【境界線上に立つ2】異なる世界観を持つ人に交わり、内省すること

「職場」という闘争の場

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片岡英子(会社員・大学院生)×日野貴博(学習支援団体アトラス代表)

 連続対談「境界線上に立つ」第2回目のテーマは「職場という闘争の場」。片岡さんは民間企業勤務、日野さんは学習支援団体の代表で、傍からみれば「今風の若者」にみえる。
 対談者の異なる分野から、1.現代社会への問題意識と現場の実態、2.その現場に携わる報告者自身の内省、3.新自由主義社会の中でどう生きるのか、を語ってもらった。
 日本社会は、教育現場から職場まで、あらゆる日常に戦前回帰が見られ、一方で新自由主義的価値によって行動することが「常識」とされている。
 主流世界に身を置きながら、内省/根治的問いを抱き続ける対談者の営為を通して変革の展望を探りたい。

(編集部・ラボルテ)

誰かがこぼれ落ちている感覚

日野:「アトラス」は滋賀県大津市と守山市で生活困窮世帯の子どもの学習支援と居場所づくりをしています。また、今年の3月まで社会福祉協議会に勤務し、こども食堂という事業を担当していました。

元々、教員を目指していたのですが、原体験を振り返ったとき、「一生懸命優等生になろうとした自分がいたこと」「他方で、自分一人でできることが少なく、このままで自分は生きていけるのだろうか」という自信のなさなどを感じていたことが浮かび上がりました。

そうした葛藤や気づきを出発点に、子どもたちをとりまく社会環境を考えると、「学校教育は、子どもが大人になった時に生きていける力を育めているのか」と疑問を強くもちました。加えて、「貧困の連鎖」という問題に出会ったことがいまの活動に結びついています。

いま、「子どもの貧困対策」が謳われていますが、貧困家庭の子どもが高校や大学に進学し、就職できたとしても、その席の数(パイ)は決まっています。「僕が関わっている子どもは進学・就職することができた。でも、目の前にいない誰かがこぼれ落ちているのでは」という感覚もあります。現代社会に迎合しつつも、「もがきながら活動しているのかな」と思います。

片岡:京都の大学で博士後期課程に在籍しながら、民間企業で正社員としてフルタイムで働いています。社会活動としては、靖国違憲訴訟や京都YWCAなどに関わっています。研究テーマはBC級戦犯です。BC級戦犯とは、アジア・太平洋戦争後に「戦争犯罪人」として連合国による戦犯裁判で裁かれた人々で、主に中間管理職的な指揮官クラスや学徒兵などが裁かれています。

戦後、日本は連合国による占領から独立を果たしましたが、BC級戦犯は収容され続けました。その中で、「彼らは戦争の犠牲者である」と釈放を求める声が広がっていきました。

BC級戦犯は戦争の被害者であると同時に、日本軍の残虐行為が事実であった以上、加害者であることも否定できません。「被害者としてのBC級戦犯」という見方のみでは、アジアの人々をはじめとした犠牲者の存在を無視しているわけです。

しかし、BC級戦犯当事者のほとんどは、「上官命令だったから」「抵抗できなかった」という心情でした。一方で、戦犯とされた人の中には、裁かれたことを真摯に受け止め、「してきたこと」を手記などで告白する人もいます。

戦後日本社会は、「犯した罪の葛藤や告白」に対して、無視し続けてきたのではないでしょうか。「戦犯を助けよう」と平和運動を進めた人たちは、「犯した罪の葛藤や告白」などの内的営為を見捨ててきたのではないか? という想いから研究活動を進めています。

これは、私が一般の民間企業に就職した理由にも通底しています。生活上のこともありますが、「民間企業に入れば戦犯の葛藤に少し近づけるのでは」と考えていました。

極端な表現かもしれませんが、民間企業社会は、構造的には「日本軍と同じ」です。例えば、丸山眞男が「無責任の体系」「抑圧移譲の原理」と呼んだように、「上司の命令だったから」として、「上に上に」と責任転嫁していく構造原理は、現代社会と地続きです。

人権研修を担当して見えたこと

司会:一般企業という中で人権研修に取り組んでいるとのことですが・・・。

片岡:人権研修は会社では必須です。取引先に公共団体が関わってくると、人権研修の有無が取引要件に入ります。しかし、実際の人権研修というのは形骸化しているのが実態です。私の会社での研修は、2カ月に1度、DVDを観てディスカッションの機会を設けるといった簡単な形式です。

同和(部落)問題に対しての社員の反応は、「知らない」「昔の話やし、もういいやろ」というのが一般的です。あとは、「寝た子を起こすな」「目に見えていないのだから、問題ではない」といった反応も返ってきます。そうした反応に対して、自分の友人の経験などを交えながら、遠回りに伝えたり、試行錯誤しながら取り組んでいます。

また、「社内塾」の制度があり、会社に置いてあるビジネス書を中心とした本を読んでレポートを出すと、人事考課にプラスになる制度があります。私はそこで本を選ぶ権限を得たので、人権関連や社会的問題について経済学視点から書いている本などを配架しています。

歯止めとして

日野:どういう人が伝わりやすかったのでしょうか?

