「フクシマで生きる」という選択
8月18〜26日、震災後2回目の福島取材を行った。飯舘村・南相馬で、避難命令にもかかわらず残り続けることを選択した人たちのインタビューから報告を始めたい。飯舘村は高い放射能汚染のため全村避難、南相馬も20`圏内は立ち入り禁止だ。これほどの高汚染地域で、なぜ避難しないのか? そんな疑問をもって同地を訪ねた。
彼(女)らは、たとえ危険な場所であっても、自分が生き続けてきた「ここ」に居続ける明確な理由があった。少なくとも、政府・東電・県に加えて山下俊一ら「専門家」が流布する安全神話に「騙されている無知な人々」、あるいは、危険に目を閉ざして「安全神話を信じたがっている人々」ではない。
むしろ彼(女)らは、自分に課せられた家族や地域での役割を果たす意義を生きようとしている人々であり、「何のために生きるのか?」という重いテーマに向き合い、自分なりの答えを見出そうとしている人々ではないか、とすら思えてきた。
家族のしがらみや事故災害という、個人ではどうしようもない現実から出発しながら、自分の選択については、どのような結果も受け入れる腹をくくっている。彼らの言葉やその選択は、「どの程度の放射能が危険なのか?」という専門家の論争を越えて、重く響く。
原発事故とは、目に見える危険ではないゆえに、生きる意味を問うような重い選択を、その原因には何ら責任のない住民に迫っている。「放射能汚染による移住」とは、大げさに言うと、@人間が生きている意味や存在意義に関わるところまで掘り下げて考えざるをえないような問題であること。Aしかもそれは、老人も子どもも例外なく全ての人に重い選択と傷を迫る理不尽な大罪であること。であるがゆえに、Bこの根本原因を作った東電役員・歴代政府が、責任をとろうとせず、今だに情報を独占し続け、現実に向き合おうとすらしていない、という途方もない不条理が際だってくる。 (編集部・山田)
「生きる意味」問い直す放射能汚染、土こそ農民の宝 、
二本松で循環型農業を実践する農水省元官僚、かけがえのないもの
デイさぽーと・ぴーなっつ(南相馬市) 青田由幸
南相馬市で重度障がい者支援事業を担う「ぴーなっつ」。青田さんは、同事業所の代表理事だ。原発建屋が爆発した後も、南相馬に残り、障がい者・高齢者の支援を続けている。彼は低線量被曝の危険性についての専門家の論争を「神学論争に近い」と言い切る。
彼にとって残るか否かは、安全か否かではない。「目の前に移動できないで支援を求めている人がいる。その人を放って新しい土地で何かできるか?と自分に問えば、自ずと答えが出た」という青田さんは、「厳しい意見を言う専門家より、『安全』を言ってくれる専門家の方が気持ちが楽になる」と笑った。 (文責・山田)
南相馬市は、原発から20〜30`圏内に含まれる地域が大部分です。建屋爆発後、20`圏内には避難命令が出され、その外側も避難準備地域(屋内退避)に指定されたので、病院も障がい者・高齢者の入所施設も、全て閉鎖されました。
▲青田由幸さんは、 |
3月中旬、市長は、原発再爆発の可能性もあるので、すぐに避難できない要介護者(障がい者・高齢者)、妊産婦、子供、病人は、早急に域外へ避難するよう呼びかけました。同時に、幹線道路は通行止めとなり、物流が完全にストップ。食料品・医薬品を含めて入ってこず、市民生活継続は不可能となり、7万人の市の人口は、8千人まで減りました。
福祉サービスも全面ストップし、この時点では「すぐに避難できる人」だけが残っているはずでした。ところが実際に残った人々は、老人・障がい者(児)を抱えた世帯で、逃げようにも逃げられない人々であり、家族が行方不明で見つかっていないために避難所に残った人たちと、市職員でした。
私たち「ぴーなっつ」は、利用者の安否確認が完了してなかったのと、要支援者が避難できずに残るだろうと想定できたので、すぐに避難できる準備をした上で、施設長と私と職員、合わせて3名が事業所に残ることにしました。
しかし、逃げられなかった利用者の生活状況が徐々に悪くなり、在宅では支援しきれないケースも出てきたので、自宅待機していた職員にも声をかけて、4月11日、5名で事業所を再開しました。ただし、支援員は圧倒的に不足していたので、重篤な人を重点に7〜8人位から支援を始めました。
3月後半に「被災地障がい者支援センターふくしま」が郡山市に立ち上がり、4月8日にはJDF(日本障害者フォーラム)が障がい者団体の多くを構成団体にまとめ、本格的に活動が始まりました。立ち上げ当初から支援情報をテレビやインターネットで知らせたところ、支援センターには南相馬市在宅者の支援要請が入るようになり、「避難所で車イスのまま1週間風呂も入れないままだ」という連絡や、「自宅で避難していたが、水・食料が枯渇しそうだ」等々、SOSは日増しに増えてきました。
▲「ぴーなっつ」施設長の郡 信子さん(左)と青田さん |
支援を受けられないまま避難所で生活している障がい者がいることは予想されたので、「支援センターふくしま」が全国の協力を得て、調査のために県内180ヵ所の避難所のローラー作戦を行いました。
ぴーなっつデイさぽーとぴーなっつ ■福島県南相馬市原町区上渋佐字原田94-4
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JDF被災地障がい者支援センターふくしま ■〒963-8025郡山市桑野1丁目5-17 深谷ビルB棟101号 |
ところが、避難所に障がい者がいないのです─消えた障がい者です。避難所にも行けず、自宅で孤立していた障がい者・高齢者が多くいて、国も県も実態を把握できていませんでした。
南相馬市では数年前に作成した「災害時要援護者リスト」をもとに、逃げれないかもしれない高齢者、障がい者を自衛隊の空挺部隊1200人に要請して、ローラーをかけていました。しかし、この捜索からも多くの障がい者たちは漏れていました。
他市町村でも同様でありますが、「災害時要援護者リスト」の対象者は身体の重度の方が中心で、家から一人では一歩も出れない人を対象としていました。原子力事故では、この地域から避難できない人が対象となるため、結果としては役に立ちませんでした。
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つまり、残るか逃げるかは、放射能の危険度についての考え方の違いではなく、逃げられる条件があるかどうか、の違いです。子どもがいる若い世帯は、逃げようと思えば可能だし、そうしなければならないでしょう。でも高齢者・障がい者世帯は、危険とわかっていても逃げられないのです。