マキシミリアンC. フォート(カナダのコンコルディア大学社会学・文化人類学部準教授)
『カウンターパンチ』2011年8月31日 (翻訳/脇浜義明)
NATO軍・反逆者、反乱者・暫定政権との戦闘でカダフィ側に戦力がなくなったことが明らかになって以来、各種テレビ・コメンテーターたちが戦争勝利を祝福している。(訳注:9月に入ってサルコジ仏大統領とキャメロン英首相がリビアを突然訪問、民衆の前で勝利を賛美した)これは「リビア民衆の勝利」で、我われ(西側の人間)はこれを祝福すべきだという。さらに、これはまた我われの「保護する責任」(訳注:ルワンダで国連平和維持軍司令官だったロメオ・ダレール等が発展させた思想で、第三世界の国家が自国民の命や人権を守ることができない場合、国際社会が保護する責任があるという思想。2009年にMobilizing the Will to Intervene: Leadership and Action to Prevent Mass Atrocitiesと言う指針を出して、大国の他国介入を正当化した)の勝利、「人道主義的介入」の勝利であって、「反帝国主義を振り回す左翼」は我われの善意の勝利を思い知るべきだと、左翼非難を付け加える。それどころか、「革命派」を自称する人々、あるいは「アラブ革命」支持を謳いあげる人々の中に、どういうわけかNATOの役割に一切触れず、ただ反乱者たちの民主主義への情熱と殉教精神を大声で誉めそやし、その声の大きさで他の要素をかき消す人々もいる。本論で、私はこういう拍手喝采に異論を唱える。リビア戦争を動機付け、正当化し、実行可能な次元へもっていき、実際に実行へ踏み切るのに使用された神話、イデオロギーに動機付けられた「真実」のでっち上げを読者の前に明らかにしたいと思う。神話が果たした実際的影響がリビア人民及び平和的・非軍事的解決を望んでいた人々にとっていかに破壊的であったかを述べたい。
これから説明する10大神話は、反乱軍、NATO、ヨーロッパの政治家、オバマ政権、主流メディア、いわゆる「国際刑事裁判所」まで ― つまり戦争の主役たちが繰り返し主張してきたものである。それに対し私の方は、それらは帝国主義的民間伝承と解釈すべきである、特にすべての神話の土台となる基礎的神話が、この戦争は「保護する責任」のために企画された「人道主義的介入」であるというでっち上げである、と解釈する。この神話が深刻なのは、それが世界中に幅広く伝播され、ほとんど疑念を招くこともなく、それ故破滅的効果を発揮したことである。そればかりか、それは人権という理想と将来人権を実現するという可能性を大きくゆがめる恐れがあり、加えて西側文化と社会の軍事化を引き続き助長する恐れがある。
1.ジェノサイド神話/2.カダフィが「自国民を爆撃している」という神話/3.「ベンガジを救え」神話/4.アフリカ人傭兵神話/5.バイアグラ配給による大量レイプ扇動神話/6.「保護する責任」(R2P)神話/7.カダフィ=悪魔神話/8.自由の戦士=天使神話/9.リビア人民の勝利神話/10.「左派」敗北神話
(関連記事:「人道的介入」というウソ ──インタビュー N・チョムスキー)
街頭抗議が始まって数日後の2月21日、素早く政権離脱したリビア国連代表部のイブラヒム・ダハシ次席大使は、「トリポリでは大虐殺が起きるだろう。どんどんと傭兵が飛行機で運ばれてきて、空港に降り立っている」と発言した。 この発言で彼は三つの神話 ― 飛行機の役割(従って本格的軍事介入へのゲートウェイ・ドラッグ(訳注:本格的麻薬へのめり込む入り口となる薬物のこと)としての飛行禁止区域の設置)、「傭兵」の役割(従って黒人をやつけること)、「ジェノサイド」の脅威(従って国連の保護する責任の発動)を一つに纏めたので、実に用意周到な発言であった。根拠をあげないぎこちない主張ではあったが、三つの神話をうまく纏めた。その一つは、リビア社会にある人種差別ディスコースと慣行に基づいたもので、それは現在もなお影響力を発揮、毎日のように黒人リビア人やブラック・アフリカからの移民労働者に対する残虐行為が伝えられている。(訳注:70年代〜80年代カダフィはベンガジの中産階級や商人階級へのカウンターバランスとして黒人の入国や雇用を促進した。それが、伝統的に欧米の植民地支配と差別と偏見に苦しんできたアラブ人が西欧の偏見をそのまま取り込んでアフリカ人へ向けるという黒人差別の助長に繋がった。解放を求める「民主化勢力」が人種差別から解放されようとしない悲しい現実は当初から指摘されていた)こういう主張をしたのは彼だけではなかった。3月14日、リビア人権同盟のソリマン・ブーフィギル(Soliman Bouchuiguir)会長はロイター記者に、もしカダフィ軍がベンガジにやってきたら「大変な流血、ルワンダの大虐殺が再現するだろう」と語った。何かにつけルワンダが引き合いに出された。1994年ルワンダの国連平和維持軍司令官のカナダ軍中将、現在カナダ上院議員で、コンコルディア大学の「介入意志プロジェクト」(The Will to Intervene project)(訳注:W2Iと表記され、米軍やカナダ軍がジェノサイド防止のために他国へ介入することを研究するプロジェクトで、先に述べた「保護する責任」概念を開発した)の共同委員長であるロメロ・ダレールも、リビアに関してルワンダを持ち出した。彼はリビアの状況判断の中で何度もルワンダに言及したばかりでなく、カダフィ軍が「一戸一戸回って不穏分子浄化、これはジェノサイドを引き起こす弾圧方法である」と判断した。カダフィの大言壮語を選択的に取り上げて、大真面目に判断したのであろう。大方はカダフィ喇叭を額面どおりには受け取らない。例えば、米国務省スポークスマンのマーク・トーナは、カダフィのヨーロッパに対する大げさな脅迫発言を「仰々しいレトリックを使う性癖」として一笑に付した。2月23日オバマ大統領は、カダフィ対策として「幅広い選択肢」を検討せよと政府に指示したと発表したが、はるかに沈着で便利な(日和見的)態度であった。
