4月28日(月) 18:15~20:45
会場:ひと・まち交流館 第1・第2会議室
参加費無料
発題:松島泰勝(琉球遺骨返還請求訴訟原告団長、ニライ・カナイぬ会共同代表、龍谷大学教員)
呼びかけ:『No Base!沖縄とつながる京都の会』
連絡TEL090-4643-2940(増野)
1429年に成立し日本列島や中国、朝鮮、東南アジア諸国を活用した中継貿易によって繁栄した琉球王国は、
1609年の薩摩藩による侵攻うけて島津家に服従し、
「脱亜入欧」「殖産興業」「富国強兵」を掲げて植民地主義・帝国主義の道を邁進する明治政府の「琉球処分」によって1879年「沖縄県」として
大日本帝国に併合され、琉球差別とともに強硬な「同化政策」が進められました。
そして第二次大戦末期、沖縄は本土決戦を引き延ばすための「捨て石」として凄惨な地上戦を強いられ県民4人に1人が犠牲になったと言われています。
米政府側が終戦直後に日本の占領政策を策定するさなかの1947年9月、沖縄の米軍占領継続の希望を伝えた昭和天皇の沖縄メッセージに加えて、
翌48年2月に共産主義国家による侵攻を懸念し、反共の観点から「日本」を守るとりでとして沖縄の軍事基地化を提案し、
さらに「日本」の防衛を米軍に委ねるという2度目の“天皇メッセージ”がGHQに伝えられました。
このことをもとに1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約発効により日本は占領下から独立を回復し、
沖縄や奄美は切り捨てられ、米軍の占領下に残され、
この日は『屈辱の日』とされました。そして同日『日米安保条約』が発効し、
日本は「反共の砦」「不沈空母」としてアメリカの戦争に追随することで「繁栄」の分け前にあずかってきました。
このような沖縄と日本の歴史に向き合い、日米一体となっての戦争準備に対峙して、京都で生活する私たちがどのようにして沖縄とつながるのか、ともに考えたいと思います。
ぜひご参加ください。
※『No Base! 沖縄とつながる京都の会』4月例会は本集会に振り替えます。
