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2012/3/14更新
NPO淡路プラッツ(大阪市)代表・田中俊英さんインタビュー
《就労支援》という言葉は、福祉現場や失業や不安定雇用の労働問題でたびたび登場する「マジックワード(魔法の言葉)」となっている。1438号で取り上げた東大阪市の「生活保護行政適正化」の取り組みでも、「効果的な自立支援対策」として「就労支援員を配置する」とのことだった。内閣府のパーソナルサポート事業でも、ひきこもりやニート支援事業でも「就労支援」がうたわれる。
だが、『安心ひきこもりライフ』の著者・勝山実さんは「就労支援は就労支援事業の支援に過ぎない」と、1428号のインタビューで語ってもいる。もともと就労支援という言葉は、障がい者雇用の枠組みで使用されてきた。しかし、今やその枠組みは外され、稼働年齢層(18〜65歳)の生保受給者や若年層の失業者、ひきこもり・ニート・フリーターと呼ばれる人に対するサポートに「就労支援」が使用される。とはいえ、明らかに雇用の数、とりわけ安定した正規雇用の職が減っている現状において、「就労支援」は一体何を行いえて、何が限界なのか。そして就労支援を受けた人たちのその後の就労状況はどのようになっているのか。
不登校・ひきこもり支援からスタートし、現在就労支援事業を行う大阪市内のNPOである「淡路プラッツ」代表の田中俊英さんにインタビューした。また、「働きづらさ・生きづらさに悩むガールズ」支援として、神奈川県・横浜市の男女共同参画センターの取り組みについて、1月23日に行われた「ガールズトーク@横浜“孤族”をこえて」という集会の報告と合わせて紹介したい。(編集部栗田)
――「淡路プラッツ」が就労支援を始めたきっかけを教えてください。
田中…2003年暮れ頃に、玄田有史さん(現東京大学教授)と大阪でお会いして、初めて「ニート」という言葉を聞きました。翌04年に、玄田さんが『ニート―フリー ターでもなく失業者でもなく』を出版し、ニートという言葉がどんどん広がってきた頃に、プラッツでも行政委託事業として、就労支援を開始しました。その頃は、ものすごく時代が回り始めていました。
――プラッツに通っていた人が、就労を希望されていたのでしょうか?
田中…プラッツに来る人たちは、「外出できるひきこもり」(※図のC)という状態で、就労に強い欲求はありませんでした。外には出られるけれど、自分自身が具体的に仕事 に就くというイメージを持ちにくかったのだと思います。外出できるひきこもり」状態の人は、ひきこもりのうちのほぼ9割ということが分かっていて、ひきこもり問題の中心としては、焦点化されてきていました。つまり、具体的に賃労働に就く、図の中のGおよびHの段階に到達するには、相談に来てから、数年はかかるんです。
ひきこもり/ニート |
※C生活体験支援/心理面談型ニートは、以下の3段階に分かれる。
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そこで、就労支援を必要とする状態の人は、このCから「スモールステップ」で徐々に進むプロセスが必要になります。この図は、いかに具体 的に就労にたどり着くか、というイメージを描くためのものです。
ですから、プラッツで就労支援について説明するときは、この図をよく使います。もちろん、本人向けですが、実は親に向けて、というのが一番大きいのです。自分の子どもがどの位置にいて、一歩ずつ就労に向けてステップを踏んでいる、ということがビジュアル化されて、親も安心するんです。
――ひきこもり支援をしていたプラッツが、就労支援事業に移行する際に、問題は起きなかったのでしょうか?
田中…斎藤環さんの『社会的ひきこもり』という本が98 年に出て、00年前後に上山和樹さんや、勝山実さんたち当事者が書いた本が出ました。ところが、ひきこもり問題は、そこから議論が行き詰まりました。ひきこもっている人たち自身が、哲学的な議論をし続けてしまったというか…。
もちろん、人生に対して哲学的な問いを持つのは、短期的には有効だと思います。しかし本当は、「普通の生活」に憧れているのに、「普通の生活」をおくる方に進むのではなく、より観念的な議論ばかりしているように見えました。この結果、当事者の生活が好転しませんでした。
――淡路プラッツの利用者が 観念的だったのですか?
田中…読書会などを開いていた当事者たちは、観念的な議論をしていましたが、プラッツに来ている人たちは観念論的ではなく、むしろ、先ほども話したように、「とにかくプラッツを居場所として生活したい」という人たちでした。
――就労支援を履歴書に書くことで、却って就職にマイナスに働くということはないでしょうか?
