【天皇制を考える】天皇制とフェミニズム 在野の哲学者 栗田隆子

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意見特集(6) 女性差別制度としての天皇制

小さいころから、周囲や社会制度が勝手に「偉い人」「偉くない(いやしい?)人」を作って、「偉い人」をあがめたて、「偉くない人」は見くだしても構わない。そういう発想が嫌いだ。そういう発想が嫌いだからこそ、天皇制が嫌なのだ。かくも私の天皇制を憎む思想は単純である。  

そして、ある「性別」をバカにするかと思えば(女は頭が悪い方がいい)、妙にあがめたりする(女は強い、聖母など)発想や社会構造も大嫌いだし、被害をこうむることも多かった。それゆえに私はフェミニストとなった。  

そして天皇家という「高貴」とみなされるものだからこそ、どす黒く女性差別が存在している。東京医科大学の件でもそうだが、単純に上にのぼりつめれば差別と縁が切れるわけでもないのが、社会的な女性の位相なのだ。それこそ外務省のキャリアなどはどうでもよく、まさに「妃」として「あがめたてまつられ」それと同時に「子どもを産まなければ存在がない」というバッシングを許すという、あまりに雑でわかりやすすぎる女性差別制度でもある天皇制を、多くの民衆が(女性も含め)嬉々として容認しているのだと、改めてこの一連の即位~新元号にまつわる騒ぎで痛感させられた。  

憲法では「天皇は日本国の象徴」とある。天皇個人というよりも、女性に社会的に突出しない、いわゆる「女性らしさ」や出産のプレッシャーを課し、しかもそれを多くの民衆が受け入れる、この事実が今の日本国を奇しくも象徴してしまっているのかもしれない。第二次大戦で、上からの押し付けと同時に、多くの民衆が戦争を支持していた。このような事実にどう向き合うか。私はずっとそのことを考えている。

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