片岡:感覚的ですが、人の考えを否定しない、柔軟な考えをもっている人ですかね。逆に、はっきりとした否定的反応を示す人には、伝えることができていません。例えば、KARA(韓国系音楽グループ)が大好きで、毎月ライブに通ってた同僚がいました。それが、独島(竹島)の領有権をめぐって日韓関係が悪化して以降、「韓国系グループのライブには一切行かない」と話すようになりました。何をどう信じてそうなったのか分からないのですが、彼女なりの理由があったのかもしれず、職場の中では伝えづらいです。

私が「BC級戦犯の研究で大学院に行っている」と会社の人に言うと、ほとんどが「BC級戦犯ってなんですか」という反応です。人権研修をしていても、問題を問題として捉えられる感覚に乏しい人が多いと感じます。でも、その中でも少しずつ伝え続けることが大事だと思うんですね。「韓国嫌い」「靖国問題とか興味ない」「戦争犯罪とか知らない」といった考え方を変えるのは大変です。

でも、そんな考え方ばかりではないということだけでも知ってほしいんです。例えば、安倍が「靖国を参拝する」と言った時に、「片岡さんは靖国は嫌やって言ってたな」と思い出してくれたら、十分です。そうした些細な引っかかりが、何かの歯止めになることもあるのかもしれない、と思っています。

日野:僕の前職でも「自分の人権感覚をみつめ直そう」というテーマの研修がありました。そこでは、イベントなどで用いるアンケートの性別欄が「男/女」の二択しかないことに強い違和感があったので、そのことを話したのですが、変わることはありませんでした。

司会:職場は多くの時間を過ごす場所であり、そこで闘うことはとても難しく、地道で苦痛も伴う作業だと思いますが、それでも職場を「闘争の場」と捉える理由は。

「欺まん」でない生き方

片岡:いま、ここにいる人たちの関心や話す言葉、共有している感覚や世界観は、同じような色をしているのではないでしょうか。でも、親や地元の友人たちが見ている世界は、同じ色ではないと思います。こっちの人には通じる言葉でも、あっちには通じないことが多くて、「果たしてこれはなに?」と悩み続けていました。

職場で出会う「無関心な人たち」は、私自身も「出会い」がなければ、そうなっていたのかもしれません。その境界線にある人に働きかけないと、何も変えることができないのでは、と思っています。

「無関心な」友人たちと話していると、「活動家の人たちは、『普通の人』ができないような『いいこと』に取り組んでいてすごいと思うけれど、『参加して』とお願いされても、自分は休日は休んだり遊んだりしたい」と思っていたり、「なんだか怖い」というイメージも持っているようです。さらに、「社会問題に関われない自分は『悪い人』に思えてくる」という後ろめたさのような感覚を持っている友人もいます。

例えば、募金活動があるじゃないですか。学生がいろんな所で「お願いします」と呼びかけているけれど、全部に応じると、キリがなくて・・・でも申し訳なくも思って、募金箱の前をうつむきながら通り過ぎたりする。そういう感覚に似ているのではないでしょうか。

それで最初から「無理だ」と思い込んだり。私の友人は「何もできなくて、ふがいない」とも言っていました。貴重な休日を全て費やすほど熱意はないけれど、活動の意義などは理解している人は、他にも多くいると思います。活動に熱意が求められるなら、求められる「熱意」に比例して、限られた人しか関わることができなくなっていきます。

私が会社の中でやりたいのは、「無関心な人」が抱いているだろう疑問に応えていくことです。それも呼吸するように自然な形で。会社の中や実家、身近な関係で伝えることが大事な営みだと考えています。

この意識は、指導教授の教えに影響されました。真宗では「真俗二諦」(シンゾクニタイ)という考え方があります。「真諦」(シンタイ)が仏法で、「俗諦」(ゾクタイ)が王法です。これが戦前では、「俗諦」とは国家が決めたことであるとされました。この理論で真宗の仏教者は「仏の教え」のもとに戦争を積極的に肯定し、門徒を戦場へと送り出したのです。

この事実を示した上で、指導教授は私に「真俗二諦的になってないか? 場によって話すことを変えるなら、あなたの生き方は欺瞞的だ」と批判しました。自分がこういうところで話すことと普段の自分が違うことのほうが、怖いことではないでしょうか。

