2015/10/1更新
サロン・ド・カフェ・アマント(天人)オーナーJUNさん
場づくり連載2回目は、「サロン・ド・アマント(天人)」だ。築130年の長屋は、パフォーマー・JUN(ジュン)さんが行った「空家再生パフォーマンス」によってコミュニティカフェとして再生された。開店14年目を迎え、アーティスト約30名の日替わりマスターで共同運営されている。難民支援活動やネパール被災地支援活動に携わるなど活躍が目覚ましい。アマントのオーナーでもあるJUNさんにインタビューした。(編集部ラボルテ)
──「パフォーマンスがキッカケ」と伺いましたが。
JUN…僕はダンスパフォーマンスをしていて、アイデンティティや平和・環境のことを問いながらやってきた。若い頃はエンターテイメントの世界でイベント会社の経営をしていて、戦争や環境破壊の片棒を担いでる大きい会社から仕事もらって生きることに矛盾を感じてたんよね。
その時に「生活の中から作品を作ろう。自分の体験をもとに表現しよう」というふうに考えた。で、自分がやってた会社を仲間に譲った。事務所も営業もなくなって仕事がゼロの状態。そこから、自分のルーツやアイデンティティを探すのも兼ねて中崎町にきた。ダンスや役者のアーティストとしてやるには自分のルーツやアイデンティティ知らなあかんなって。
僕は街育ちでね。大阪の堀江・アメリカ村のすぐ隣に生まれて、日本のコミュニティやトラディッショナル(伝統)なんて何も知らなかったから。
──中崎町にした理由は? 都会のようにも思えますが。
JUN…田舎にはコミュニティがあるところがいっぱいあるけど、アーティストとしてはお客さんが来るようにしないといけない。気軽に来れて、トラディッショナルが残ってるところ。両方のいいところを探したの。
僕がここに来た頃の中崎町は、有名じゃなかった。商業施設も何もない。でも、僕の意味では町はあったわけ。回覧板や町内会があり、身内じゃなくても、近所の人が亡くなったら住民みんなでお葬式する。そんな江戸時代みたいな暮らしが残っていた。
「空き屋再生パフォーマンス」をひとりでやり初めて、2カ月半で千人以上がクチコミだけでやってきた。僕はあまりにも何にもできなさ過ぎてね。図面も電気も引けないし。「おまえ、どうすんだ」って近所のおじいちゃんから言われた。おじいちゃんたちの若い頃はサラリーマンじゃないねんな。魚屋・配管屋・電気屋さんとか、みんなスペシャリスト。そのみんなに相談しながらやっていった。
作品の結果が決まってなくて、集まってきた人で結果を生み出す。現代美術では「サスティナブルアート」(※@)っていうんだけど。現代美術家がネット上で発表して、大学の先生たちがきた。学会や授業で紹介して、学生が来るようになったり。
ここは廃材を出さないで作ったのね。もともと、住んでいたおじいちゃんが丁寧に使ってたけど、壊さないとお店にはならない。
「ごめんなさい」と思いながら壊していった。アートにできんかな?と思って。廃材を廃材ギャラリーとして、毎晩ライトアップしていった。
そしたら地域の人から「わけわからん子やなあ」って話しかけられてさ。「空き屋再生パフォーマンスしながら喫茶店にするんです」と話して交流した。そしたら、地域の人は「椅子とかコップがいるやろ」と余り物をくれた。
それが建築家の人たちの耳に入って、建築業界はリノベーション・コンバーション(※A)でゴミを減らすのに苦労している。ところが、アマント方式なら地域のゴミが減ると。これがまた学会や授業で紹介されて、住宅専門誌に広まり、他の建築家が来たり。
結果的に、僕は「まちおこし」したということになった。でも、何をもって「まちおこし」と呼ぶのか。例えば、商業店舗が増えれば、道端にゴミやたばこの吸い殻が落ちたりする。住民からしたら「街が悪くなっている」っていうふうになる。
いろんな切り口があるわけ。僕らの伝統・ルーツの延長線上にある新しい文化を提案していく。それが僕のできるアートかなと。
──企画の一つにある難民カフェが気になるのですが、どういったことをされているのですか。