「ジェノサイド」には国際的に確立した定義がある。1948年国連で採択されたジェノサイド条約(集団抹殺の防止及び処罰に関する条約)第2条で、「国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部又は一部を破壊する意図でもって行われる行為」とある。暴力なら何でもジェノサイドというわけではないのだ。内紛の暴力はジェノサイドではない。「たくさんの暴力」も市民への無差別暴力もジェノサイドではない。ジェノサイドを口にするダハシやダレールたちは「国民的、民族的、人種的、宗教的な集団」を特定していない。ジェノサイドを犯しているとされるカダフィ軍の行為が国際的定義から見ればジェノサイドではないことは、二人とも知っているはずである。一人は国連外交官、1人はジェノサイドに関する著名な専門家である。ということは、これは意図的なジェノサイド神話作りか、あるいは偏見に基づく神話ということを意味しているのではないか。
しかし、NATO介入支援によって、反対に反乱勢力側のジェノサイド的暴力が可能となったことを指摘しなければならない。これはつい最近まで脇へやられて見落とされていた暴力 ― ただ皮膚の色だけを根拠にして対象を選び出して加害する暴力、つまりアフリカからの移住者や黒い肌のリビア人への暴力で、これの方が国際的定義上のジェノサイドにあてはまる。ごく最近まで、誰からも邪魔されず、弁解や謝罪もなく、平然と罷り通っていた暴力である。主流メディアも、反乱軍が逮捕・殺害する黒人は「傭兵」だったからだとして、むしろこの人種迫害へ協力姿勢だった。これこそ、白人世界、西欧社会、そしてリビアに関する「会話」を独占支配している勢力が見落としていた(それも故意に)ジェノサイドである。(冒頭へ)
飛行禁止区域を急遽設置した理由の一つは、カダフィが空軍を使って「自国民」を爆撃するのを防止するためだったことを思い出そう ― 「自国民」、これはイラクでサダム・フセインを悪魔化するときにも何度も使われた言葉であった。2月21日、反乱勢力が初めて「ジェノサイド」が生じる「警鐘」を鳴らしたとき、アルジャジーラもBBCも、カダフィが抗議する国民を弾圧するために空軍を展開させたと報道した ― BBCの報道では、「空軍戦闘機が街頭で抗議する人々に機銃掃射するのを見たという目撃者(複数)いる」とあった。しかし、3月1日米国防総省の記者会見である記者が「彼(カダフィ)が空軍を使って本当に自国民を爆撃したという証拠があるのですか。そういううわさと報道はありますが、確認をしたのですか。もし確認をされたのなら、その規模はどの程度だったのですか」と質問をした。それに対し、ロバート・ゲイツ国防長官は「空爆の新聞報道は読んだが、事実かどうかの確認はとれていない」と答え、マレン提督も「長官のおっしゃるとおりで、我われは確認していません」と補強した。
他にも、カダフィが非武装抗議者集団にヘリコプター機銃掃射を浴びせたといううわさもあったが、これはまったく事実無根で、単なるうわさを事件にでっち上げたのある。こういうでっち上げが必要だった。カダフィのリビア上空域支配力を無力化するために外国軍の介入が絶対必要だったからだ。カダフィ空軍残虐行為という神話がNATO軍に介入口実を与え、介入した外国軍は「民間人保護」という表向きの役割をはるかに越える軍事行動を行ったのである。
ニューヨーク・タイムズのディヴィド・カーパトリック記者は3月21日という早い段階で、「反乱勢力には、プロパガンダ作りで事実に忠実になろうとする気持ちが感じられない。ありもしない戦闘勝利を宣言したり、カダフィ軍の手に落ちた町でまだ戦っていると主張したり、カダフィの野蛮な行為を大きく誇張してばら撒いている」ことを発見した。この大きく誇張されたカダフィの野蛮な行為こそが、リビア情勢に関する帝国主義的民間伝承となって伝播、西側の軍事介入を容易にした。ベンガジに群がっている報道陣は民間伝承に疑問を抱いて調べようともせず、自分たちをもてなしてくれるホスト(反乱勢力)の機嫌を損ねないようにするのみであった。(冒頭へ)
この論文の草稿を書いていたのは、ちょうど反乱軍がカダフィ政権の最後の拠点である都市シルテとサブハに向かって進軍しているときであった。シルテとサブハの住民には、降伏せよ、さもなければ・・・という不吉な警告が発せられていた。EUやNATOの指導者にとって救うべき都市はベンガジで、ベンガジは国際的ディスコースで「聖なる都市」のような存在になっていた。決して手を触れさせてはいけない「聖都」扱いで、それに比べてトリポリ、シルテ、サブハは犠牲として消耗してもよい都市、破壊を傍観していても何ら非難を招かない都市であった ― 実際、トリポリで反乱軍が住民を殺戮しているという第一報が入ったとき、世界はのんびり傍観しているだけであった。このベンガジ神話について検討する。
オバマ米大統領は、3月28日の演説で、「あと一日行動を遅らせていたら、シャーロット(訳注:ノースカロライナ州最大の都市)とほぼ同じ規模の都市ベンガジが大虐殺の場となり、中東地域全体にショック波を引き起こし、世界は良心の傷に苦しむことになったであろう」と言った。彼は、キャメロン英首相とサルコジ仏大統領との共同書簡の中で次のように主張した。「早急な行動を起こしたことで、われわれ西側諸国はカダフィ軍の前進を食い止めることができたのだ。ベンガジの市民が包囲されて殺戮される惨劇を防ぐことができたのだ。何十万人もの命を救うことができたのだ。」退却する政府軍の隊列に仏軍戦闘機が追い討ちの爆撃を加えたのだが、われわれが見たのはトラックや救急車の短い隊列への容赦ない銃撃だった。そんなものがベンガジを破壊し占領できたはずがなかった。米は、当初カダフィの「仰々しいレトリック性癖」と言っていたが、時機が適うとすぐにそれを捨て、それを材料にベンガジ大虐殺の可能性を作りあげた。このカダフィの大言壮語以外に、オバマ・キャメロン・サルコジが宣言したベンガジ大虐殺の可能性を証拠付けるものは何もない。このことについて、リンドン・B・ジョンソン公共政策大学院のアランJ.カッパーマン教授は「リビア戦争偽りの口実か」の中で次のように説明している。
