2015/12/23更新
Revolution(核と被ばくをなくす世界社会フォーラム2016実行委員会)
12月13日、国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)は「パリ協定」を採択して閉幕した。パリ協定では、途上国を含むすべての国が温室効果ガスの排出削減に取り組むという前進はあったものの、「この協定では地球を救えない。ほど遠い」との批判もある。環境NGOらは、非常事態宣言下、デモ禁止令をはねのけて、「難民歓迎デモ」、「非常事態宣言反対集会」を行った。対抗行動に参加したレヴォメンバーからの現地報告を、2回連載で掲載する。(編集部)
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国家は私たちの恐怖心を拡大させ、視野を狭めさせ、愛国心に絡めとる。ならば私たちは希望を信じ、視野を地球規模に広げ、世界中の民衆と行動するしかない。
11月30日から始まったパリのCOP21対抗行動に参加してきた。COP21は地球温暖化対策を決める国際会議で、今回は世界195カ国とEU代表団が集まる非常に大規模なものだった。そして、大国や大企業に「環境の破壊をやめよ」と圧力をかけるための大規模な民衆行動が、さまざまに企画されていた。だが、その直前にパリのテロ事件が起き、非常事態宣言が敷かれ、仏のシリア・イラク空爆が始まった。そこで対抗直接行動を中心に、前後編で時系列に報告したい。
私たちは「核と被ばくを無くす世界社会フォーラム2016日本」(以下「反核WSF」)としてパリの仲間と会議を行い、民衆行動への参加やブース出展をすることが目的だった。16年3月23日から27日まで、反原発に取り組む世界中の人々が東京での集会と福島への見学行動を行う。また、日本政府・企業が「福島事故は終わった、温暖化対策に原発が有効だ」と各国に秘密裏に売り込むことが予測されたため、それに反対することも考えていた。むしろそうした国々の人々にこそ、反核WSFに参加してもらいたかった。
そこに11月13日のテロ事件が起きた。環境大臣だけを参加させようとしていた日本政府は、安倍晋三自身が突如参加を決めた。その目的は、COP21やオランドとの首脳会談で対テロ戦争への協力・参加を確認し、非常事態宣言下の弾圧を日本の参考にすることであるのは明らかだ。
いっぽう、私たちの側は混乱した。現地パリの11月29日の開幕民衆デモは政府に中止に追い込まれ、他の街頭集会やデモも全く見通しが立たなくなったからだ。その後も銃撃事件や航空会社への爆破予告が続き、私たちは情報収集と判断に追われた。
だが安倍をはじめ権力者が自由に行動し、市民側が動けなくなることは、どう考えてもおかしい。まさに権力者によるテロと恐怖心の悪用だ。また、米英仏の中東支配や仏の空爆による犠牲こそテロを生み出しており、資本の開発こそ地球環境を破壊しており、今こそ声を上げねば、と参加を決めた。
非常事態宣言はすぐに猛威を振るう。北アフリカ・中東系移民や郊外の若者に対し100件以上の家宅捜索が乱発され、日没以降の家宅捜索が認められたため、夜中に突然ドアを破壊して乗り込んでくる。これまでも彼らは警察に何人も殺され、報道も裁判も行われておらず、仏社会への怒りと不信感をますます高めている。また、29日の広場デモを中止させ、労働組合の争議まで弾圧されたが、クリスマスマーケットやサッカーの試合は行われている。権力や資本を批判する行動をやめさせたいだけなのだ。
そこでパリの運動は、22日に「難民歓迎デモ」を早速やりきった。機動隊が行く手を塞ぎ、催涙弾を発射してきたが、若者たちは高速で歩いて振り切った。続く26日も「非常事態宣言反対集会」を行い、ATTACフランスなど多くの団体が発言した。国際NGOがデモ禁止令撤回を求め、仏のフェミニストがシリア空爆反対を訴え国際署名を開始した。
