[政治] 皇室典範改正論・天皇制の是非を問う紙上討論
男であろうが女であろうが、どっちだっていい
皇室典範改正案は、秋篠宮妃の妊娠が公表され、女帝論議はたちまち消え去った。
昨年総選挙での自民党圧勝に舞い上がった小泉が、余勢をかって天皇後継問題の決着を自らの成果としたいとの思惑で、改正案上程を目論んだ。しかし、女帝容認が日本社会の底に流れている保守思想の琴線に触れることを理解できない小泉は、皇族を含む保守派の猛烈な巻き返しに直面。秋篠宮妃の妊娠という隠し球に白旗をあげ、早々に撤退したのである。小泉の軽薄さとともに、あらためて「男系・直系」にこだわる保守勢力の底力が印象づけられた。
しかし、ちょっと待て。男であろうが女であろうが、そんなことはどっちだっていい。そもそも血筋を根拠に人間の貴賤を格づける人間観こそが否定されるべきであり、「象徴」といえども天皇制そのものが民主主義とは相容れない制度ではなかったのか!
女帝論議の喧噪の中で、「天皇制廃止」の選択肢は土俵の外に押し出され、天皇制をめぐる議論の軸が、天皇制存続を前提とした「女帝容認か、男系維持か?」という軸にすり替えられてしまった。
こうした議論の軸を元に戻し、もう一度原点から天皇制を議論する必要を感じ、紙上討論を企画した。
なぜ、民族派の主張を掲載するのか?
皇室典範改正論議については、一二二九号で山村千恵子さんに、一二三一号で深見史さんに天皇制廃止に向けた評論を寄せて頂き、「時評・短評」として掲載した。
今回、民族派として天皇制擁護である一水会の木村三浩さんに寄稿をお願いしたのも、天皇制をその是非のところから論じるためである。人民新聞編集部は、天皇制を廃止すべきと考えている。しかし天皇制反対論者だけの議論は、原則論の繰り返しに陥りがちだ。そうであるがゆえに天皇制擁護の立場からの問題提起をして頂き、他流試合を行うことで議論を活性化し、あらためて「なぜ天皇制はダメなのか?」を議論できればと願っている。
木村さんには、人民新聞編集部の天皇制反対の立場・企画趣旨を説明した上で、寄稿して頂いた。編集会議でも民族派の原稿を掲載することについては強い異論も出されたが、読者を含めて天皇制反対論者が圧倒的多数の中で批判の的となることを承知で天皇制擁護を論じて頂いたことについては、感謝している。また、深見さん・山村さんには、木村さんの原稿を見て頂いた上でその批判を書いて頂いたので、紙上論争として木村さんは明らかに不利な立場となってしまった。次回は、木村さんの再反論を掲載したい。
グローバル化・ネオリベ改革下における天皇制
戦争体験者が減少するにつれて、天皇制を容認する世論は増加傾向をたどり、さすがに天皇に「尊敬の念をもつ」人は減少しているが、戦後世代においては「好感をもつ」人の増加が顕著である。
さらに左翼の中においてさえ、天皇制批判論議そのものが低調となっている現実もある。
社民党が村山首相時代に自衛隊と共に天皇制容認を決めたのに続き、日本共産党は第二三回党大会(二〇〇四年)において実質的に象徴天皇制を容認する綱領を採択。片や天皇制に反対する勢力の議論も原則論だけで硬直化し、次第に天皇論議そのものが不活発化している。
天皇制をめぐる論議は、裕仁の死=代替わりで変化した。戦争責任が天皇制批判の柱のひとつだったのだが、その責を子にも同様に求めるのには心情的に無理がある。靖国神社と合わせて国民統合=戦争動員システムとしての戦争責任は継続するにしても、時代の変化に応じて形を変えながら生き残っていく天皇制のしぶとさの源泉は何なのか?を含めて、天皇制についての議論を提起したい。
教育現場での「日の丸・君が代」のうむを言わせぬ押しつけに見られるごとく、天皇制は決してソフトになっているわけではない。ネオリベ改革の中で社会矛盾が大きくなるがゆえに「国民統合の象徴」としての天皇制の役割と存在感は、今後一層強まるに違いない。
家族制度と天皇制、外国人労働者と天皇制、ジェンダーの視点から見た天皇制、様々な切り口から天皇制を論じ、グローバル化・ネオリベ改革下における天皇制の意味と役割を明らかにしなければならないだろう。
女帝論議の喧噪は一端収束したが、結果、国会・マスメディアにおいて天皇制存続は大前提となってしまった。現実に流されることなく、天皇制を論議しよう。読者の旺盛な議論と投稿を呼びかける。 (編集部)
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