沖縄 辺野古 「弱さ」を力に国家暴力と対峙する

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現地報告 キャンプシュワブ沖 海上座り込みによる抵抗

 カヌーチームメンバー ぱぐ

10カ月ぶりの海上作業再開新年からカヌーで阻止へ

 2016年の末、恐れていたことが現実になった。辺野古崎から直線距離でたった約5㎞の安部にオスプレイが墜落。一番近い民家からはほんの800m、墜落までのあと数秒でさらなる大惨事になってもおかしくなかった。
 小さな集落は米軍に規制され、地元の名護市長も立ち入れず、海上保安庁の調査もできなかった。また、同じ晩に、普天間基地でもオスプレイが胴体着陸していた。
 それなのに、たった1週間でオスプレイは再び沖縄の空に重低音と不安をまきちらしはじめた。今でもまだ安部の海にはオスプレイの破片が飛び散ったままだ。そんな欠陥機を操縦させられる海兵隊員は、どんな心境だろうか。
 そして迎えた新年1月4日、朝から海上行動の仲間は辺野古に集った。海上工事のための作業再開をさせないための監視、そして阻止のために、朝日を受けて輝く海に漕ぎ出した。

海面に身を投げ作業船にしがみつく

 午前中、大浦湾のキャンプシュワブの浜では、これから海を分断するためのオイルフェンスやフロートを、陸上のクレーンで整理する作業が行われた。
 仲間が船のスピーカーで呼びかける。
 -作業員・海保・警備員のみなさんが仕事を請け負う立場も理解しているが、貴重な海を埋立て、人殺し訓練をする米軍基地を造り、住民の生活を危険にさらすことに加担しないでほしい。作業を中止してください!
 クレーンが動くたびに抗議の声を上げ続けた。肝心の防衛局や米軍は姿も現さず、労働者と私たちを対立させようとしている。
 午後も監視を続けていたが、3時になっても海上作業を開始しそうな様子がない。それでも海の上で長時間、波に揺られ風にさらされ、異変がないか海上のあちこちに目を走らせ続ける。いつもならそろそろ帰ろうかという4時、急に動きがあった。作業船が先程のオイルフェンスを海に引き出し始めた。
 昨年3月4日から中断されていた辺野古大浦湾の埋立に向けた工事が、ついに10カ月ぶりに再開されてしまった。
 カヌーメンバーは、体をはって非暴力の阻止行動を試みる。海面に身を投げだしオイルフェンスや作業船にしがみつく仲間、その仲間を「確保」するために海保のゴムボートが暴走し、カヌーが転覆しそうな勢いの大波をたてる。仲間が危険にさらされるのを見て、はがゆくて仕方がない。必死の抵抗にもかかわらず、1時間程度で作業は完了した。しかし、その「作業」は、私たち海上行動の船やカヌーの侵入を妨害するためにオイルフェンスをはる、というものだった。

新基地建設を強行する安倍政権非暴力による抵抗

 そもそも、オイルフェンスやフロートの設置は本来の埋立工事には必要のない作業、私たちの海上での抵抗のために、日米政府はいやがおうにも作業工程を増やさなければならない。わざわざ侵入防止用のためだけの特注の「海上フェンス」を準備するくらいだ。
 そうやって時間を引き延ばす間、結果的に埋立工事に必要な作業を阻止している。この文章を書いている時点では、まだ埋立工事そのものには着手させていない(ただし、準備のための潜水作業は各ポイントで行われている)。
 私たちがカヌーを中心に非暴力・説得・直接阻止行動をする理由は、「弱さが力」だから。メンバーは決して体力に自信があるわけではない、腰痛持ち・小柄な女性・60代以上・運動オンチのメンバーも多い。お互いに弱さを助け合うからこそ、日米政府が押し付けようとする「力」と真逆だからこそ、立ち向かうことができる。
 その想いを支えているのは、サポート船・ゲート前・浜のテント・各地で活動をするみなさん・命尽きるまで基地建設を止め続けた仲間…全ての人のおかげで海に出ることができる。
 たゆたいながら海を眺める時、今までこの海が自然のままあり続けているという喜びが湧いてくる。あと何年先にもこの財産を遺したい。
 日本最大級の掘削船が来るということで、緊張が続く。今後の工事行程表や報道を見るたびに、明日はどんな作業がされてしまうのだろう、刻一刻と変わりうる状況で一体どうやったら止められるのだろう、怪我人や不当逮捕は大丈夫だろうか、血の気がひくような不安にかられる。
 それでも少しでも引き延ばしている間に、世界中の仲間が草の根から世論を動かし、いつの日かきっとみんなの力で新基地建設を止めると信じて、今日も海上で仲間が地道な監視を続けている。

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