カダフィがベンガジ・ジェノサイドを企んでいなかったことを示す一番の証拠は、彼が全面的あるいは部分的に奪回した都市 ― ザウィーヤ、ミスラータ、アジダビーヤで、合わせるとベンガジより大きい人口になる ― でそういうことを行わなかったことである・・・カダフィの行為はルワンダ、ダルフール(スーダン)、コンゴ、ボスニア、その他のキリング・フィールドで起きたこととは大きく異なっていた・・・カメラやビデオ装備がついた携帯電話が溢れかえっているにもかかわらず、組織的大虐殺を示す映像証拠は一つもない・・・それにカダフィは、オバマが主張したようなベンガジ市民大虐殺を行うと言っていない。3月17日に「容赦しない」という発言をしているのは事実だが、それは、ニューヨーク・タイムズが報道したように、反乱軍を対象にしたものであった。同紙は、反乱軍でも「武器を捨てた者」は恩赦するというカダフィの発言を伝えている。さらにカダフィは、「とことんまでの戦闘」を避けるために、エジプトとの国境検問所を開け、反乱軍の逃げ道を用意していたのである。
皮肉なことに、虐殺、カダフィの虐殺というより両軍の残虐行為は、NATOが「救命」軍事措置を投入した数ヵ月後、つまり最近になって、トリポリで見られたのである。トリポリでは、毎日のように報復殺戮のニュースが伝わっている。中でも目立つのは反乱軍による黒人リビア人やアフリカからの移住者への大量殺戮である。さらに皮肉なことに、カダフィ軍が撃退され、完全に反乱軍の支配化に入ったベンガジでも殺戮が起きていることだ ― 報復殺戮のニュースが飛び交っているが、それについては第6の神話の項で説明する。(冒頭へ)
パトリック・コックバーンは「アフリカ人傭兵」神話の効用とそれが生まれる背景を次のように纏めている。「2月以降、外国軍の支援を受けた反乱軍はこの戦争をカダフィ一族とリビア国民の間の戦いと規定し、カダフィ側の軍勢はカネだけで動くアフリカ黒人傭兵だと説明している。」彼は、反乱軍が捕らえた黒人を報道陣に展示したことも書いている。(かりに黒人が本当に兵隊だったとしても、彼らを「展示する」のはジュネーブ協定違反になる)しかし、調査に入ったアムネスティ・インターナショナルは、捕らえられた黒人は兵隊ではなくマリ、チャド、西アフリカから働きにやってきた不法滞在者たちであることを発見し、多分その後釈放されたであろうとレポートしている。「カダフィ一族とリビア国民の間」の戦争と規定した以上カダフィ側にリビア人がいてはならないので、傭兵神話が誕生したのである。子供だましの幼稚なでっち上げである。さらにこの神話は「新生リビア」を汎アフリカ主義から切り離し(訳注:カダフィはナセルを師と仰いで革命を行い、汎アラブ主義の立場をとっていたが、21世紀に入ってからは汎アフリカ主義へと傾いていった)、ヨーロッパ的近代世界へ編入するのにも一役買っている。反乱軍の中には西側との一体化を切望する勢力もいる。このアフリカ人傭兵神話が人種差別的虐待行為の口実となり、虐待行為が事実として認知されながら無視されてきたのである。数ヶ月前に私は、アルジャジーラやネット上のソーシャル・メディアの種まきに乗じて、主流メディアがアフリカ人傭兵神話を拡大し、広く伝播する役割を果たした点をつぶさに検討した。そこで発見した事実は、サハラ以南アフリカ人や黒い皮膚のリビア人を悪魔化する風潮に乗らず、反対に黒人こそが虐待の犠牲者であることを明らかにしたのは、ロサンゼルス・タイムズと人権団体のヒューマン・ライツ・ウオッチだけであった。彼らは、黒人傭兵がリビア東部に集結しているといううわさやニュースが事実無根であることを明らかにした(アル・アラビーヤ、ザ・テレグラフ、大手では特にタイムやガーディアンがその事実無根の報道をしていた)。アルジャジーラのジャーナリストたちも黒人傭兵脅威プロパガンダに関与したが、そのアルジャジーラでさえ、リビア東部で起きた黒人住民への略奪、殺害、誘拐事件を取り上げて報道した(CBS、チャンネル4らはこの事件を人種差別事件として報道したが、アルジャジーラはその点では曖昧だった)。最近になってやっとリビア反乱軍の人種差別にマス・メディアが一役買っている事実への認識が高まってきた ― 例えば、2011年8月24日の「FAIRブログ」に「ニューヨーク・タイムズは、リビアに関する故意の誤報の中に人種差別意図があり、それを自社も拡散に協力してしまったことを認める」という文が載っている。(訳注:FIAR blogはメディア監視グループのブログ。http://www.fair.org)
黒いリビア人やサハラ以南のアフリカ人への人種迫害的殺害は今も続いている。パトリック・コックバーンとキム・セングプタは、「トリポリ中心街で、30人の腐乱死体。ほとんどが黒人で、手錠をかけられ、担架や救急車の中で殺害され、そのまま放置されていた」ことを書いている。BBCテレビはアブ・サリーム病院で数百人の死体が転がっているビデオを放映したが、その死体のほとんどが黒人であるという事実や誰が殺害したのかという問題には言及しなかった。セングプタは反カダフィ軍にインタビューしたが、彼らにとって死体が黒人であることはまったく問題にならなかった。「『こっちへきて見ろよ。こいつらはアフリカ人で、カダフィに雇われた傭兵だ』とアハメド・ビン・サブリは大声で言って、テントをめくって1人の患者の死体を見せてくれた。灰色のTシャツがどす黒く血で染まり、腕に繋がっている点滴の管には蝿が群がっていた。治療中の怪我人を処刑する必要があったのか?」と、彼は書いている。ダウエルガ市で反乱軍が黒人を民族浄化していることが明らかになった。自らを「黒い皮膚の奴隷を粛清する旅団」と名乗る反乱軍で、「新生リビアはダウエルガの黒人に医療や教育のサービスを禁じるだろう。近くの都市ミスラータからは黒いリビア人をすべて追放した」と言った。(訳注:米国の黒人指導者ジェシー・ジャクソンJr.は、国際刑事裁判所がダウエルガ市の黒人虐待を調査すべきだという声明をだしている)
