声を上げなきゃ、始まらない―コロナの「自粛」に、強いられた我慢に、生存権を。


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4月29日(水)16:00~
場所:四条河原町高島屋前近辺
もうすでに、たくさんの我慢を強いられているかもしれない。 新型コロナウイルス感染拡大から、「自粛しなさい」という「世間の空気」のなかで。感染していたら、「体調管理できなかったあなたの問題」にすり替えられてしまうかもしれない。「熱があるけど、勤務先に伝えたときに、補償なしに休まされたらどうしよう」、「職場が閉鎖になって迷惑をかけるかもしれない」という思考が働くかもしれない。自己責任と同調圧力が強いこの社会のなかだから。
もうすでにたくさんの我慢を強いられているかもしれない。低賃金や不安定労働のなかで、ハラスメント被害のなかで、家庭内暴力や被虐待のなかで、劣悪/不安定な住居などの状況のなかで…。
いまに始まったことじゃないかもしれない。 感染拡大に対して、そういた状況に対するアプローチのない「自粛」は、抱えているしんどさをより一層、増幅させている。
もうすでにたくさんの我慢を強いられているかもしれない。 政治家が「武漢ウイルス」と呼び、当初は朝鮮幼稚園だけがマスクを配られず、技能実習生をはじめとした移民労働者が真っ先に解雇される。
いまに始まったことじゃないかもしれない。 感染拡大以前から、民族などの出自でもって憎悪を煽られ、在留資格によって働いて暮らすことも不安定にさらされ、人として生存するための社会保障すら線引きされることは、ずっと繰り返されている。
政府は、生存権の保障を前提とした財政出動と、「もうすでにたくさんの我慢を強いられているかもしれない」ことに対するアプローチの両方を行うべきだ。
ましてや、新型コロナウイルスのワクチン開発・供給に時間がかかる見通しのなかなのだ。 時間がかかるということは、「自粛」による経済的・社会的影響も持続するということ。
生存権の保障なき「自粛」は、生そのものを奪いかねないということ。もうすでにたくさんの我慢を強いられている。
声を上げることで社会は変わってきた。ほんとうは声なんて上げたくない。 声を上げなきゃ、始まらない。
主催:エキタス京都/ユニオンぼちぼち(関西非正規等労働組合)
連絡:botiboti@rootless.org

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