11月29日のCOP21開幕民衆行動は、パリのレピュブリック広場の集会・デモと、近辺でのヒューマンチェーンが行われた(広場には巨大な女神像があり、1月のシャルリー・エブド襲撃事件後に大規模デモが行われた場所)。広場には声を上げる人々が続々詰めかけ、集会や練り歩きを始めた。気候変動で生活環境を根こそぎ破壊される北米や太平洋の先住民、資本の横暴を止める反資本主義政党やアナキスト、労働組合が交差する。有志が食事も出している。
私もまずパリの日本人と韓国人の知人とともに、安倍と韓国の朴 槿恵大統領の来仏に抗議する横断幕を掲げた。安倍は、国会を開かずに資源外交、G20、C0P21と海外を渡り歩き、武器や原発の輸出と海外派兵を好き放題確約している。朴も、11月14日ソウルの教科書改悪反対の大規模デモ・ストを大弾圧し、農民を放水銃で重体にさせたままパリへ来た。彼らは暴政を東アジアの片隅に隠したまま自己演出しており、これに対しては訪問先の自国民が反対し問題を宣伝することこそ必要で、それが今後必要な国際連帯の具体化だろう。広場では多くの人が注目した。
そして13時に人間の鎖が終わり、広場に人が続々合流してくる。14時から、デモに出ようと呼び掛けていた人々が路上に出る。まず機動隊が阻止し、ガスを発射。一旦下がって立て直し、別の車道から出る。再び機動隊がガスを発射、今度は解散させる勢いで乱発し、広い広場中が煙に包まれる。私たちも被弾し、咳と涙に苦しんだ。威嚇目的の爆発音のするものも、次々撃ち込んでくる。まるで戦場だ。
それでも若者たちは女神像の足元に置かれた「追悼」の花瓶を投げ返し、スクラムを組んで前進する。突入を図る機動隊に対しこちらが前進して巧みに押し返し、彼らの前で歌や踊りのパフォーマンスをする。その慣れと身体感覚は素晴らしく、日本の運動が失ったものだと強く感じた。
そして、機動隊は今夏の国会前車道のように広場を包囲し始め、最後に残った350人近くを暴力的に逮捕、300人以上を勾留した。それでも先に抜けた人々は高速で路地裏を歩いてデモを行い、デモ禁止の包囲網は破られた。そして、すぐに救援体制が組まれたのだ。
COP21が30日に開幕し、首脳会談やNGOイベントが始まった。同時に、蘇っていく運動側の直接行動は続く。
12月3日には、9月の国連総会で決議された169の貧困・環境対策は不十分だとして、フランス最大の銀行「BNPパリバ」本社などから169個の椅子を奪い取り、責任者を名指しする行動が行われた。また4日は、COPに協賛するガスや車の大企業の展示会に乗り込み、表向き環境対策と言いながら実際はどれほど環境破壊しているかを会社ブースの前で大声で告発する行動があり、次々排除される姿をマスコミ報道させる鮮やかな行動をした。
そして12月5日・6日に、パリ東のモントルイユ市で対抗市民サミットが開かれ、3万人近くも参加した。ここは左翼が強い街で、市が駅前広場や歩道を丸ごと貸し出した。地方自治があれば国家政策も跳ね返せる。そこでは「169の椅子サミット」が開かれ、人々が椅子に座って「銀行が持っていた椅子が人民のものになった」と宣言、議論した。本当に独創的な行動だ。サミットは気候変動に苦しめられる世界中の人々が発言・出展し、世界の縮図の様相を呈した。
私たちも、福島原発事故と政府の隠ぺい工作を写真に出して出展した。次々人が訪れ、事故への関心の高さと情報の少なさを実感した。両日とも集会を行い、脱原発の現実性や福島の線量の高さについて質問が集中した。私たちは、そもそもより多くのエネルギーを必要とする近代経済と国家を根底から見直さねばらないことや、日本政府が住民に「放射能を受け入れよ」と仕向けており、これを国際連帯で打開したい、と答え、反核WSFへの参加を訴えた。日仏はともに原発大国、武器や核の共同製造を進め共同軍事作戦を狙っており、そこで福島事故の被害を共有するのも国際連帯の具体化だ。
こうして、私たちは環境、原発、戦争、弾圧と、今の世界の膨大なテーマに同時に向き合うことになった。後編では閉幕デモの爆発に至る流れを伝え、日本と世界の未来を考えたい。
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