ヒューマン・ライツ・ウオッチは「黒色肌のリビア人とサハラ以南アフリカ人は反乱軍や武装グループから親カダフィ傭兵と見られることが多いので、特に危険な状態にある。我われは、反カダフィ勢力連合体国民評議会の制圧地区で、多くの黒人たちが襲撃され殺害される光景を目撃した」と報告している。また、アムネスティ・インターナショナルは、反乱軍支配地アズ・ザウィヤで拘留されている人々の中でアフリカ人がずば抜けて多いことや、武器を所持していない移民農業労働者が虐待の的になっている事態を報告している。この種のレポートは、私がこれを書いている間にもどんどん入ってきた。諸人権団体からの反乱軍がサハラ以南アフリカ人移住労働者を虐殺しているというレポート。少し前、アフリカ連合のジャン・ピン議長が次ぎのような述べた報告もある。「国民評議会は黒人を用兵と取り違えているようだ。黒人はみんな傭兵だと思われている。もしそうだったから、リビア国民の3分の1は黒人だから、かれらもみんな傭兵ということになる。普通の人々、普通の労働者が(肌の色が黒いために)殺害され、虐待されている。」(私はこれらの報告やレポートを編集してリスト化しているので、関心のある人は読んで欲しい)
「アフリカ人傭兵」神話がすべての神話の中で最も悪質で、レイシストそのものである。ごく最近になっても、例えばボストン・グローブなどの新聞は黒人死体や逮捕者の写真を、何の証拠もないのに傭兵だとして、疑うこともしないで「無邪気に」に報道している。写真の黒人は黒い皮膚のリビア国民ではないのかと調べることもしないで、カダフィは過去においても外国からアフリカ人を雇い入れたといううわさがあるといい加減なコメントとつけているだけである。黒いリビア人とサハラ以南アフリカ人のリンチは前々から続いてきたのに、米国政府やNATOは形ばかりの懸念すら表明しなかったし、いわゆる「国際刑事裁判所」も関心を示さなかった。明らかに民族浄化であるこの恐ろしい犯罪を止めるものがいないので、黒人犠牲者のために正義が行使される機会がほとんどない。やっと今になって、メディアが何ヶ月間もの無視から脱して、この犯罪の取材・報道を意識し始めた状態である。(冒頭へ)
カダフィ政権の犯罪と人権蹂躙のうわさはもう十分に恐ろしいもので、そのうえにまだ、カダフィは軍にバイアグラを配給して大量レイプを扇動しているという神話まで作り出す必要があるのだろうかと思いたくなる。多分その種のうわさは「トラウマを負った大衆の想像力を捕らえる」ので、「売り」に出されたのであろう。中には大真面目に捉えて、製造販売元のファイザー社に、バイアグラが戦争武器に使われている様子なのでリビアへの販売を中止するようにと要請する手紙を書いた人々もいた。他の点ではもっと分別がある人々ですら、意識的に国際社会に誤報を伝えるのに手を貸した。
バイアグラ神話を最初に取り上げて報道したのは、反乱軍と協力関係にあったアルジャジーラであった。アルジャジーラに資金を提供するカタール政権は反乱軍支持である。それをほとんどの西側メディアが拡大再報道した。
国際刑事裁判所のルイス・モレノオカンポ主任検察官は国際メディアに対して、カダフィが「レイプ可能性を高めるために」自軍にバイアグラを配給し、数百人の女性を強姦する命令を出した「証拠」があると言った。「カダフィ自身も強姦する決定をしたという情報が我われの手元に届いている」し、「政府に反対するものを強姦するというのはカダフィ政権の政策であったという情報もある」とモレノオカンポは主張した。さらに彼は、バイアグラは「ナタと同じ」で、「集団レイプの道具」だと叫んだ。米国国連大使スーザン・ライスは、カダフィが大量レイプを促進するために自軍兵士にバイアグラを配給しているというショッキングな演説を安保理で行った。しかし、その主張を裏付ける証拠を何一つ提示しなかった。証拠どころか、米軍筋や米諜報機関は、「リビア軍兵士がバイアグラを支給されて反乱地域で女性を組織的にレイプしているという証拠なない」とNBCニュースに語り、ライス大使の主張をきっぱり否定した。ライスはオバマにリビア介入を勧めたリベラル系介入派で、この神話に飛びついたのは、カダフィの人権侵害行為と反乱勢力のそれとを「同じように見てはならない」という主張を国連でするのに役立つと思ったからであろう。ヒラリー・クリントン国務長官も、「カダフィの治安部隊や彼を支持するグループは女性に対する暴力やレイプを戦争道具に使って、国民を分断しようとしている。米合衆国はこういう行為を最大の強い言葉で非難する」と宣言した。彼女は、自分はこのような「大規模レイプ」ニュースを得て「大変心を痛めている」と付言した(しかし、反乱軍がレイシズム・リンチを行っていることに心を痛めているとは言わなかった)。
6月10日になると、リビア政府の集団レイプ疑惑に関する国連人権調査団のチェリフ・バッシューニ団長は、バイアグラと集団レイプという主張は「集団ヒステリー」の一部ではないかと言った。戦闘を行っている両陣営が同じ非難を相手方に投げ合っているが、事実は確認できない。彼は記者会見で、7万通の調査票を送って6万通の返信を受け取り、返信者の259人が性的暴行を受けたと回答したと主張しているリビア人女性の件を報告した。調査団がその女性に調査票や回答を見せてくれと求めたが、何一つ見せてもらえなかった。「しかし、その女性は世界中にその話をふれまわって・・・とうとうオカンポの耳に届き、オカンポは性的暴行を受けたことを報告した259人が実在する可能性があると信じたのです」と、バッシューニは言った。さらに彼は「その女性は3月に7万通の調査票を送ったというが、その時は郵便業務が行われていないときだったので、そんなことができたはずがない」ことを指摘した。実際、バッシューニ調査団が「発見できた強姦とか性的虐待事件と伝えられる事件」は4件だけであった。「これだけで組織的レイプ政策があったという結論を出せるだろうか?出せないというのが私の意見だ」と彼は断言した。国連だけでなく、アムネスティ・インターナショナルの上級研究員ドナテラ・ロベラも、仏日刊紙リベラシオンのインタビューの中で、アムネスティの調査では「レイプ事件例は見当たらなかった・・・レイプ犠牲者を発見できなかったばかりか、レイプ犠牲者を知っているという人間すら発見できなかった。カダフィが配布したと言われるバイアグラに関しては、それかどうかはともかく、丸焼けになった戦車の近くで何箱かの新品バイアグラの箱が置かれているのを発見したことがある」と語った。