田中…空白があるよりは、就労支援を受けている方が、就労の意志があるということで、その姿勢を買うという企業もあります。
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――雇用数総体の増加が見込めない中で、就労支援を受けても、逆に賃労働に従事できない人が増加すると思いますが。
田中…今までは、図の3−4段階から6や7に移動させられれば、本人と支援者含めて「ウィン・ウィン(Win-Win)」状態、両者にとって都合の良い状態でした。しかし、就労支援の現場では、これからハッキリと出てくる問題だと思います。
――ひきこもりやニートと呼ばれる人たちの生き延びる方法として、障がい者年金を受ける、または障がい者雇用で職に就くやり方もありますね?
田中…それは大いにありです。面接者の力量が問われますが、本人や、特に親御さんに対しては、「発達障がい」という名前によって、障がいを受け入れやすくなる場合があります。
ただ、「発達障がい」という枠組みでの障がい年金はありません。自治体によって違うと思いますが、たいてい「精神障がい」の枠で取ることが多くなります。ひきこもりやニート支援をやっている立場としては、障がい年金等の福祉予算を削減されたら大問題です。
――就労支援の対象は、やはり男性が多いですか?
田中…男性は7〜8割です。
――理由は何でしょうか?
田中…どうしてでしょうね。就労支援は単純労働が多いですが、封筒の袋詰めなどで力仕事は少ないですし、理由はわかりません。実際、女性が少ないので、かなり丁寧に関わるようにはしています。
――「女性のニートは放置されている」という指摘もあります。
田中…女性も「家事手伝い」ということで免責されて、それなりに利益を得ている部分もあるのではないか、とも思います。ただ、《ひきこもりやニートは、男性が多い》という統計がありますが、私は、 男女同数くらいだろう、と思っています。
――最後に、企業や行政に訴えたいことはありますか?
田中…中間労働、いわゆる有償ボランティアのような最低賃金を割るような賃金でも、就労支援を受けている人たちはOKという場合があります。だから最初、企業に対して、「安くてもよいので、彼らに仕事を割り振ってもらえないか」という話をしたんです。企業も、若者を雇うこと自体に、ハッキリ「嫌」とは言わないのですが、受け身なんですね。
…
また、若年層の就労支援事業は、実施主体が政府ではなく、自治体なので、全国でばらつきがあります。首都圏や近畿圏などは比較的充実しているのですが、全国一律のサービスが必要です。
「行政と民間の仲立ち」としてNPOが存在していますが、現在は行政の下請けになり下がっています。NPOは財政基盤が弱いため、目先の1〜3年くらいしか考えられません。行政の方が先をいっているのでは?と思うことが多々あります。
2000年頃から、小泉政権下で労働市場がぼろぼろになりました。少子高齢社会の中で、今後さらに、労働をめぐる様々な仕組みが変わってくるのではないか、と思います。就労支援のアイデアが、今こそ求められています。
現在の就労支援は、最良のケースにおいて、当事者がハローワークや、パーソナルサポート等活用できる社会資源を利用し、人とのつながりをつくりだすお手伝いの事業だと言える。この取材を通じて、特に2000年以降、雇用環境の劣化が著しい中で、破壊されたのは仕事の安定のみならず、人とのつながりや心身の健康、生きていく自信や安心感だった、と改めて感じた。
したがって、就労支援の中で個人の自信を育て、スキルを身につけるだけでは限界がある。仕事を試みて挫折し、またひきこもってしまうケースを単純に個人の能力のなさと考えるわけにもいくまい。派遣法も「改正」され、労働現場がますます厳しくなる中で、仕事に従事することで傷つき壊れる人間は増加の一途だからだ。
支援の「対象者」ないし制度の「利用者」であるところからさらに一歩、遠い道 であっても人権という「権利の主体」であるという自覚が、まさに生き延びるために必要なのではないか。その自覚を促す作業は「就労支援」事業ではもはやなく、「社会変革」の活動そのものだ。
男が正社員で、女が主婦になる社会が決して「いいもの」と言えないように、単純に昔に帰ればいいわけではない。ともあれ就労支援事業が、単純な二者択一じゃないにせよ新しい社会を作る一歩なのか、雇用劣化を前提としたマッチポンプの事業にすぎないのかを常に注意する必要はある。(編集部栗田)