緊急時こそ 助け合いを
先日6月18日の大阪北部地震の際、子どもたちが通常どおり登校した後、一転して休校になり、保護者の迎えを要請された。私は福祉現場の責任者で、その日、職員の半数が交通麻痺のために出勤できていなかったため、出勤できた職員で機能を維持する必要があり、現場を放棄することなど私にはできなかった。
迎えを兄弟に頼んでその日はしのいだが、その後改めて、緊急時にすみやかに子どもを保護者に引き渡すための2者択一のアンケートが全保護者に配布された。保護者が在宅に限り集団下校させるか、学校で待機させ、すみやかに迎えに来るかのどちらかを選択せよ、とのこと。
母子家庭のワンオペ暮らしには、どちらも困難に思えた。おそらく私が迎えに行かなかったことで、「子どもよりも仕事を優先させる身勝手な親」というレッテルを張られたことだろう。結果のリスクを考えれば、確かに私の行動は間違っていたかもしれない。しかし、緊急時にこそ助けや例外的な対応が必要な状況に陥る家庭もあることを念頭においてほしい、というのはわがままなのだろうか。
緊急事態においては少数派の事情は身勝手となり、放っておいてくれるならまだしも、批判の対象になる。今回の地震対応の一連の動きをみて、災害時に必要な合理性を超えて、政府の判断によっていかに国民が統一した行動をとれるかということが試されているように感じる。統一した行動のとれない私のような人間は、強いプレッシャーを受けるし、社会から孤立してしまうだろう。