こういう権威ある調査結果にもかかわらず、ニュース製造業者はレイプ神話を流し続けた。但し、少し修正した形で。バッシューニが国際刑事裁判所とメディアに恥をかかせる発表をした数日後、BBCはさらにデマの上塗りをするニュースを流した。今度は、リビアのレイプ犠牲者が「名誉殺人」(訳注:家族内の女性が辱めを受けたり不名誉な行為を行った場合、家族内の男性がその女性を殺害して一家の名誉を回復するという風習で、イスラム世界で行われているとされる)に直面していると書いたのだ。私の知人リビア人はそう数多くないけれど、彼らはリビアで名誉殺人の風習なんて聞いたことがないと言っている。学問的研究でもリビアにはそんな現象の記録はほとんどない。名誉殺人神話は大量レイプ神話を生命維持装置にかける目的に大いに役立つ。つまり、女性は恥辱のためにレイプ犠牲者であることを隠すから、証拠が表面化しないだけのことだという反論である。さらに、バッシューニ発言の数日後、反乱軍はCNNと協力して、集団レイプ説を守るために最後のあがきを行った。レイプを撮影した動画がある携帯電話を、政府軍兵士のものだとして提示したのである。動画に写っているのは平服の男たちで、バイアグラは写ってなかった。動画には日付がなく、誰が何処で写したのかはまったく分からない。形態電話を提示した者たちは他にももっとたくさん動画があったが、犠牲者の「名誉」を守るために消したのだと説明した。(冒頭へ)
カダフィ軍による「ジェノサイド」の危機が差し迫っているという、私の目から見れば誤った主張のために、西側大国が「保護する責任」という国連の2005年ドクトリンを持ち出すのが容易になった。とはいえ、飛行禁止区域設定やその他の軍事行動を容認した安保理決議1973号を決めたときには、リビアの暴力情勢がエジプトやシリアやイエメンの水準に達している様子ではなかった。「人道主義的介入」とされるリビアへの軍事介入はリビアだけを的にする選択性が濃厚で、偏っているという批判に対してよく使われた弁解は、西側がどこにでも軍事介入できるものではないからといって、リビアに介入してはならないということにはならない、というもの。妙な弁解で、何故リビアなのかという理由の説明になっていない。民間人が殺害の標的になっている事態が他の地域であるのに(例えばガザ)、それは無視され、他方でリビア情勢に最大の関心が払われるなどの「選択性」やそれを操作する特定の国のことが国連でも問題となり、「保護する責任」というのは大国の覇権主義的地政学を覆い隠すイチジクの葉になりはしないかという疑問も出されたので、これは重要な問題である。
ここで働いている神話は、外国軍介入は人道主義的懸念に動かされてという神話である。この神話を有効にするためには少なくとも三つの基本的事実を故意に無視する必要がある。一つは新しいアフリカ争奪争いの無視。つまり、中国の進出で、資源と政治的影響力で中国と西側が争い、その上カダフィもアフリカ大陸に手を伸ばし、大陸をめぐる争奪戦があり、米軍アフリカ司令部(AFRICOM)はそのために存在しているという事実の無視。カダフィはアフリカに軍事基地を作ろうというAFRICOMの意図に異議を挟んだ。それゆえAFRICOMはリビア介入、特に「オデッセイの夜明け作戦」(訳注:3月19日から始まった仏、英、米、伊などによる戦闘機や巡航ミサイルによるリビア西軍への攻撃)に直接加わった。ホレス・キャンベル(訳注:シラキュース大学で黒人研究・政治学を担当する教授。アフリカ系アメリカ人。「デモクラシー・ナウ」でリビアの民主勢力を支持するなら、彼らに黒人差別やめるように呼びかけてくれと訴えた)は「米国のリビア爆撃はAFRICOMを正当化する宣伝活動」、「リビアへの人道的介入という外見で侵略部隊AFRICOMに信頼性を付与するチャンス」にしていると言っている。実際、アフリカ大陸におけるカダフィの影響力は、援助、投資、アフリカの西側への依存を減らすための様々なプロジェクトを行ってきたために、大きくなっていた。そしてアフリカの団結を築いて西側の多国籍企業や機構への挑戦を始めていた。そのため、彼はアフリカにおける米国権益のライバルとなっていたのである。二つ目は、カダフィの「資源ナショナリズム」に対する西側の経済的懸念 ― だからこそ、戦争勝利が見えた途端ヨーロッパの企業が戦利品をかき集めるためにリビアに急いで乗り込んでいったのだ ― なんかないかのように無視すること。そればかりか、カダフィが石油収入を使って大アフリカの経済的自立を援助し、西側の支配に挑戦するアフリカの民族解放運動を歴史的に支えてきたことへの西側の敵意なんかないかのように無視すること。三つ目は、いわゆる「アラブ革命」の動向に関して米国が支配力を失っていることへの米政府の苛立ちを、あたかもないかのように無視すること。この三つの事実を重ね合わせ、曖昧で偏った「人道主義的」懸念と照合すれば、人権を保護するための介入と主張するのは、まったく信じ難く、説得力にかける主張である ― とりわけ、アフガニスタンやイラク、その前のコソボやセルビアでのNATOと米軍の残虐な人権侵害実績と考え合わせれば、まったく信じ難い主張である。人道主義という主張は信じ難いばかりでなく、論理的にもまったく合わないのものである。
R2P(保護する責任)が偽善や虚偽の上で実行されたことが明白になれば、今後本当に狼が出ても誰も耳を貸さなくなくだろう。特に軍事介入の前に外交や交渉がまったくなされなかったことが、このたびのリビア介入の真の動機を雄弁に物語っている ― オバマの反応の遅さを批判する声が一部にあったとはいえ、このリビア軍事介入は戦争へまっしぐら、ブッシュのイラク侵攻よりも早いペースの戦争突入であった。平和的政権移行をはかる努力をしようとしたのに米国によって妨害されたとアフリカ連合が証言しているばかりでなく、米国民主党のデニス・クシニッチ議員も、平和的解決が目前にあったのに、「米国務省がそれを潰した」という報告を受けていることを明らかにした。これこそが重大なR2P原則違反で、この人権擁護という理想を政権交替を目的とする汚い利己的戦争(これは国際法違反である)に利用したのである。