JUN…うちには旅人がよく来る。「三日間ベンチで寝ていて、お腹がすいて…」という人が来たりとか。「皿洗いしてくれたら、ご飯食べさせてあげるしゲストハウス泊めてあげるよ」というふうにしているの。噂になって広まって次々尋ねてくる。
で、たまたま来た人が難民やったんよ。ホームレス状態でね。難民だから受け入れたのじゃなくて、その人の事情を聞いたら「自分は難民申請中で、仮放免されてるけど困ってるんや」っていう。
その人から聞いて初めて知ってん。日本が難民施策について世界でワーストワンだということ。強制送還の問題や強制収容所にあたるものが日本にあること。
それで彼を受け入れて暮らしてたら、いろんな専門家が来た。ここを作る時と同じ感じ。
──パフォーマンスが社会実験であり、つながりの媒体になった。
JUN…人の役立つことを喜ぶ気持ち。阪神淡路大震災や東日本大震災でもそうだけど、そういうのが潜在的に僕らには眠ってる。表面的な意識では、資本主義社会の中で暮らしてるけど。パッとあけたら縄文時代のままなんよね。うちにはヒンズーやムスリム、クリスチャンもいるし、仏教徒や神道の人もいる。みんなアートというところでつながってる。
──アートが回路になってつながっていくわけですね。
JUN…僕のコンセプトはアート(eart=天然芸術)。地球とアートっていう意味。いま、赤ちゃんが店長やねん。子育てしながらやれるカフェがいいなと。
ほかに、ろう者の人や難民の人がカフェをやったり。そういう生活をアートにする。そこで、いかに美しく生きるか。どんな主義主張・思想も政党も人種も関係ない。どの人にもつながれる。
一般の「アート」というと、破壊になる。アートはもともとヨーロッパの文化。産業革命前に王様や貴族が銅像作らせて贅沢してたわけよ。ところが、産業革命が起きて大衆がスポンサーになった。王様ひとりの高級な服を作るだけじゃいけない。みんなが消費してお金を出して商売になる時代になった。例えば、服の「春夏コレクション」なんか、毎回買っては棄ててを繰り替えさなあかん。こういう形で環境問題が起きた。
注 @サスティナブルアート…「持続可能」な芸術。空き家などに新しい価値を再発見し、人間・環境配慮を意図した変化をもたらす。 Aリノベーション・コンバーション…建築物の性能向上・建築物の使用用途変更の意味。雨漏りする古い家屋を改修工事し、カフェにするといった具合に用いられる。 |
特にヨーロッパは資源がないから、侵略して資源を確保していった。東インド会社とか。コロンブスもアメリカ大陸を探しに行ったんじゃなくて、資源を求めてお金をもらって行った。そうして世界を侵略していく。一方で僕は思うんやけど、環太平洋の地域はまた別の文化やと思うねん。
フィリピン・ルソン島北部にあるカリンガ族には、現金も感謝の言葉もない。現金を渡す代わり・感謝の言葉の代わりに、常に相手のことを考えて、相手のためになることをする。
僕のパフォーマンスは、そういう破壊のアートじゃなくて、地球と人を尊重するアート(eart=天然芸術)を目指してる。
──人民新聞も「どうすれば抑圧ではなく、誰かを尊重できる社会にできるか」と追求しているのですが。
JUN…今の時代に代わる文明を作らなきゃいけない。それはまさしく僕らアーティストの役割じゃないかなって思って。
僕の理想は、AとBという国が戦争しようとする時に、真ん中で踊って「もうやめとけ」って止めさせること。身体の動きからくる思想とかコミュニティからね。これって、ものすごくオルタナティブなやり方ちゃうかなって思う。
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なお、本記事にある「難民カフェ」は、難民支援団体RAFIQ(ラフィック〔在日難民との共生ネットワーク〕、高槻市)と共催で行われている。毎月第3火曜日に開催され、当事者から話を聞くこともできる。
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