2月23日(土) 13:00-15:00(開場12:30)上映後トーク:川田文子&梁澄子「宋神道さんとの25年」
会場:東京大学本郷キャンパス 工学部2号館 9階93B(〒113-8654 文京区本郷7-3-1)
参加費¥1000(学生無料)
「被害者」は「被害者」ではなく「人」でした。
1993年4月、日本在住の朝鮮人「慰安婦」として唯一人、日本政府に謝罪と賠償を求めて提訴した宋神道さんは、裁判の過程で、また敗訴確定後も、「二度と戦争をしてはならない」と平和を訴え続けました。2017年12月16日、宋さんは95歳の生涯を終えましたが、平和を願うその意志は、宋さんを傍らで支え続けた「在日の慰安婦裁判を支える会」に受け継がれ、今、「希望のたね基金」にも受け継がれています。そしてその意志をより多くの人々と共有することが宋さんの生涯をかけた闘いに応えることだと考え、この映画の上映会を企画しました。
主催:一般社団法人 希望のたね基金
連絡:Email:Info@kibotane.org TEL:080-3418-0609にてお申し込み下さい。お待ちしております。
(解説)
宮城県で戦後を生きてきた宋神道(ソン・シンド)。よく冗談をいい、よく笑い、よく怒る。激しい気性と鋭い舌鋒、類いまれな洞察力は、中国での7年の「慰安婦」体験、半世紀におよぶ「在日」生活を通して、さらに研ぎ澄まされたものだ。「人の心の一寸先は闇だから。オレは絶対、人を信じない」
人間不信の塊だった宋神道が、これを丸ごと受け止めようとする人々と出会い、裁判をたたかう過程で、他者への信頼、自らへの信頼を取り戻していく姿を追ったドキュメンタリー。
宋神道さんは1922年、朝鮮の忠清南道に生まれた。満16歳の時(1938年)、騙されて中国中部の武昌で「慰安婦」をするよう強制される。19歳の時に初潮を迎え、その後たびたび妊娠。漢口で子どもを産むが、慰安所で育てることはできず、近所の人に預けて岳州に移動。「部隊付き」として、応山、長安などに出かけることもあった。咸寧で日本の敗戦を知るが、行くあてもなく、「結婚して日本に行こう」という日本軍人の言葉に一縷の望みを託して日本へ。しかし1946年春、引き揚げ船で博多港に着いた後ほどなく、その軍人に放り出されてしまう。その後、宮城県在住の在日朝鮮人男性に救われ、この男性が亡くなる1982年まで共に暮らしたが、現在は独り暮らし。
1993年4月、日本政府に対し「謝罪文の交付」と「国会での公式謝罪」を求めて提訴した。
この裁判を支援するため、1993年1月「在日の慰安婦裁判を支える会」が結成された。
「支える会」は、代表は決めない、事務所を持たない、専従も置かない、という「ないない三原則」に則って活動した。映画は、宋さんと「支える会」が出会い、共に泣き、笑い、歯ぎしりしながら裁判をたたかう過程、そしてこの裁判を通して宋さんが歩んだ被害回復の過程を描き出す。
裁判は、1999年10月東京地裁、2000年11月東京高裁で 請求棄却、2003年3月に最高裁でも上告を棄却され、敗訴が確定したが、敗訴確定後の最後の裁判報告集会で宋さんが言う。「裁判に負けても、オレの心は負けてない」裁判に負けても、負けた気がしない。そう言い合える関係が、宋さんと支える会、支援者たちとの間で築かれた10年だった。 宋さんの裁判を支援し見守ってきた670人の募金によって制作された本作は、「慰安婦問題」を「問題」として捉るのではなく、「人」の視点からアプローチすることの大切さを訴える作品である。