6・30「山田編集長は無罪だ!判決前大集会」

公安警察の報道弾圧 民主主義の根幹を破壊 基調講演:下地真樹さん(阪南大学准教授)

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 「山田編集長は無罪だ!判決前大集会」が6月30日に尼崎市小田地区会館で開催された。

 7月18日の判決を前に、弾圧の不当性を捉え返し、無罪の世論を広げることが目的だ。編集長の決意表明、橋本弁護士の争点解説、安倍政権の報道弾圧、連帯労組や京大の弾圧などがが報告された。その中から、「人民新聞弾圧の意味を考える」と題した下地真樹さんの基調講演の要約を紹介する。自身も被弾圧当事者である下地さんは、「これは報道機関への弾圧の先例作りであり、国家権力と公安警察の拡大を止めよう」と強調した。

(文責・編集部)

 人民新聞弾圧は、どんな判決が出るか楽観できません。酷い政治体制の中ですし、似たような弾圧事例が次々と起こっています。

 まず公安警察とは何か。公安は特殊です。「国家体制に対する脅威」に対応するのが公安警察。百歩譲って公安警察のようなものを認めるとしても、この場合の「国家」は、基本的人権を守る民主的国家体制それ自体に限定されねばなりません。しかし、公安の忠誠は、国家と権力者を同一視し、民主的な価値理念を離れて具体的な権力者への忠誠に容易に転化してしまいます。

 警察は、本来「犯罪事案」へ対応するものです。犯罪事件が起き、その真相究明と処罰のために、逮捕などの強行的権力を行使することになっています。しかし公安の場合、強行的権力を行使する「口実として」事件化を行います。「こいつは怪しい」と思う人を監視・情報収集します。公安警察は、活動をチェックされないのをいいことに、だらしなく広がっていきました。

 法は余白、解釈の余地が残るものです。法を行使する人間が何のために解釈し、使うかによって変わってきます。常に存在する法の間隙が、公安のような弾圧の意図で埋められることは、きわめて危険です。法は人権保障以外の目的に統制されてはいけないのです。

 自分以外の人にキャッシュカードを使わせたという容疑ですが、こんなことは誰でも日常的に行っているし、そもそも被害者がいません。形式的に法律に当てはめれば何かの罪にはなっても、それが犯罪か? 具体的な誰かの自由・存在・安全性を脅かすものか? 具体的に誰かの人権侵害になっているのか? そこを具体的に考えるべきなのに、弾圧の意図を隠して形式的に当てはめていく。これは「法の濫用」以外の何物でもありません。

 

報道機関に対する不当弾圧をただ垂れ流すメディアの惨状

 今回強調すべきは「報道機関に対する弾圧」です。公安は、手法を開発し、対象を拡大し、社会に浸潤していきます。メディアは「私見を交えず公式発表を報道した」つもりで警察発表を垂れ流します。公安目線に同調しながら、その自覚がないわけです。逮捕された人を即「犯罪者」扱いする市民の目線も同様です。自覚のない権力への同化が蔓延しています。

 私は12年に大阪で震災汚染がれき焼却への抗議行動で逮捕された時、大学の研究室も家宅捜索を受けました。捜索自体ほとんどせず、押収物もなし。つまり、捜査上の必要性はなかったのは明らかです。おそらく、大学の研究室に対する捜索令状を出させた、という前例が欲しかったのでしょう。今後の弾圧で活用するためです。公安は、単に弾圧するだけでなく、弾圧の手法を日々開発しています。そして、新たな手法を繰り返し使って手法として確立しつつ、さらに弾圧を拡大させていくわけです。 

社会を批判する組織に対する国家の暴力をどう止めるか

 以前は「公務執行妨害」が主流でしたが、最近は「威力業務妨害」の適用が増えています。具体的な暴行行為などに限定された公妨よりも、適用範囲が広く使いやすいからです。建造物侵入や不退去、スタディツアーを旅行業法違反で弾圧など、次々と新たな手法が開発されています。

 共謀の有無についても、かなり簡単に認定されます。私自身の事案では「黙示の共謀」、「人間関係から類推して共謀がなかったはずがない」とう理屈で共謀が認定されました。要するに、共謀に関する具体的事実なんか最初から問題にせず、共謀があったと決めつけているだけです。同じ場所にいた、面識があった、それだけで共謀の存在を決めつける判断を現実の裁判所が既にしています。

 共謀罪はさらにひどい。そもそもやっていなくても「やろうと相談した」ことが犯罪になる、という話だからです。そして犯罪事案の捏造よりも、共謀したことの捏造は、容易かつ反証困難です。一層ひどい弾圧が行われるでしょう。

 警察や公安に象徴される国家暴力は、私的暴力の蔓延を抑えるために必要だと言う人もいるでしょう。しかし、人権保障の基本原理で統制されず、事前も事後も十分なチェックを受けなければ、私的暴力が蔓延する状況となんら変わりません。市民運動や労働運動、報道機関による公的暴力への監視と抑制こそが重要なのです。

 公安によるこれら社会批判機能を担う組織への弾圧は危険です。監視され抑制されるべき国家暴力が、その監視と抑制から逃れようとしているからです。

 私たちは、人民新聞弾圧のような、民主社会に不可欠の社会批判機能を担う組織への弾圧をきっちりと批判せねばなりません。国家暴力をどう抑制していくか、今後も皆さんと共に考えていきたいと思います。

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