【沖縄】県民投票への地道な活動 稲垣絹代(名護市民)

若者に引き継がれるアイデンティティ

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1月26日、辺野古ゲート前で県民投票キックオフ集会があり、3000人の参加者があった。基地を見下ろす高台まで人がぎっしりで、まさに島ぐるみ闘争である。翁長タケハルさんが「三択でも十択でも百択でもやることは同じ。反対に○を」とスピーチされ、大きな拍手が沸き起こった。

 県民投票の会の元山仁士郎さんの功績が大きいが、それに勝るとも劣らない行動をしていたのが、翁長タケハルさんであった。

 1か月の短い運動であったが、私は昨年9月の知事選と同様、「翁長知事の遺志を受け継ぎ」を合言葉に、カヌーやゲート前の阻止行動をやりながら集まるメンバーとともに、「県民投票を成功させる名護市民の会」の事務所で主に活動した。それは訪問者を待ちながら、自分の本来の活動であるゲート前の救護活動の「いのちを守るナイチンゲールと医療者と卵の会」の広報誌を作成し、郵送するといった事務作業である。一緒に広報誌を作成したHさんは、条件容認の久志の住民であり、県民投票の幟が地元に1本もないということで、「名護市民の会」の幟を2本持って帰り、自宅の駐車場に高々と掲げたのである。

 名護市では、「新基地建設反対県民投票連絡会名護支部」が作られ、稲嶺進さんを代表として、反対派名護市議の地元でのチラシ配布、幟建て、電話かけ、朝のスタンディングなどの方針を出し、2万票の目標を立てていた。

 結果は18077票であったが、名桜大学の学生たちを中心とした若者の活動が目立った。集会での発言に加え、若者だけの街宣車が走り回り、県民投票を盛り上げるために、2つの高校と大学で模擬投票を行った。

 彼らと初めて出会ったのは、1月末の名護桜まつりの会場で模擬投票を一緒に行った時である。

 2月24日の投票当日は、朝から雨模様で、投票率が低い夕方には、投票呼びかけの電話作戦を促すメールが廻ってきた。夕方4時半から1時間、仲間とともに東江郵便局前で最後のスタンディングをやり、事務所に持ち込んだ私物を車に積み込んだ。辺野古のゲート前に行くためだ。糸満の魂魄の塔を出発して2日間かけて辺野古のゲート前まで歩いて来た翁長タケハルさんと若者たち20人を迎えるために準備したおにぎりとぜんざい100人分を運んだのである。真っ暗なゲート前、少ししたら島袋文子さんやマスコミ、多くの支援者がやってきた。博治さんが中心となり、投票結果の速報を聞き、勝利の歓迎集会を行った。

 元山仁士郎さんが大学生の頃、ゲート前で、年配の男性から「もっとウチナーグチを話せよ」と迫られ、「シールズのメンバーから、『他県の人には分からないので使わないようにしよう』と言われた」と返事していた。私も「若い人がウチナーグチを学ばなければ、滅びてしまうわよ」と叱咤激励した覚えがある。それ以後、数万人の県民集会で、最初から最後までウチナーグチで挨拶した時は、立派な若者が沖縄には育ちつつあると思った。

 ロバート梶原さん(ハワイ在住の人権活動家)が、名護の集会で訴えていたウチナンチュのアイデンティティが自覚できるかどうかだろう。それも、ゲート前で夏も冬も雨の日も風の日も座り込む高齢者の姿がなければ、多くの若者は育たなかったと思う。

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