状況に追い込みました。
 その後、市長から「コミュニティを存続させるが、150世帯しか残れない。道路建設などで用地が必要だからだ」と代替案を提示されました。道路建設はウソで、コミュニティ排除のためでした。こちらが調べた結果、ほとんどの住民が残ることがわかりました。ヴィラ・アウト・ドロモの戦いを契機に、ほかの地域でも組織がつくられました。市長はメディアからヴィラ・アウト・ドロモについて聞かれると「交渉中」だと答える一方で、住民に「24時間以内での退去命令」などを下しました。私たちは排除される家に集まるなどして、直接的に抵抗しました。
 オリンピック開催3カ月前に、市長が「新しいプラン」を表明し、強制退去を執行し続けました。私たちは、市長の記者会見の目の前で記者会見を行いました。そこでは、市長のプランの実態を暴露しました。交渉に応じる、応じない、お金を受け取る、受け取らないはコミュニティを分断するための手段でしたが、補償を得て新しい家を建てられた人もいました。
 最後に言いたいのは、数々の暴力のなかで、取り組み続けて明らかとなったのは、オリンピックのイメージを変えられたことです。オリンピックへの投資は人々の生活を向上させるどころか、コミュニティを破壊していったネガティブなものだったと認識しています。反五輪を国際的な運動にしなければなりません。これは「ブラジルが途上国だから」なのではなく、世界共通の課題です。

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