【沖縄】辺野古新米軍基地建設を問う 最近6年間の大浦湾への攻防から(上) 山本 英夫(フォトグラファー・名護市在住)

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シリーズ・運動現場からの安倍政権批判(3)

 沖縄県は47番目の県なのか? まずここから考えていただきたい。歴代の沖縄県知事は、なぜ日本国内47人の知事中、最も重い負担を強いられているのか? およそこうした問題と向きあわない辺野古・大浦湾への新基地建設を巡る構え方は、ありえない。  

基本的な事実を確認しよう。辺野古・大浦湾への新基地建設の動きはいつからか? 1996年12月のSACO(沖縄特別行動委員会)合意からだ。あれから23年が経過しているが、草案を描いたのは、1966年の米国海軍だ。実に53年が経っている。  

沖縄は、なぜこうした運命を歩かされているのか? 米国が沖縄を統治したからだ。その経緯を一瞥しよう。大日本帝国が沖縄を「天皇・本土」の防波堤とし、他方、連合国・米国は沖縄島等を大日本帝国を降伏させるための最後の出撃拠点にしようとして占領したからだ。こうして沖縄は戦場とされ、米国の「基地の島」にされたのだ。沖縄は1972年5月15日まで米国の統治下に置かれ、そして今がある。  

私たち「日本人」は、あまりにもこうしたことに無頓着ではないか(現在進行形)。最近の沖縄のイメージは「観光アイランド」だそうだ。沖縄はいつからそんなイージーな島になったのだろう。  

沖縄の民意を分断 してきた安倍政権

第2次安倍政権の新基地建設を巡る6年間を総括する前提として、96年のSACO合意を確認したい。96年12月のSACO最終報告(仮約)の冒頭に「(前略)両国政府は、沖縄県民の負担を軽減し、それにより日米同盟関係を強化するために、SACOのプロセスに着手した」とある。  

こうなった背景の一つに、95年9月に米国海兵隊員が沖縄島北部で起こした12歳の少女へのレイプ事件があり、これに怒った沖縄県民に押されたからだった。安倍政権は、この経緯をねじ曲げ、「危険な普天間基地」を煽り、宜野湾市周辺の「安全」を強調し、辺野古・大浦湾(名護市)への移設を本格化させてきた。宜野湾市民の負担を逆手に取り、沖縄の「民意」を分断してきた。  

県民を裏切り 埋め立て承認

安倍政権は2013年3月、沖縄県知事に対し公有水面埋立法に基づく埋立を申請した。当初、仲井眞弘多知事(当時)は否定的な態度を示していたが、同年12月27日、態度を一転させ、「承認」を発表。仲井眞知事は、腰の痛みを訴え、突然東京の病院に入院し、沖縄県民をだまし討ちにしたのだ。ここから埋め立てへと事態が急転していく。  

そして、2014年7月の2つの閣議決定が工事の幕を開く。それは、(1)集団的自衛権の合憲化、(2)辺野古・大浦湾への「臨時立ち入り制限区域」の設定、だ。(1)は、米国等の「同盟国」が攻撃を受けたら、日本国が攻撃を受けたと見なし、「自衛権」―反撃・攻撃できることを確認。(2)は、基地建設をスムーズに行うために、誰もが利用できる公有水面に大幅な立ち入り制限区域(560ヘクタール)を設けるものだ。  

この手法は、日米地位協定による米国の軍事活動の自由を保障する約束(「日米合同委員会」という事務レベルでの協議・決定)を格上げし、閣議決定したものだ。しかし、国会での議決を経ていない以上、現行憲法下では法的効力は生じない。このことを百も承知の上で安倍政権は、海上保安庁(海上保安官)に海上での抗議行動に対して法的根拠を示さぬまま実力で排除する強硬策を採らせ続けている。  

「ヘリ基地反対協議会」など反基地陣営は、これを「法治主義」を逸脱した「放置主義」だと批判してきた。また、沖縄に対するイジメだとも批判してきた。だがそれだけだったのか。もっと深い意味が込められていたのだ。憲法第31条の「法定手続きの保障」を完璧に無視し、人権蹂躙を組織的に行っているのだ。  

この問題を沖縄の歴史に置き直して考える。1960年代の沖縄は、『平和憲法下の日本国への復帰』を求めていたのだ。しかし、「本土復帰」(72年5月15日)を迎えた沖縄は闇の中に置かれ続け、出撃基地のままだ。さらに集団的自衛権の合憲化―2015年の『安全保障法制』(戦争法)などの制定によって、日本国全体が再び戦争のできる国に転換してしまった。同時に人権規定・法手続論までもが無効化され、沖縄の人々の歴史的な願いは、完全に踏みにじられようとしている。  

「イデオロギーよりアイデンティティ」 継承される沖縄の魂 闘いは続く

2014年7月7日、ヘリ基地反対協議会などのメンバーがキャンプシュワブゲート前に座り込みを始めた。また、7月下旬から海上での抗議行動も始まった。以来5年の月日が経った。   

2018年8月、辺野古側に護岸が完成してしまい、一部の珊瑚礁の海が潰された。さらに同年12月から埋め立て工事が始まった。国は当初、「5年で埋め立て、3年半で上物を造る」といっていたのだ。沖縄の地道な闘いが奴らの道のりを遠くさせてきたことは、間違いない。  

日々の闘いは、2014年11月の県知事選、14年12月の衆議院選、16年7月の参議院選、17年10月の衆議院選挙、18年9月の県知事選、19年4月の衆議院3区の補欠選、同年7月の参議院選挙などで基地建設反対の候補をほぼ勝たせてきた。19年2月の県民投票でも埋め立てNO!を明確にしてきた。沖縄の人々は「勝つ方法は諦めないこと」だと言い続け、今日まで歩んできた。  

しかし安倍政権は、沖縄の民意を完全無視。沖縄県が仲井眞の埋立承認を「取り消し」(15年10月13日)、「撤回」(18年8月30日)しても、行政不服審査請求で2度にわたり「私人」になりすまして工事を再開。取り消しの最高裁判決は、「仲井眞の)『承認』に瑕疵はない」と翁長知事(当時)の申し立てを端から切り捨てたものだ。  

安倍政権は地方自治も3権分立すら認めない。あらゆる批判を封じ込め、不都合な真実をねじ曲げ、隠す。既にこの国は独裁国家に変質してしまったのだ。  

故翁長雄志前知事は沖縄県民にどう語りかけたのか? 「イデオロギーよりもアイデンティティ」「まきていーないびらんどー」と、沖縄の魂を叫び続けていた。この叫びは玉城デニー知事に受け継がれている。沖縄の人々はこの叫びを受けとめ前を向いている。私も及ばずながら前を向いて歩き続ける。 (「下」に続く)

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