終わらない三里塚闘争 三里塚関西実行委員会 松原 康彦

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今なお続く国からの強奪と 農民らの抵抗に注目

 53年前の1966年、成田空港建設を理由に、国は住民への説明会など一切の手続きもなく農地強奪を始めました。3千人を超える農民、住民が怒り立ち上がったのが、三里塚闘争の始まりです。土地収用法が失効した現在も、農民から土地を取り上げようとする動きは止まらず、農民たちの闘いは継続しています。

「農地法」による強奪

 1978年に成田空港が開業し、「強制収用法」(土地収用法)は1989年に失効しました。しかし、無農薬野菜を栽培する市東孝雄さんの農地の大半と作業場などを、農地法を用いて裁判によって強奪しようという攻撃が起こっています。  

さらに国は、アジアの国際空港で競争力を高めようと、成田空港が内陸にあるのにもかかわらず24時間稼動に向けた「機能強化」と、規模を当初の2倍化して第3滑走路を建設しようとしています。それらは、騒音被害などによる住民の生活環境の破壊と、新たな農地強奪、農業破壊を招きます。  

そもそも日本は、1867年の「明治維新」以来、自作農、小作農の徹底した収奪と不在地主の資金力を背景に「遅れてきた帝国主義」「戦争のできる国」としての「発展」を確保しました。戦後、GHQによる農地解放によって財閥の不在地主構造が解体され、また、農民(耕作者)の権利と農地を守るための農地法が制定されました。しかし、アメリカの「反共政策」への転換のなかで、小麦の輸入を柱とした「パン食」の奨励、それは日米同盟の一つの表現であったのです。  

そして1961年に自民党が、大規模農業を基本とした「農業基本法」を制定して以降、小規模(家族)農業切り捨ての農業政策が始まります。それでも、戦時下の軍隊の食料確保を根拠とした食管法が、戦後のコメ作農家を守ってきましたが、自民党自体が、自らの票田である農村票を守るために「減反政策」(農民には「諸刃の剣」でしたが)を進めます。  

さらに、「安い食料を輸入すればいい」を政策とする自民党=安倍政権は農民を切り捨て、食管法を廃止し、減反政策も放棄し、種子法廃止により、農業をアグリビジネスに売り渡す政策にまで突き進んでいます。それがTPP(環太平洋地域の国々による経済の自由化を目的とした多角的な経済連携協定)であり、EUとのEPAです。これに加え、農地法を改悪し、農地への企業の参入、農業以外への用途変更を簡単にするという形で、耕作者の権利の切り捨てが行われています。  

先に述べた成田空港の「機能強化」「第3滑走路」とは、そうした経過の結果です。  

裁判で日本の農業政策を糺す市東さん

市東さんは「農地はわたしの命です」と、国の農地強奪の国策に真っ向から立ち向かい、農民としての想いと農の営みを守ろうとしています。  

国は、「耕作者の権利を保護し、その地位の安定を図る」と、本来耕作者を守るために制定された農地法を悪用し、市東さんの農地を強奪しようとして裁判を起こし、最高裁が認めてしまいました。  

最高裁決定に「異議あり」として請求異議裁判が闘われましたが、昨年末の千葉地裁による不当判決が強行され、今年の9月24日に東京高裁で控訴審が開かれます。  

この裁判は、国の誤った農業政策を糺す裁判です。三里塚は今も闘っています。

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