イスラエルに暮らして ヌーラの抵抗

繰り返されるベドウィン集落撤去・家屋破壊

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イスラエル在住 ガリコ美恵子

 ヌーラ・スブ・ラバン(61)は、夫ムスタファ(67)、未婚の息子と娘、息子アフマッド(37)と嫁と孫2人の8人で、エルサレム旧市街、黄金に輝く「岩のドーム」が見えるイスラム教徒地区アル・ハリディヤ通りの小さな建物の一部に住んでいる。8人で住むには小さすぎる3部屋の家だ。
 イギリスがパレスチナを植民地にした20世紀前半、パレスチナにユダヤ人を居住させる=シオニズム運動が勢いを増していた。イギリス政府軍とユダヤ人テロ組織が各地でパレスチナ人を虐殺・追放、約60万人のパレスチナ人が土地を追われ、外国またはガザ及びヨルダン川西岸地区へ避難(ナクバ)。一方、旧市街を含む東エルサレムに住んでいたユダヤ人は、後にイスラエル領となる西側などに移住。1948年、イスラエルが建国され、東エルサレムとヨルダン川西岸地区はヨルダン領となり、ユダヤ人が空家にした家屋は、ヨルダンの管理下におかれたのである。
 これら元ユダヤ人の空家に、イスラエル領となった西エルサレムからヨルダンに避難した後、ヨルダン政府と借家契約を交わして、移り住んだパレスチナ人がいる。ヌーラの父母もそうした一家だ。この家に引っ越した1953年時点では、ヨルダン政府管理局との契約で「最低3世代はここに居続けることができると保障された、という。ヌーラは56年にこの家で生まれ育ち、アクサ寺院の警備員ムスタファを婿に迎え、5人の子どもをもうけた。
 ところが1967年、イスラエルによるパレスチナ占領が開始されると、家の権利はヨルダン政府からイスラエル政府に移され、夫婦は家賃をイスラエル政府の土地家屋管理局に支払うようになった。さらに1970年、「土地管理法」(イスラエル建国以前にユダヤ人が所有していた土地家屋は、裁判が認めれば、居住しているパレスチナ人を追放し、申告者のものとすることが可能)が発布されて、居住権が脅かされることになった。ちなみにパレスチナ人が失った土地財産を子孫が奪い返すことは認められていないので、不平等は明らかだ。
 通りを挟んで正面の建物に住んでいた叔父一家は、「治安上の理由」で強制退去させられ、ユダヤ人入植者が移り住んできた。ヌーラらの建物は2010年、イスラエル政府からユダヤ人入植者団体アタラ・リシュナ(現在のコレル・ガリシア・トラスト入植推進団体)に贈呈された。この団体は、1930年代頃同建物にユダヤ人が住んでいたとして、ここに住むパレスチナ人たちを立ち退かせるよう裁判に訴えた。上階と隣に住んでいたパレスチナ人は、入植者による嫌がらせや脅迫に耐えきれず引っ越してしまった。現在、建物に残っているパレスチナ人はスブ・ラバン家のみである。
 入植者が行う嫌がらせを紹介する。息子夫婦と孫が眠る部屋の壁向こうから、入植者が電動ドリルで大きな穴を開け、何箇所も貫通させた。ヌーラは警察を呼んだが、異議申し立ては却下され、仕方なく自費で穴を埋めた(上写真)。
 裁判は2014年から開始された。ヌーラは、最高裁まで争い、息子・アフマッドは、イスラエルの人権保護団体や国際機関に保護協力を求めた。これを受けて2015年、イスラエル左派は何度もヌーラの家の前で入植反対デモを組織。国内外のジャーナリストが来て報道したので、スブ・ラバン家の闘いを知らぬ者はいないほどになった。私も、デモには3度参加した。デモ隊は、太鼓を鳴らし大声で繰り返し、こう叫んだ。「恥知らず。盗人。ここはパレスチナだ。イスラム教徒地区だ。入植者は出て行け!」(下写真)。ヘブライ語の抗議の声を聞き、家にいた入植者たちは窓をぴしゃと閉めた。入植者の子どもが自分たちのことを「恥知らず」と呼んでいるイスラエル人たちを、不思議そうにベランダから見ていた。
 3度目のデモは、パレスチナ人とイスラエル人合同で、スブ・ラバン家から、入植活動が盛んなシェイク・ジャラ地区まで行進した。しかし私達デモ行進隊がダマスカス門を出た所で軍警察は催涙弾などで攻撃し、数名を逮捕した。私は「入植反対」とアラビア語で書いたプラカードを脇に挟み走った。走りが速いわけではないのに私が逃げ切れたのは、アジア人の顔だったからだと思う。

