足尾からオキナワへ

「サーカスはリヤカーに乗って」沢入国際サーカス学校活動報告

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NPO法人国際サーカス村協会 西田敬一

 群馬県みどり市の中山間部で廃校になった小学校を借りて、15年前にサーカス学校を開校し、サーカス芸や大道芸の技を身につけようとする若者を育てているNPO法人国際サーカス村協会が運営する沢入国際サーカス学校。このサーカス学校のある地域は、2011年の東日本大震災によって水素爆発を起こした福島第一原発事故で、かなりの放射線汚染を被っている。被害を受けた当初、生徒たち、特に女性徒たちを思い、かれらをこの地から避難させたほうがよいと判断し、自主的に一時休校にした。この休校期間に、汚染処理を自治体に依頼し、その結果、側溝の清掃、校庭の土盛りが行われた。

 そしてこの休校期間中を利用し、福島第一原発から約170キロも離れているにもかかわらず、放射能汚染に見舞われ、一時休校の道を選んだこと、また、普段のサーカス学校の活動をアピールする活動ができないかと考え、2012年春に、約3カ月間の旅公演を行った。

 また、学校再開後の2014年には、『サーカスはリヤカーに乗って』と題して、春に各地の脱・反原発活動に参加したり、9月には鹿児島・川内原発再稼働抗議のキャラバンに同行し、学校活動の成果とも言える、各自が身につけたパフォーマンスを行いながら、反原発の旅公演を続けた。そして今年の3月には、米軍基地建設を阻止する辺野古・高江への座り込み抗議に参加し、大道芸を行うために、3名のサーカス学校卒業生とともに、海を渡った。

 実は、反原発、憲法を守れといった文字を書いたノボリをリヤカーに立てているが、その一つには、「足尾からオキナワへ」の文字が躍っている。その文字に不思議がる人もいたが、原発も米軍基地も公害と考え、公害と言えば、まずは足尾鉱毒事件なので、その足尾の文字をノボリに墨書したのである。

不合理な国策に抵抗し続けること

 実はそれだけではなく、足尾鉱山はサーカス学校がある群馬県みどり市の山々を挟んだ栃木県側にある。鉱毒を下流の村々に運び、洪水によって、その鉱毒を広範な農地に拡散させ、甚大な被害をもたらした渡良瀬川。いまでは澄んだ水が渓谷の岩々を洗っているが、鉱山が稼働している時分は真っ赤な泥水が勢いよく流れていたという。土地の子どもはそこで泳いでいたという話を聞いたこともある。

 実は、東日本大震災の時に、銅を精製した後の「カラミ」といわれる残滓を山積にしている場所のひとつの堤が壊れ、この毒を含んだ残滓が渡良瀬川に流れ出したのである。それらは、そうした被害を食い止める役割を担う草木湖ダムの湖底に沈んだようだが、問題は、この例ひとつをとっても足尾銅山の鉱毒事件という公害は終焉していないということである。

 そんな公害の原点である足尾銅山から10キロも離れていない場所にあるサーカス学校で、生徒とともに暮らしている身には、足尾同様、いまも放射能を撒き散らしている福島第一原発そして全国にある原発も、あるいは新たに辺野古の海を埋め立て、より一層の機能拡充を図ろうとする米軍基地もまた、公害だと思わざるをえない。
 「富国強兵」という明治時代の国策によって、鉱毒を制御することもなく、銅の大量生産を続けて公害を起こした足尾銅山。そして、いまも未解決な部分を抱える水俣病を引き起こした高度成長期のチッソ。福島第一原発爆発を津波のせいにして責任を回避する東京電力、がむしゃらに原発再稼働をしようとする電力会社、などなど。公害の元凶は、経済を最優先する国策、その国策を実践している企業などが引き起こしているのだ。
 ぼくらは、それらに抗って生き抜くぬく知恵と精神、そして勇気を身につけなければならないのではないか。

 どのように打ちのめされても、何度でも声をあげて、不合理な国策に抵抗し続けること。その現場がいまの沖縄、辺野古・高江ではないのか。応援に行ったつもりの僕らが学んだのは、何度でも立ち上がり、権力に対峙する一人ひとりの人々の姿である。

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