【本 BOOK】原発被ばく労災 拡がる健康被害と労災補償

評者 黒田 節子(原発いらない福島の女たち)

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声を上げる被ばく労働者

 原発は「トイレのないマンション」といういい方がある。それは使用済みの核廃棄物などのことを言っているわけだが、この「マンション」は、建築資材を調達するところからウラン採掘での原住民や労働者を被ばくさせる。

 あるいは、高橋哲也の表現した「犠牲のシステム」。しかし、この被ばく労働の問題は脱原発運動の中でも光が当たりにくい。それはどうしてなのか、ウッスラ考えながら読んでいた。
 本書は、第1章に原発労働者の声、第3章に被ばく労災をめぐる闘いの記録、第2・4章に労災補償、原子力損害賠償をめぐる制度上の問題点と新たな提起、という構成内容。
 第1章では、あらかぶさん(仮名)、岩田守さん(仮名)、池田実さんが、それぞれ自らの体験を語っている。

 あらかぶさんは最初に法廷に立ったとき、こう意見陳述する。「この裁判を起こした理由は、東電らに自らの責任としっかり向き合ってほしいからです。私は、福島の原発事故収束作業に従事した多くの労働者の一人として、他の作業員たちのためにも、今声をあげる責任があると思い、この裁判に踏み切りました」。

 被ばく労働は、裁判のこの言葉に集約されているのではないか。働く仲間を思いやる気持ちと、「東北や福島の人のために働きたい」と家族の心配を押し切って現地入りしてくれたあらかぶさんたちには、福島に暮らす者として感謝の思いでいっぱいだ。 あらかぶさん裁判は続く。どうか注目と支援を!

闘いの記録が明らかにする労働者使い捨ての構造

 第3章では、日本で最初の原発被ばく裁判で、放射線皮膚炎かどうか、被ばくがあったかどうかが争点の「岩佐訴訟」が紹介される。
 1981年3月30日、大阪地裁での原審判決は、放射線被ばくと健康障害の因果関係の立証の難しさを示したものだった。

 賠償をスムーズにして被災者を保護するための原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)による裁判であるにもかかわらず、原告の岩佐さんと被告の日本原電の主張はことごとく対立。控訴審でも敗訴判決を受ける。

 しかし、70万人にのぼる被ばく労働者(医療従事者なども含む)の健康影響の問題を提起した意義は大きい。

 さらに、1993年に実名で労災申請した最初の人=嶋橋伸之さんの労災認定までの経緯と闘病の記録は胸を打つ。日本の原発で白血病患者が出たという正式な発表がなかった頃のこと、長い闘病生活の後、息子さんを亡くした両親が、国や企業・労働基準監督署の対応に大変悔しい思いをされる。

 それは、「もし労災が認められたら遺族補償給付に相当する分を返還しろ」という不誠実な対応に、腹わたが煮えくり返る思いをしながら闘いとった労災だった。文は、伸之さんの母・嶋橋美智子さんによるものだ。

 他に長尾光明さん(多発性骨髄腫)、喜友名正さん(悪性リンパ腫)、梅田隆亮さん(急性心筋梗塞)の記録と続く。重たい真実が語られる。圧巻だ。
 私たちは人々の闘いの歴史から何を学び、何を得ることができるのだろうか。第2・4章は、日本の労災補償と裁判制度の説明。専門的だが、実際の現場に役立つだろう。

 労働者を被ばくさせていながら、労働者使い捨ての多重構造で被害が見えにくくなっている。
 東電らにとって、被ばく労働問題は最大の弱点だ。だから、これを闇に葬り、絶望的なシステムの維持に懸命なのだろう。脱原発の私たちは、原発で働く人たちとつながり、現場で何が起きているかを知らなければならない、と改めて思った。

 長年、被ばく労働者を取材している樋口健二氏の発言で締めくくりたい。

 「鉱毒など昔からさまざまな公害や労働災害がありますが、原発ほどの暗黒労働はない。放射線渦巻く中に底辺労働者を突っ込んで収奪し、殺していく産業です。なにがなんでもなくさないといけない。命をかけても、なくしたいと思っています」(『原発崩壊』より)

 三一書房/2018年6月刊

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