R2PがR2Pで言明されている目的に反する行為を正当化する神話の機能を果たしたのは驚くことではない。ここで私が言っているのは、カタールとアラブ首長国連邦がリビア爆撃と反乱勢力支援に加担した ― そのくせ、一方ではバーレーンの民主化蜂起を弾圧するためのサウジアラビア軍の介入を支持した ― こととか、コソボ、イラク、アフガニスタンで戦争犯罪を数多く犯しながら罪に問われていない、押しも押されぬ人権破壊国家の所業ことではない。もっと卑近なこと、例えば、NATOが故意にリビア民間人保護をしなかったばかりか、むしろ、西側の公式定義によればテロ行為となるようなやり方で、わざと故意に民間人を爆撃標的にしたことだ。NATOはリビア国営テレビ局を計画的に爆撃し、3人の民間人記者を殺害したことを認めた。これはジャーナリスト攻撃を禁止する2006年安保理決議に露骨に違反する行為だとして、国際ジャーナリスト連盟から非難された。米軍のアパッチ・ヘリコプター(「巻き添え死者」を多数出すことで悪名高い)がザウィーヤの中央広場で一般市民を多く撃ち殺し、その中には情報相の弟も混じっていた。NATOは「司令部または統治本部施設」をかなり大雑把に解釈して、市民住宅地を爆撃し、カダフィの孫3人を含むカダフィ家の親族を殺害した。まるで「一般市民保護」という神話と守り、「人権擁護のための戦争」が途方もなく人倫に反する矛盾を含んでいることを隠すかのように、主流メディアはNATO空爆が一般市民を殺害したことを報道しないことが多かった。NATOが一般市民を殺害目標にするとき、R2P理念は姿を隠したのである。
この一般市民保護の不履行に関して言えば、リビアから脱出して地中海に漂流する難民船からの助けを求める声を、NATO関係の船舶が無視したという国際法違反例が数多くある。5月、61人のアフリカ人難民が一隻の船の中で死んだ。彼らはNATO加盟国の船舶に接触して救助を求めたのに、無視されたのだ。8月初めにも同じような状況で数十人が死亡した。NATO監視のもとでも、戦争開始後少なくとも1500人の難民が海上で死亡しているのだ。難民のほとんどはサハラ以南のアフリカ人である。死者の数は、反乱でベンガジで死んだ反乱者の数をはるかに上回る。黒人に関してはR2Pがまったく存在しなかったのだ。
NATOは反乱軍の一般市民への犯罪行為を免罪し、NATOのいわゆる保護する責任を放棄するために奇妙な言語操作を開発した。戦争の間NATO 及び欧米政府のスポークスパーソンたちは絶えずカダフィ軍の行為を、例えそれが防衛行為や武装部隊との戦闘行為であっても、「一般市民に対する脅威」と表現した。今週の記者会見でNATOのスポークスパーソンのロラン・ラヴォワは、カダフィ軍にほとんど戦闘能力がなくなったこの段階でNATO軍が爆撃を続けるのは一般市民保護のためだという弁解に四苦八苦している様子が明白だった。NATO が月曜日にシルテ近くで22台の軍用車を攻撃したことに関して、記者から、その軍用車が一般市民を攻撃していたのか、その車は移動していたのかそれとも静止していたのかと質問されたとき、まったくしどろもどろになって答えることができなかった.
NATOは一般民衆を保護すると口にして反乱軍を保護することによって、世界の人々が武装反乱軍を一般民衆と見るように仕向けているのは明白である。ここで興味深いのは、NATOと米国がカルザイ政権の「自国民」攻撃の資金、武器、訓練を提供したアフガニスタンで、武装して抵抗する者がすべて「テロリスト」とか「反乱者」というレッテルを貼られた ― 抵抗者の大多数の者が軍隊に入ったこともない普通の民衆であったにもかかわらず ― ことだ。アフガニスタンでは彼らが反乱者で、NATOによって殺害された彼らは民間人死者数とは別個に分類された。しかし、どういわけかリビアでは反乱者はすべて「一般民衆」なのだ。国連安保理の軍事介入可決に関して、西側記者のためにボランティア通訳をしているトリポリ市民が次ぎのように言ったと伝えられている。「一般民が銃をもっているのに、その一般民を保護する責任があるって?冗談でしょう?私たちが一般市民なんです。私たちはどうなるのです?」NATOは、反乱軍が占領した地域で非武装住民を殺傷しているのに、その反乱軍に保護を与えているのだ。占領された市や町の住民への「保護する責任」は全然なかった。NATOは反乱軍がトリポリを包囲し、トリポリ市民の水、食料、薬品、燃料を止めて、トリポリに日常生活物資が入らないようにしているのを支援した。カダフィが同じことをミスラータでやろうとしたときこれを非難、マスメディアも即座にこれを戦争犯罪と報道したのに、反乱軍やNATOがやると犯罪にならないのだ。ミスラータは救い、トリポリは殺す ― このロジックはどんな呼び方をされても、「人道主義」という名は使えないだろう。反乱軍は黒人リビア人や移住アフリカ人に対して非道な犯罪を繰り返しているだけでなく、「最近占領した西リビアの4つの町で略奪、放火、住民虐待を行っている」ことが、ヒューマン・ライツ・ウオッチによって発見された。もう何ヶ月も前から反乱軍の手中にあるベンガジでも、反乱軍による報復殺害が、5月にニューヨーク・タイムズが、6月後半にアムネスティ・インターナショナルによって報告され、反乱勢力の国民評議会が非難されている。保護する責任?今や嘲りの対象になるような言葉にすぎない。(冒頭へ)
カダフィが英雄的な革命家で、だから西側が彼を悪魔化しなければならないのか、それとも本当に悪い奴なのか、見る人によって異なる。本当に悪い奴ならこんなにも馬鹿げた悪魔化は必要ないのだが。いずれにせよ、ここで問題にする神話とは、カダフィ政権の歴史をすべて残虐行為一色で塗り潰していることだ ― 極悪非道の悪人で、救いになる資質が微塵もなく、そんなカダフィの支持者というレッテルを貼られた者が公然とNATOを支持する者より恥ずべき悪人扱いされる神話だ。これは最悪の二元論的絶対主義である ― カダフィも反乱軍もNATOも支持しないという立場があり得ることは排除されるのだ。どちらかの立場にはめ込まれ、例外が許されない。そんな絶対的対立から生じるのは、両陣営の狂信者たちが主役となって繰り広げるデマ合戦である。こういう議論では明白な事実の認識が吹っ飛んでしまう。過去10年間カダフィは西側とねんごろな関係にあったけれど、今回の戦争は、自分の国を奪い取ろうとするNATOの策動と戦う戦争だという面もあるのだ。