トランプ就任で勢いを増すパレスチナ人追放

 2015年12月、ヌーラ一家は国内外の報道機関を招いて記者会見を行い、EUに保護協力を要請。EUは要請を受諾した。そもそも土地管理法は、「旧市街のイスラム教徒地区はモスレムの居住地区」とされている国連安保理決議を無視したものだが、6年にわたる裁判闘争が繰り広げられ、翌16年12月21日に出されたイスラエル最高裁判決は以下のとおり。
 (1)今後10年間、ヌーラと夫のみその家に住んでよい、(2)ヌーラまたはムスタファが家に居ないときに子どもや孫が家に入ると違反行為とされ、家族全員が家から追放される、(3)10年経っていなくともヌーラ夫婦が亡くなれば、家は入植者のものになる、(4)階下の倉庫は入植者が取得してよい―という内容だ。
 2月末、スブ・ラバン一家を訪ねた。階下倉庫では、ユダヤ人新入植者が入居の準備を進め、小奇麗なワンルームマンションになるよう工事が進んでいた。ヌーラの話を紹介する。
 「2週間前に、入植者団体が息子アフマッドに脅迫メールを送りつけました。『父母がいない時にお前たちが家に入れば、警察を呼ぶ』というのです。また、家主である入植者団体の許可なしには、家の塗装(湿気による壁の崩壊・カビ対策)が許されていません。カビでボロボロ崩れ落ちてきている壁の修理すら、彼等は承諾しません。私は、カビから発生する成分の混ざった空気を吸っているため、肺に支障をきたしており、肌にもカビ状のものが発生して痛みます。ヘルニア腰痛に苦しみ、膝痛もあります。定期的に通院して薬を飲んでいますが、通院のたびに入植者に家に侵入されるのではないかと、心が落ち着きません。でも私は、正義を求めて闘います。最高裁の判決どおり、10年間はここに住み続けるつもりです。入植者の脅迫にくじけないよう、心を強く持とうと心がけています」。
 冬の真っ只中なのに、乾燥させるために窓は全開になっていた。それでも、石壁一面を覆うカビの異臭が鼻をついた。北海道パレスチナ医療奉仕団の猫塚医師に、彼女の手の写真と説明をメールで送ると、以下の診断が返ってきた。「医学的に手の皮膚症状と肺のアレルギー症状の発生は十分考えられる。カビ=真菌感染症だと思う」。
 イール・アミム人権保護団体によると、スブ・ラバン家はエルサレム旧市街内で追放危機にある9家族のうちの1軒であり、うち3軒は、ヌーラと同じ通りにある。
 「イール・アミム」と「ピース・ナウ」によると、ナタニヤフが首相になった2009年以降、エルサレム旧市街内の入植者数は70%上昇し、パレスチナ人の60家族が旧市街から追い出されている。
 旧市街では、「コレル・ガリシア・トラスト」や「アテレット・コハニム」、シルワン村では「エルアド」などの入植推進団体が、政府の協力を受けて、パレスチナ人の追放と土地家屋の乗っ取りを専門に行っている。2009年以降、東エルサレムの入植者に対する政府のセキュリティ予算は、19%増額した。
 裁判所が「コレル・ガリシア・トラスト」にスブ・ラバン家追放の告訴権利を認めた2014年、この事案は国際的注目を浴び、米国外交官とEUは一家の追放危機に関心を寄せ、保護協力を考慮すると返答した。
 しかし、米国大統領がトランプになった後に出された最高裁の判決は、スブ・ラバン家を決定的危機に陥れている。追放の危機にあるのはスブ・ラバン家だけではない。ここ2~3カ月でパレスチナ人の追放は勢いを増した。パレスチナ人の家屋撤去やベドウィン集落壊しは、毎日のように繰り返され、西岸地区のあちこちでユダヤ人街を作るための入植地づくりが、急ピッチで進められている。

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