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2015/10/20更新

沖縄レポート・辺野古だより

聞く耳持たぬ安倍政権強権で基地建設へ

沖縄戦と朝鮮人強制連行を記録する会/辺野古カヌー隊 金 治明(キム・チミョン)

10月13日、翁長沖縄県知事は県庁で記者会見し、仲井真前知事が承認した辺野古埋め立て承認を取り消した、と発表した。理由は、@政府の埋め立て申請では、辺野古埋立の必要性が認められない、A環境保全措置が適切ではない、というもの。沖縄の民意と、民主的な手続きを踏みにじってまで、米軍新基地を強行しようとする安倍政権に対し、知事の持つ最大限の権限をもって抵抗した形だ。しかし、政府は知事の取り消し無効の申し立てをする予定だけではなく、あくまで工事継続を明言している。

そうした国・沖縄県の全面的な闘争の最前線である辺野古現地の様子について、金治明さんにレポートしてもらった。次号にわたって掲載する。(編集部)

沖縄魂の飢餓感

安倍政権は、8月10日から9月7日までの1カ月間、全5回にわたる「沖縄県と辺野古移設に関する集中協議」を行いました。

菅官房長官は、集中協議で「普天間の危険性除去と沖縄の負担軽減」「普天間問題の原点は、1997年の『日米行動委員会=SACO合意』」と、従来通りの主張を繰り返しただけでした。

翁長知事は、沖縄戦以来の「銃剣とブルドーザー」による住民の追い出し、基地建設強行の実態を訴えました。1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約による沖縄の日本本土からの切り離し=27年間の米軍支配。1972年5月15日「本土復帰」による米軍基地の沖縄への集中(当時、沖縄には海兵隊はなく、山口・岐阜などから進駐してきた)。沖縄差別による過重な基地負担、27年間、米軍による軍事植民地支配による自治権、自己決定権のはく奪、など。知事は「県民の気持ちには魂の飢餓感がある」と主張しました。

翁長知事は最終協議の終盤、念を押すように菅氏に問いました。「工事は再開するんですか?」。「そうさせてもらいます」との返事に、知事は即座に、「全力で阻止させてもらいます」と返しました。決裂の瞬間でした。

辺野古埋め立て承認取り消し表明

9月7日、政府との協議が決裂すると、翁長県知事は直ちに「辺野古承認取り消し」の意向を表明しました。

当日、辺野古現地のカヌー隊は、翁長知事の記者会見10時半をもって、「埋め立て作業の法的根拠なし」を合言葉に一斉にフロートを乗り越えました。カヌー隊23艇が集団にまとまり、威風堂々と海保ボートの出撃基地である浮き桟橋を目指したのです。

私たちは、「辺野古の埋め立て根拠はない!海保は大浦湾から立ち去れ!県知事決定を尊重せよ!」と訴え、進撃しました。9隻の海保大型ボートは、初めはやや遠巻きにカヌー隊を見張っていましたが、徐々に距離を詰め、彼らが設定したレッドゾーンに達するや、「それ以上接近すれば、必要な措置を取る!」と何度も何度も警告を発してきました。しかし私たちは、「翁長知事が埋め立て承認を取り消したので、もはや臨時制限区域は消滅した。拘束する根拠も権限も海保にはないはずだ。本来の職務に戻ってほしい」と説得活動を続けました。

カヌー隊は2班に分かれ(全員確保されたら作業が強行される)、海保の「警告」を無視し、果敢に前進し、9艇が拘束されました。

私たちは、海保ボートの中でも説得活動を諦めずに続けました。転戦組は持ち場に帰り、フロートの再設置を阻止するために9時間半も頑張りました。私たちは、「集中協議」決裂後に安倍政権が強行しようとした作業を止めたのです。

15日・16日は、長島から大浦湾へのフロート設置・延長の阻止行動を展開しましたが、海保に拘束されている間に大部分のフロートが残念ながら張られてしまいました。ところが、天の助けかニライカナイの神様か、17日に南米チリの大地震の影響で沖縄地方に津波警報が発令され、作業は中断。

9月19〜23日は連休でしたが、私たちは休む暇もなく、連日海に出て監視活動を続けました(幸い、作業はなし)。24日〜29日、大型台風21号が沖縄宮古・八重山・与那国に接近し、なんと風速81・1bという記録的な台風になりました。もちろん、海は大荒れ。防衛局は、作業用の浮き桟橋、制限区域を囲むフロート、オイルフェンスなどを撤去しました。