さらに指摘すべきことは、歴史意識の欠落と、カダフィ政権の業績全容という複雑な事象とそれが持つ意味を無視し、ものごとを乱暴に単純化してしまうことだ。カダフィ=悪魔神話にもかかわらず、すぐに彼を非難・否定する立場に移行するのを躊躇する人々が少なからず存在するのは、歴史と業績があるからである。グレン・グリーンワルド(訳注:米国の人権派弁護士、コラムニスト。ウイキリークス事件でイラク戦争に関する情報を漏洩した罪に問われたブラッドリー・マニング上等兵を支援した)さえもが律儀に「まともな人間なら誰一人カダフィに同情しないだろう」と言葉を入れたが、私は、カダフィ支持に共感を寄せるまともな人たちがニカラグア、トリニダード、ドミニカ、あるいはモントリオールのモホーク族の中にいることを知っている。それも、彼が南アフリカの反アパルトヘイト闘争など多くの民族解放運動を支援してきた過去の業績からだけの共感ではない。カダフィ政権には多くの顔があるのだ。国内の反対派が見る顔、彼から支援を受けているアフリカ民族解放運動が見る顔、シルヴィオ・ベルルスコーニ、ニコラ・サルコジ、コノドリーザ・ライス、ヒラリー・クリントン、バラク・オバマ等が微笑みかけたことがある顔など、すべてが同時に本当である多くの顔がある。他の「進歩派」から不快に思われ疑問視されようとも、カダフィと「訣別」しない進歩派、彼から支援を受けたことを「謝罪」しない進歩派もいるのだ。これはこれで尊重すべきではないか。多様な立場を否定して子どもっぽい一言、「お前は独裁者を支持するのか」にまとめて、それに従わない者をいじめ、集団バッシングする風潮こそ「独裁的」ではないか。皮肉なことにいじめの親玉米国はこれまで多くの独裁者を支持し、我われはその費用を税金の形でたくさん支払ってきた。その事実に対し謝罪したことは一度もない。
カダフィ=悪魔という単純化への反論になるカダフィの業績をあげると、例えば、米国務省のリビアに関するウエブに挙げられている米国国会図書館国別研究のリビア研究を見ると、医療、公共住宅、教育分野でカダフィ政権が多くの社会福祉政策業績をあげていることが指摘されている。さらにアフリカ大陸でリビアが一番識字率が高く、国連開発計画の人間開発指数が「上位」の唯一のアフリカ大陸国である。BBCでさえ、その業績を認めている。
リビアの女性は、家の事情次第で、自由に働けるし、自由に服装を選べる。平均寿命は70歳台。一人当たり所得は ― 6500万人という小人口の石油大国としてはあまり大きくはないけれど ― 世界銀行によると1万2千ドル。非識字はほぼゼロで、カダフィ時代以前のリビアでトタン屋根の掘っ立て小屋で象徴されていたホームレス問題もなくなった。
だから、医療制度などの社会福祉が定着していたということは、独裁主義もそれなりに定着していたとも考えられる。その独裁者が公共住宅に資金を出し、人々の所得を補助したという事実をすべて消し去ってしまうべきなのだろうか。(冒頭へ)
カダフィの悪魔化を補完するものとして「反乱者」の天使化がある。私はその神話を逆転させて、カダフィに反対するものすべてを悪魔化するつもりはない。彼らには深刻で正当な不満があり、それが耐え難くなったからこそ反対の声を上げたのだと思っている。私が関心を持っているのは、北大西洋側の国がその不満を軍事介入しやすいようにまとめ上げたことである。主要メディアや米政府スポークスパーソンが何度も何度も繰り返したのは、反乱者を「民主主義、透明な政治、人権、法治主義と主張する非宗教派の専門職 ― 弁護士、学者、ビジネスマン 」(ニューヨーク・タイムズ)と描くことであった。米国中産階級に馴染みのある職業をリストアップすることで、新聞読者とリビアの反対派の間に一体感を作り出すためであった。一方、文明社会の読者と一体感が成立しない暗黒の力はカダフィ側にあるというお膳立てだ。カダフィ側の「職業」は、拷問者、テロリスト、アフリカン人傭兵なのだ。
かなり長い間、ベンガジの反対勢力国民評議会に従軍する記者たちは反カダフィ勢力を構成するのはどういう層なのか、一つの組織なのか、それとも多くの集団の寄せ集めなのか、目的は何なのか等々を掴むことができなかった。せいぜいこの反乱はリビア社会内部から起因する自然発生的なものという漠然とした性格を伝える程度だった ― 自然発生的内部起因説は部分的には正しいが、過度な単純化だと私には思える。実際、多くの雑多な報道記事の中には、反乱勢力とCIAの結びつきを記述したものや、米国の「民主主義」輸出機関である米国民主主義金(NED),共和党国際研究所、米国民主党国際研究所(UDI),そして2005年以降リビアで活動している米国国際開発庁(USAID)の関与を書いたものや、国外追放になった王党派やその他のグループの役割を詳細に書いたもの、「過激派イスラム主義者」、なかにはアルカイーダとつながりがある原理主義者が反乱軍に加わっていることを報道する記事もあった。
アメリカ人は「善人」の側についているという確実な感じを必要とする。特にイラク介入もアフガニスタン介入もそのような正義感を与えてくれないので、なおさらのことである。アメリカ人は世界から善いことをしていると見られたがっている。単に世界にとって必要な存在であるばかりでなく、非の打ちどころがない立派な国と見られたいのだ。イラクやアフガニスタンでの失敗を贖っていると見られたいのだ。アメリカにとって安全な世界が悪にとって安全でない世界だと見られたいのだ。楽隊、バトンガール、CNNのアンダーソン・クーパー、紙ふぶき ― やったぜ、ベービー!という世界だ。(冒頭へ)
