第17回釜ヶ崎講座学習会 ハンセン病問題から何を学ぶか


イベント詳細

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12月5日(土)18:30開演
会場:太子福祉館(大阪市西成区太子1-4-3太子中央ビル3階)
資料代500円 定員先着45名(申し込み不要)当日YouTube配信予定 配信希望者は講座メールに希望を前日までに送ってください
話題提供:福田佳昭(虹の会おおさか事務局)/DVD上映 「断種・堕胎」(30分)
全国にはハンセン病の国立療養所が13ヶ所あります。入所者は現在約1200人、平均年齢は87才を超えています。
隔離の“島”・療養所には納骨堂があり、かつては火葬場もありました。国は病気の根絶政策ではなく、「強制収容・絶対隔離」を根幹とした患者の絶滅政策を取り続けたのです。
この絶滅政策を地域で強力に推し進めたのが私たち市民でした。各県で競うように警察に密告通報し、見つけ出しては収容所に送り込みました。有効な治療薬が見つかり、障害を残すことなく治る病気となった戦後もこの「無らい県運動」は続けられました。私たち市民は加害者であり続けました。国の恐怖宣伝―「らい」は恐ろしい病気だ―に騙され、患者に塗炭の苦しみを負わせました。この大きな反省の上に私たちの活動があります。
一方収容された人々は、人間らしい生活を求めて苦しい闘いに立ち上がっていきます。時には命をかけてハンストの闘いを続けます。1920年代、大阪にあった公立療養所外島保養院で獲得した自治の烽火は全国の療養所へと広がっていきました。大阪は解放運動の先端にありましたが、特高警察と室戸台風によって壊滅してしまいます。しかし、自治を求める運動、隔離からの解放を求める運動は戦後へと引き継がれていきました。
昨年、判決が確定した家族訴訟の原告561人の約半数が沖縄出身者でした。また、朝鮮半島出身者の患者は人口比にして日本人の数倍から10倍にのぼると言われています。このことを指して、愛生園の故金泰九さんは「ハンセン病は植民地病だから」と言われました。ハンセン病問題から沖縄や在日を考える意義は大きいと思います。
さて、釜ヶ崎はハンセン病病歴者にとって一種のアジールでした。収容所を抜け出した人々にとって、西成に行けば仕事がある、障害があっても雇ってもらえる、ドヤにだって泊まれる、そんな情報が療養所内にありました。釜ヶ崎は彼らにも大切な街でした。あらゆる差別が凝縮したハンセン病問題をここ釜ヶ崎でともに考えることに感謝しています。
主催:釜ヶ崎講座
連絡:大阪市港郵便局私書箱40号・大阪市西成区萩之茶屋1-9-7釜ヶ崎日雇労働組合気付け/Mail: kamakouza@cwo2.bai.ne.jp HP: http://cwoweb2.bai.ne.jp./kamakouza/090-2063-7704(事務局)

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