世が大きく動く時代にこそ 言葉を大切にして語りあおう 『神道新論』著者 河村央也

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前号杉村昌昭氏の『神道新論』書評に応えて

 杉村様、『神道新論』への書評ありがとうございます。いくつもの問題提起をいただきました。  近ごろ「左右ではなく上下だ」ということが言われます。かつての「左右の対立」とは、経済を拡大することができるという条件の下で、どのような方向に経済建設をするのか、この路線の対立でした。そして、いわゆる社会主義建設を進めたほとんどのところは、資本主義に吸収されてしまいました。  

しかし今、拡大することが存在条件であった資本主義が、地球の有限性ゆえにこれ以上の発展はありえないという段階に至り、資本主義は終焉に向かわざるを得ないところに来ています。経済拡大という条件の下での左右の対立は、現実の意味を持たなくなりました。  

歴史の求めることが、経済を第一として人を第二とする段階から、人を第一とし経済を第二とする段階への転換であることは間違いありません。しかしまた、左右の対立に変わる上下の対立については、その意味や意義はまだ掘り下げられているとはいえません。  

はっきりしていることは、人を第一とする歴史の新しい段階を拓くことは、それぞれの固有性に深く根ざしたところからの営みでなければならないということです。人の固有性の最も土台にあるのが言葉です。基層の言葉を拓き耕し、語りあうことが必要です。  

日本は非西洋にあって最初に近代化したところです。近代が封建制度からの解放であったことは事実であり、西洋由来の「社会」、「個人」、「自由」、「権利」などの新しい言葉は、これを身を以てとらえたものの力になりました。  

根無し草の言葉の近代を超えて 新たな時代を切り拓くために

しかしまた、明治以来の日本近代が、帝国主義段階にあった西洋の圧力のもと、大商人やその権力者が天皇を担いで大急ぎで近代化したものであり、人民の力による革命ではなく、その内実は根なし草の言葉による根なし草の近代であったことも事実です。  

根なし草の言葉の呼びかけは、人を動かしません。そして根なし草の近代は、琉球、朝鮮への植民地支配と東洋諸国への侵略として存在しました。それを総括することなく、戦後は対米従属のまま独立を果たさずにきました。  

資本主義の終焉期という普遍的な条件のもとで、日本近代のなれの果てとして現れたのがアベ政治です。アベ政治は安倍個人の問題ではなく、今日の大きな歴史的条件が生みだしたものです。ここにまた、「世界社会は悪化の一途をたどり、これらの言葉の起源たる西欧社会や西欧語そのものの価値が劣化と崩壊の危機にさらされている」理由があり、日本や西洋世界だけのことではなく、非西洋にあって資本主義化したそれぞれの地域もまた、「近代日本が抱え込んだのと同じ問題」に直面しています。  

この普遍的な条件の下、それが、それぞれの国家や地域の歴史性に根ざした固有の問題として現れてきている。これが歴史の現段階ではないかと考えています。次の段階を切り拓くことは、日本においては明治維新以上の激動を経なければなりません。それぞれの地で、まさに長征です。  

拙著は、このための基礎作業の一つと考えています。拙著の副題を「日本の言葉から明治維新百五十年を考える」としましたが、掘り下げてつかまれた日本の言葉からの近代批判というこの作業は、これからの時代を拓くために必須不可欠であると確信しています。  

私は拙著のあとがきの最後を、「いろんな人と対話ができればと思う。大きく世が動いてゆく時代にこそ、言葉を大切にして語りあう文化の根づくことを願っている」と締めました。大いに語りあい、そして世を動かしてゆこうと呼びかけたいと思います。

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