11月12日、14時から大阪・梅田スカイビルイーストタワーで、10・8山崎博昭プロジェクト主催による「羽田闘争50周年in関西」集会が開かれた。
11月12日は、1967年11月12日の第二次羽田闘争(佐藤訪米阻止闘争)から50年目の日に当たる。また、10月8日の第一次羽田闘争で羽田・弁天橋の上で亡くなった山崎博昭君の誕生日でもある。
集会の冒頭、山崎博昭君を追悼して全員で1分間の黙祷を行った。最初に、プロジェクトの代表でもある山崎博昭君の兄、山崎建夫氏から「50年経ちました。プロジェクトの目標はほぼ達成したが、これからも続けていくので協力をお願いしたい」というあいさつがあった。
その後「2017年 プロジェクトの歩み」と題した30分の記録映像が上映された。この映像は、現在上映中の「三里塚のイカロス」の代島監督が撮影したものである。
映像上映後、プロジェクトが目標としていた3事業について、目標達成の報告があった。
事業の一つ目、山崎博昭追悼のモニュメント建立については、本年6月17日に東京・大田区の萩中公園に隣接した福泉寺に山崎博昭の名を刻んだ墓石と「反戦の碑」を建立した。
二つ目の50周年記念誌の発行については、10月8日に『かつて10・8羽田闘争があった』(合同出版)を刊行した。今回は寄稿篇ということで、61名の方が寄稿している。また、来年の10月8日を目途に、記念誌2巻目の資料篇を刊行するとのこである。
三つ目は、ベトナムでの展示会。ベトナム・ホーチミン市の戦争証跡博物館において、プロジェクトと博物館との共催により、8月20日から11月15日まで、「日本のベトナム反戦闘争とその時代」を開催した。
激動の時代をふりかえって
3事業の報告の後、「パギやん」こと趙博さんの歌と語りがあった。趙博さんは、山崎博昭君を追悼する「死んだ男の残したものは」他、3曲を演奏した。
休憩をはさみ、発起人でもあり、山崎博昭君の大手前高校の同期生でもある作家・三田誠広氏より「1967年から1970年代にかけての激動の時代をふりかえって」と題した講演が行われた。早稲田大学時代のこと、山崎博昭君のこと、現代の社会に関することなど、身振り手振りを交えて熱く語った。
その後、プロジェクトの今後について「今日の集会でプロジェクトの第一ステージは終わる。第2ステージに向けて今後1年をかけて検討していく」という説明があった。
最後に、若手研究者である幸田直子氏(近畿大学講師)から「グローバルヒストリーとしての1968年」というタイトルで発言があった。
集会には、約150名の参加者があり、大盛況だった。
時間は短かかったが、若手研究者の発言を取り入れるなど、プロジェクトの第2ステージに向けて、意義のある内容となったのではないだろうか。
10・8山崎博昭プロジェクトの第2ステージに期待したいと思う。
(Y)