リビアの現事態はリビア人民が自らの運命を切り開く闘いに勝利したことを表しているという言い方は、ひいき目に見ても、過度の単純化で、戦争開始と同時にその成り行きと目標の青写真を描いた利害関係者の存在を覆い隠し、NATOの強大な軍事力の援助にもかかわらず戦争がこんなにも長引いたのは,カダフィがかなりの国民の支持に依拠して抵抗できたからだという事実を無視するものだ。最初の街頭デモが起きて僅か一週間後の2月25日という早い段階で、サルコジ仏大統領はカダフィ政権を潰すことをすでに決定しており、2月28日にはキャメロン英首相がすでに飛行禁止区域提案を働きかけていた ― すべて対話と外交による問題解決を一切やらないで決めたのである。3月30日付けのニューヨーク・タイムズは、数週間前からCIA工作員がリビアで工作活動をしていたことを報道した。これが意味することは、2月半ば、つまり抗議デモが始める頃からCIA工作員が動いていたということである。やがて「数十人の英国特殊部隊員とMI6諜報員がリビアに入ってCIA工作員に合流した」と同紙は書いている。さらに同紙によれば、「同じように数週間前(つまり2月半ば)に」オバマ大統領が「リビア反乱勢力に武器やその他の援助を提供する権限を与えるべきという答申に承認する署名をした」とある。「その他の援助」とは、可能な限りさまざまな「隠密作戦」を実行することである。USAID(米国国際開発庁)はすでに3月初旬にチームをリビアに配備していた。3月末にオバマはカダフィを退陣させることが目的だと公式表明した。ある米政府高官が釈然としない言い方で、「米政府の希望は、リビア民衆蜂起がチュニジアやエジプトのように「組織的」に展開し、外国軍の介入を必要としないものになることであった」と言った ― まるで、事態が「組織的」に展開しておらず、チュニジアやエジプトに比べると民衆蜂起の正当性に欠けるという想いが背後にあるかのような発言であった。しかし、3月14日、反乱勢力の国民評議会幹部アブデル・ハフィズ・ゴガは「我われはリビア全土を掌握する力があるが、それは飛行禁止区域が設定された後に実現できる」と言った ― 飛行禁止区域がNATOによって設定されて半年たっても、全土掌握は実現していない。
最近では、反乱勢力指導部が反対を口にしていた「外国地上軍介入」は、実際にはNATOによってしっかり固められた現実となっていることが明らかになった。「リビアに入った英国、フランス、ヨルダン、カタールの特別地上軍部隊がトリポリやその他の都市で反乱軍を援助する作戦を強め、カダフィ政権破壊へ向けて攻撃をエスカレートしている」という報道がある。こういう報道や報告は反乱軍を助ける外国軍の様々な活動の表層部に触れているだけである。外国軍による全面的保護の中で行われた反乱であるにもかかわらず、国民大衆の圧倒的支持と参加によってなされた民族主義的・自足自立的反乱という神話がばら撒かれている。目下、戦争支持者たちは介入を「成功」と自画自賛している。しかし、そういう「成功例」、つまり地元地上軍を欧米の空爆が支え、そのうえ欧米軍の隠密軍事作戦も加わって、リビアよりも早く政権交替をさせるのに成功した例がある。アフガニスタンである。今、アフガニスタンがどうなっているか、よく見るがよい。(冒頭へ)
あたかも、2009年イラン大統領選挙を機に生じた反政府運動を受けて燃え上がった「左派」非難論調(例えばハミド・ダバシやスラヴォイ・ジジュクは欧米が支持し火をつけた反政府運動を賞賛した)を再現するかのように、このリビア内戦争も世界の左派勢力を非難の的にする絶好の機会になったようであった。しかもその非難を仕掛けたのは同じ左派陣営に位置すると見られた知識人たちであった。ミシガン大学のジュアン・コール教授、ロンドン大学のジルベール・アシュカル教授、世界システム論のイマニュエル・ウオラースタイン、ダブリン市立大学のヘレナ・シーハン(彼女は自分の意見を初めてのトリポリ訪問で飛行場に降り立ったときに決めたようである)たちは知的にも政治的にも荒廃した論述でカダフィとカダフィに味方する反帝勢力を批判した。
役割やアイデンティティをめぐって混乱があるようである。そもそも左派が一枚岩のような同質であるわけがなく、反帝の間にイデオロギー的一致があるわけでもない。(アナキストやマルキストだけでなく、保守主義者や自由主義者も反帝の中にいる)いずれにせよ、リビアに関して反帝国主義の立場からカダフィよりは欧米を批判する反帝勢力が具体的にこの戦争を妨害できる立場にいなかったし、軍事介入に反対する人々は国家の対外政策に影響を与える機会なんかなかった。だから反帝左派批判はリビアそのものとは直接関係はなく、リビアを利用しての左派退治だったのであろう。もっともよく使用された論理は、反帝左派が独裁者を容認し甘やかしているというもの。その根拠として、反帝左派の状況分析が誤っていることをあげた。例えば、ウォラースタインはチャベスが帝国主義勢力のリビア侵略を批判してカダフィ擁護しているのを、分析の誤りだとして、次のように書いた。「ウーゴ・チャベスの分析の誤りの第二点は、西側世界のリビアへの軍事介入はあり得ないのに、それをあると判断したことである。」実際、軍事介入に反対する反帝左派への対抗議論には、私がこれまで述べてきた神話が全面的に反映され、繰り返し利用されている。それらの議論こそ地政学的分析を誤り、カダフィという人間の人格性や目先の時事ばかりに焦点を置く政治学を展開する。単細胞的で、一方に偏した「人権」や「保護」(リチャード・フォークの議論がその典型だろう)だけを前提にした貧しい政治学を展開する。そういう中で、新軍事的ヒューマニズムが左派のエネルギーを吸い取るのに成功しているのだ。それでも一つの問題が執拗に残る。軍事介入に反対する反帝左派を「独裁主義」を庇っていると責めるのであれば(まるで、帝国主義自体がグローバル独裁主義ではないかのように)、民族浄化ともいえる黒人差別・虐待・虐殺に奔走する反乱軍を支持しているいわゆる人道主義者についてはどうすればよいのか。この点に関しては、人道主義者たちは沈黙するだけである。
反帝叩き、軍事介入反対の声叩きの目的は、長引いて人間の苦しみを拡大するだけの不必要な戦争に反対する声を押さえ込むことにある。それは、戦争賛美者、多国籍企業、ネオリベラリストの野望を前進させた。それは、かつては国際関係における軋轢を平和的解決することを目的に設立された多国間制度の正統性を破壊した。それは、国際法と人権を侵害した。それは、人種差別的暴力を奨励した。それは、帝国主義的国家の拡張正当化に力を与えた。それは、国内法に違反した。そしてそれは、ヒューマニタリアニズムを単純なスローガン、反動的衝動、戦争を第一の選択とする型に嵌った政策の集まりに悪化させてしまった。(冒頭へ)
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