翁長知事国連で演説

9月21〜22日、翁長知事はジュネーブでの国連人権理事会総会に出席しました。米軍基地の過重な集中が続く差別的な状況について、沖縄県知事としては異例の登壇・発言の機会を得ました。知事は沖縄県民の自己決定権がないがしろにされている現状を訴えました。

「私は日本国沖縄県の知事、翁長雄志です。沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている辺野古の状況を、世界から関心を持って見てください。沖縄県内の米軍基地は第2次世界大戦後、米軍に強制接収されてできた基地です。沖縄が自ら望んで土地を提供したものではありません。沖縄は日本国土の0・6%の面積しかありません。在日米軍専用施設の73・8%が存在しています。戦後70年間、いまだ米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が、県民生活に大きな影響を与え続けています。このように、沖縄の人々は自己決定権や人権がないがしろにされています。自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値を共有できるでしょうか。日本政府は、昨年、行われたすべての選挙で示された民意を一顧だにせず、美しい海を埋め立てて辺野古新基地建設作業を強行しようとしています。私は、あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です。今日はこのような説明の場がいただけたことを感謝しております。ありがとうございました」(翁長知事の発言)。

翁長知事の発言に対して、ジュネーブ日本大使館の嘉治美佐子大使は、「安倍政権は沖縄の基地負担軽減と振興策に全力をつくしている。軍事施設の問題を人権の保護促進の問題として取り扱うのはなじまない」と、反論演説をおこないました。これまで政府が繰り返してきた「基地問題を経済振興とリンクしない」という欺瞞が自己暴露されたのです。

翁長知事は、沖縄の米軍基地、辺野古新基地建設問題を「人権問題」として、初めて国際社会の場で提起したのです。

右翼による辺野古テント襲撃弾劾!

9月20日深夜、「日思会」を名乗る民族団体約20名が、キャンプ・シュワブゲート前に設営されているテントに刃物を持ってなだれ込み、テント、イス、横断幕、食器等をひっくり返し、乱暴狼藉のやり放題。警察公認の破壊行為を働きました。

右翼の襲撃に毅然と対応した仲間の顔面を殴り、1人は傷害、2名は器物破損の罪で名護警察署に逮捕されました。

右翼は街宣車5台、自家用車数台に分乗し、計画的にテントを破壊したのです。彼らは口々に「テントをつぶせ、基地がないと中国が攻めてくる」などと叫び、「不法占拠だ」と言いながら横断幕を剥がし、基地内に放り投げました。

そして、彼らは自らの暴力行為に酔い、ビデオを撮りネット中継していました。まさに警察権力を背景に「鉄砲玉」の役割を演じて私たちを挑発し、大弾圧の生贄にしようとしたのです。

彼らは、夕方からテント付近の駐車場で酒を飲み、宴会を開いていました。私たちは警戒し、名護署には右翼の大音量の街宣や暴力的言動や、夜間の安眠妨害行為を止めさせるように要請しました。しかし警察は、「一方だけを抑え込むわけにはいかない」と、要請を拒否。警察は暴力行為を放置したばかりか、むしろ私たちの抗議を抑え込むことに終始したのです。

私たちは陸でも海でも、「非暴力、抵抗、不服従、説得」の闘いの原則を堅持し、「辺野古新基地反対、反戦平和、環境破壊阻止」の海を守る闘いを、この10年来続けています。今回の右翼の襲撃にも、私たちの心の屋台骨は、一かけらも破壊などされていません。私たちの闘いの陣形は、ますます強くなったのです。

沖縄県内外から「辺野古基金」に約4億3千万円が集まっています。「辺野古基金」でカヌー20艇が追加され、計50艇になりました。皆さん、カヌー隊に参加してください。そして、辺野古、大浦の海を守りましょう。想像してください!辺野古、大浦の海を50艇のカヌーで埋め尽くす光景を。もはや、あの海保でさえ私たちに手出しできなくなるはずです。また、陸では「島ぐるみ会議」の支部が30を超え、全島に拡大しています。そして、毎日ゲート前に駆せ参じています。(次号に続く)

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