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国家暴力は差別的指導者の反映

 

軍学共同研究を進める、日本学術会議大西会長に問う

 阪南大学経済学部准教授 下地 真樹
2015年、「安全保障技術研究推進制度」が創設された。防衛省主導で研究予算を配分する、いわゆる「軍学共同研究」のための制度である。現在、この制度を通じた資金による研究がすでに開始されており、制度3年目となる今年は、前年度の6億円から一気に100億円超が予算として概算要求されている。この増やし方から見ても、防衛省が力を入れて推進していることは確実だ。
 日本においては、学者・研究者の軍事研究への協力という面では、長らく大きな歯止めがあった。日本の学術界の中心とも言える日本学術会議が出している二つの声明だ。それぞれ「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」(1950年)、「軍事目的のための科学研究を行わない声明」(1967年)とのタイトルがついており、検索すれば日本学術会議HPの当該文書がヒットし、全文を読むことができる。
 その日本学術会議が、この従来見解の見直しも視野に入れた検討会議を開催している。この1年近く議論してきて、従来の絶対反対を踏まえた意見が数多く出され、市民団体からも見直し反対の署名など多数の反応が寄せられているはずであるが、大西現会長は「(戦争目的の軍事研究は認められないが)自衛目的の研究まで否定されているとは思わない」と述べ、要するに「自衛目的」の研究は容認する方向での見解をまとめようとしている。しかし、戦後日本の具体的な現実を見るとき、この大西氏の見解は絶望的にまちがっている。以下、いくつか理由を述べる。
 第一に、戦後日本は、日米安保条約に基づく広大な軍事基地の提供などを通じて、ベトナム戦争をはじめとするアメリカの戦争にたびたび加担してきた。周知のとおり、米軍の秘密工作によって大規模な軍事介入につながったベトナム戦争、「大量破壊兵器の保持」というデマを前提におっぱじめたイラク戦争。いずれについても、責任ある人々の誰一人として、反省はもちろん、まともな見解すら表明されていない。言うなれば、これらの戦争への加担は現行憲法の「平和主義」からも(自衛戦争は可との憲法解釈における)「自衛目的」からも逸脱していない、というのが現日本政府の公式の立場である。その上で、大西会長に問いたいが、これら戦後日本の戦争加担について、あなたはどう考えるのか。
 第二に、戦後日本が、日本軍「慰安婦」問題への対応をはじめとして、第二次世界大戦時の戦争責任についてすら誠実に向き合っていない事実である。「南京大虐殺はなかった、日本軍『慰安婦』問題はでっち上げ、控えめに言っても誇張だ、ほかのどこの国でもやっていた当たり前のことだ」といった発言が、現職の政治家や彼らとすこぶる密接な関係にある言論人の中からたびたび発せられる。こういう現実を、大西会長、あなたはどう考えているのか。安倍現首相の戦後70年談話を読んで、どう思うのか。
 要するに、日本政府は戦前の戦争であれ戦後の戦争であれ、およそ日本国家として関わった侵略戦争について、およそ誠実に責任を果たそうとしていない。それらの戦争を「正当なものではなかった」との認識を日本社会に定着させるためのあらゆる努力を怠っている。そういう日本政府の現実を踏まえて、こういう政府が「軍事目的」と「自衛目的」をどのように区別しているのか、その点を大西会長はどのように考えているのか。自身の考えをつまびらかにすべきではないか。
 だいたい、軍学共同研究を支持する意見は二種類に分けられる。歴史修正主義に基づいて、侵略戦争を「自衛のため」と言い張るか、さもなければ、(大西会長のように)過去と現在の日本政府による侵略戦争実施および加担の事実を黙殺するか、だ。実際、大西会長は事あるごとに「自衛目的まで禁止されているとは思わない」との一般論しか述べていない。
 大西会長、もう答えは出ていますよ。これ以上詭弁を弄するのはやめるべきだ。

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