戦前回帰の時代の中で

しかし、いま、日本社会が「戦前」になりつつある中で、最悪の政治状況に陥った時に抵抗できるか自分自身不安ですし、「真俗二諦的にならないように生きる」とか「闘争しろ」というのは、強者の考え方だと思います。

きっと、最悪の政治状況に至れば、日本人のほとんどの人たちが「仕方がないこと」と捉えて流されていくと思います。そうなる前に、その一歩手前で「無関心な人たち」とも手を取り合って立ち止まれるのか、ということが重要だと思います。

ただ一方で、現在は、「無関心な人たち」と手を取り合いやすくなっている情況でもあります。安倍首相が集団的自衛権や改憲を言い出して、私の話すことに興味がなかった人たちも関心を持ってくれるようになりました。

これは嬉しい反面、かなり切実な問題なのではないかとも思います。「無関心な人たち」の政治への関心が、当事者としての「戦争に参加させられるかも」という危機的状況から出発しているからです。無関心でいられることの権利もあるのだろうなとも思いました。

人は自分の周りの閉じた世界で住んでいます。目の前にいない誰かをいたわることって、とても難しいことです。だから、「無関心」というのは平和状態の現れだったのかな?とも思うのです。「戦争なんて昔の話」という感覚がなくなっているんです。

編集部:嫌な言い方になりますが、日野さんは子どもの学習支援を自らの現場として、子どもたちを現代社会のレールに乗せようとしていますよね。なるべくいい学校や会社に行かせようとしている。でも、「レールに乗せようとしている」営みそのものについて、どのように考えていますか。

日野:問われていることとは少し違う答えになるかもしれませんが、自分の問題意識として、20代の死因の約半分が自殺(厚生労働省人口動態調査/2010年)というデータがあります。

実際に、僕にも自殺した友人や大学院生活の失敗からひきこもり生活を始めた友人がいます。彼らは貧困家庭ではなく、中流階級以上の家庭でした。また僕自身も、中流階級の家庭で育ちましたが、少なからず生きづらさを感じて学齢期を過ごしてきました。

それは、「いまの社会で『椅子』が減り続けていることから、貧困家庭でなくとも椅子に座りづらい、生きづらい社会になっている」ということであり、「いい学校・会社へ行くことが幸せ」というレール自体が不安定になっているということだと思います。

「無関心」な人につながる工夫を

「子どもに教える・育てる」という立場になると、子どもに「いい人生を送ってほしい」と思ってしまうものですが、そういう意味では、僕はあまり子どもたちを「いい人生」のレールに乗せたいと思っていません。とにかく自分にも他人にも優しく育ってくれたら、それでいいなと思います。

あと、一見無関心に見えるサイレント・マジョリテイの人の中にも、「誰かの役に立ちたい」と思っている人は少なくないんだな、ということを最近感じています。

「勉強は教えられないけれど、飯は作れる」「現場には行けないけれど、野菜は差し入れできる」と関心を持ってつながろうとしてくれる人たちが出てきているのはとても重要なことですし、そうやって一見無関心に見える人たちと手を取り合える工夫をどんどんしていくことがこれから求められているのかなと思います。

僕自身、学齢期は親に、今は活動に詳しい先輩方に、助けられながら生きています。関わる子どもたちが困難に直面したら、まず隣で一緒に悩む大人でありたいと思います。

加えて、雇われたり、いい会社で働くというレールではなく、「レールから外れても生きていけるよ」ということを示したり、レールから外れても生きていける力を育んでいくという関わりもできたら、と思います。あわせて、「困っても助けてくれる誰かがいる」ということを感じてもらいたいですね。

新自由主義社会をどう生きるか

司会:新自由主義的な現代社会に対しては?

日野:新自由主義的価値観は、子どもや若者を苦しめています。勉強やスポーツなど、単純化された評価軸の中で子どもたちは評価されています。その中で挫折してつまずくと、まるで人格まで否定されたかのような劣等感を抱いてしまうのも、無理はありません。

構造的な問題なので、代案はなかなか見いだせませんが、いまの教育や競争社会は、人間を人間としてではなく、機械として生産していると感じているので、自分の中でも大きなテーマです。

片岡:私自身が椅子取りゲームに参加して椅子を取る側だ、という自覚があります。民間企業に就職したり、研究室に在籍していると、その中での弱肉強食的な椅子取りゲームに参加せざるを得ません。

その椅子取りゲームで私は弱者になることもありますが、誰かを蹴落として椅子に座ることもあります。同時に、椅子取りゲームに参加している自分に対して怒りを覚えます。自覚的に誰かを蹴落として座る側にありながら、それがダメだと言っている自分にも矛盾を感じます。

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