【時評短評 私の直言】天皇代替わりの連休に文句誰が10日も続けて休めるのか!編集員 トシ

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天皇制の廃棄として 反人間性は克服されるべき

 来る10連休に文句を言いたいと思っている。わたし自身は休みのほうに適性がある人間なので、休みそのものに文句をつけたいわけではない。いったい誰が10日も続けて休めるというのか、と思うのだ。大企業従業員や公務員などは遊びのプランを立てているのかもしれない。うらやましいことだ。  

けれども、世間の企業はほとんどが中小企業なのである。休めないだけではなく、生産も物流も滞って、その対策におおわらわだ。「経済成長こそが安倍政権の最優先課題」ではなかったのか。  

また、保育所・幼稚園・学校が休みになることで、子育て世代に大きな影響が出るだろう。介護や医療の現場も深刻な影響を受けるだろう。日給制の人の収入減にもつながる。ひどいことを決めたものだ。  

5月1日(メーデーだ!)を休みにすることを決めた天皇即位に関する休日法は、昨年12月、参議院本会議で共産党を除く各党などの賛成多数で可決・成立した。共産党を除く各党が、どのような人たちの利害を背負おうとしているのかよく分かるというものだ。さきほど中小企業目線から「生産も物流も」と書いたが、休日法に賛成した議員たちがその利害を背負おうとしているのは、マクロ経済的観点から「休日の増加=消費機会の増大」などと発想する人たちなのであって、そのような人たちが、現場の事情だとか、労働者にも休息が必要だとか、考えているわけがない。ケッ。  

休日法が法案として提出された時、その「理由」として「天皇の即位に際し、国民こぞって祝意を表するため、即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする等の必要がある」とされていた。「祝意を表する」ことを法的に強要しようというわけだ。「必要がある」ときた。強要するなら断る。この手の厚かましさは、憲法の天皇条項からすでに始まっている。第一条で、天皇の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基く」としながら、第二条はいきなり「皇位は、世襲のものであつて」という断定で始まる。総意に基づくはずの地位が世襲されるというのである。

 「総意」はただの飾りにすぎない。じっさい、今回の皇位継承についても、わたしは同意を求められていない。「総意」とは「全員の考え」のことだろうに。それはともかく、国民の意思とはかかわりなく世襲されるというのであれば、天皇主義者が口をそろえて批判する北朝鮮と変わりない。  

それに、この天皇条項が天皇を人間扱いしていないことは明らかだ。本紙2017年新年号(ネットで読める)で杉村昌昭氏が、「日本国と国民統合の象徴」という天皇の規定は、「生身の人間」である天皇を、生身の人間であるはずがない「象徴」とする矛盾をはらんだ規定だと指摘しているとおりである。つまり「特別な人」であって「普通の人」ではない。  

これは端的に差別であって、わたしはこのような差別的規定を受け入れることができない。まさに生身の人間性を否定されているからこそ、天皇は疲れ果ててしまっているのである。  

天皇自身が望んでいる新天皇への代替わりとしてではなく、天皇制の廃棄としてこのような反人間性は克服されるべきだ。そして天皇がめでたく人間性を回復したら「祝意を表する」ことにしよう。

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