3月19日(月)18時開場 18時半開始(21時まで)
会場:専修大学神田校舎1号館7階71教室
参加費:
(コメント)中村勝己(イタリア政治思想史研究、ルネ研運営委員)(リプライ)洪貴義(ほん・きうい、ダバシ邦訳者、政治学・思想史研究)
(概要)
ハミッド・ダバシ(Hamid Dabashi, 1951-)の邦訳書『ポスト・オリエンタリズム――テロの時代における知と権力』(作品社)が本年1月に刊行された。ダバシは米国のコロンビア大学で比較文学を教えるイラン人思想家である。E・サイード亡き後、ポストコロニアリズム批評の後継者と目される人物であり、国際的な評価も高まっている。そもそもサイードは『オリエンタリズム』において、近代西洋の「オリエント学(東洋研究)」が前提とする「西洋/東洋(主として中東)」という二元論的な認識枠組みがもたらす言説構造を知と権力の共犯関係として批判した。西洋の文化・学問と、西洋による東洋(中東)への植民地支配との共犯関係である。ダバシはこうしたサイードの貢献を踏まえつつ、サイードが無意識のうちに前提していたものを批判しその先へと進もうとする。サイードは、その西洋文化批判の鋭さにもかかわらず、結局のところ、批判の対象である西洋文化の伝統を延命させている、と。そして「自分の語りと倫理的怒りと議論の焦点の中心に、欧米の白人の対話者を設定してきた」と(本書315頁)。そこでダバシが提起するのは、「架空の白人男性対話者」を別の対話者に替えることである、ちょうどマルコムXやフランツ・ファノンやエメ・セゼールがそうしたように。本書『ポスト・オリエンタリズム』は、英語圏におけるポストコロニアリズム批評の今日的な到達点として今後ますます注目されることになるだろう。そこで今回の定例研究会は、ダバシ『ポスト・オリエンタリズム』の合評会の形式をとり、邦訳者のひとりで政治学・思想史研究者の洪貴義(ほん・きうい)さんを招き、お話を伺うことにしたい。議論はサイードやダバシのように米国で活躍する非西洋出身者たちの仕事を日本社会で読み受容することにはどのような意義と政治性があるのかを巡るものとなろう。進め方としては、ルネ研運営委員のひとり中村勝己が冒頭でコメントを述べ、それに対して洪さんがリプライをおこなう形を取る。