2015/8/26更新
白浜香奈子さん(フィリピン「慰安婦」問題研究/仮名)インタビュー
戦後70年を迎え、国会では安保法案の強行採決が進められている。フィリピンをフィールドに「慰安婦」問題を研究し、岩国基地問題などにも取り組む白浜香奈子さんに、@保守層からの「慰安婦」問題罵倒からみる女性の人権問題、A自衛隊のフィリピンへの駐留、B国民基金のフィリピンでの「成功」について伺った。(編集部ラボルテ)
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──戦後70年を迎えて、「慰安婦」被害女性への罵倒が右派政治家や著名人から続いていますが。
白浜…「慰安婦」被害を名乗り出た女性たちに対してあれは売春婦だ≠ニいったような罵倒が、現在まで続いています。被害を受けた人の前歴が売春女性の場合も、そうでない場合もあります。
そうでない場合というのは、仕事があると騙されて連れて行かれた先が「慰安所」だったというケースもたくさんありますし、日本軍が占領していた地域ではまさに暴力的に連れ去られ監禁されて、輪かんを受ける、という被害が非常に多かったのです。
「慰安婦」問題の否定者たちは後者を否定し、前者のみを念頭に置いて発言しています。確かに、もともと公娼だった女性がたくさんいたことは事実です。日本には昔、公娼制度という恥ずべき制度がありました。
日本が戦争に突き進むなかで、人々の生活は困窮し、女性たちは「親兄弟」のために「苦界に身を沈めた」─「売春婦」の実態は人身売買の被害者です。
日本政府は、公娼制度で売買春を管理統制し、女性の人権を蔑ろにするようなことがまかり通っていました。にもかかわらず、彼らは政府の責任性を否定しています。
橋下徹氏は「あれだけ銃弾が雨・嵐のごとく飛び交う中で、命を懸けて走っていく時に、猛者集団、精神的に高ぶっている集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度というものが必要なのは誰だって分かる」(13年5月)と発言しました。
橋下氏の発言は、日本社会では今もなお、女性の人権を蔑ろにすることが受け入れられ、内面化されてしまっていることを象徴しています。
犠牲となる女性をあてがうことは「よくあること」「しょうがない」という価値観が蔓延しているために、被害を受けた人に対する謝罪や労わりの気持ちが起こらず、「戦争はよくない」「人権侵害はよくない」という意識にならないのです。
──「慰安婦」問題を通して、この社会に何を働きかけたいですか。
白浜…「慰安婦」問題は、過去の問題ではなく、「どう解決したいか」という私たち自身の問題です。91年に提起されてから20年以上経って、まだ解決していません。
「慰安婦」問題への対応を通して、「私たちは人権が尊重されない非民主的な社会に生きていきたいのか」ということが問われていると思います。そういう社会は、ほかならぬ私たち自身にとっても生きづらい社会だと思います。
──現在の政治状況と白浜さんの研究・取り組みから考えていることは?
白浜…自衛隊のフィリピンへの駐留問題です。実現すれば、第二次世界大戦中に侵略を受けた国へ自衛隊が駐留するのは今回が初めてとなるでしょう。
自衛隊のフィリピンでの活動はこの数年でどんどん拡大しており、13年の巨大台風被害では「自衛隊の戦後最大の派遣」が行われ、卓上演習も行われています。フィリピンと日本の戦艦による合同軍事演習も実施されています。アキノ大統領は今年6月に、「自衛隊によるフィリピン国内の基地使用について歓迎する」と語りました。このような状況の中、いま国会では安保法案の強行立法が進められているのです。
フィリピン−アメリカ間には、VFA(訪問米軍地位協定/※注@)がありますが、フィリピン−日本間でもVFAを締結するという話が出ています。ジブチにはソマリア近海の海賊対策を名目に自衛隊基地がありますが、治外法権を有しています。
フィリピン−アメリカ間ではVFAを強化するものとしてEDCA(防衛協力強化協定/※注A)が、議会を通さない行政文書という形で結ばれました。条約となると国会の承認が必要になりますから、フィリピン−日本間のVFAも同じ手法をとることが追求されています。これもある種の解釈改憲です。
橋下氏は13年に沖縄の米軍司令官に対して「風俗業を活用してもらいたい」と言いました。自衛隊がフィリピンに駐留することになれば、彼らも米軍と同様、現地の売春女性を「活用」することになるのではないでしょうか。女性の「自主」に乗っかって、恥ずかしげも無く買春することになるのではと危惧しています。
──フィリピン慰安婦問題に関心を持った経緯は?
白浜…学部生時代に、女性学のゲストスピーカーに呼ばれた滞日フィリピン人の女性から講義を受けました。講義では、高岩仁監督の『教えられなかった戦争 第二の侵略』が上映されました。
フィリピン国軍がフィリピンの人々を戦車で追い出し、大企業のために差し出すという映像を見て、自分の目で真偽を知りたいと思い、フィリピンへ行ったのがきっかけです。
フィリピンを訪れて大きかったことは、フィリピンの元慰安婦であるロラ(タガログ語でおばあちゃん)たちとの出会いです。
──なぜ、研究活動として取り組まれているのですか。
白浜…国民基金(アジア女性基金)は「フィリピンでは成功した」と言われています。フィリピンの女性たち211人が、国民基金の償い金を受け取りました。私は、フィリピン政府の過去20年間の「慰安婦」問題への対応を調査しました。
韓国や台湾では支援団体の運動の成果で、政府は元「慰安婦」女性に毎月の給付金による一定の生活保障を行い、国民基金を受け取らないと表明した女性への一時金の支給を行いました。
一方のフィリピンはどうかと言うと、日本政府の「慰安婦」問題への対応に、歩調を合わせ続けてきました。元「慰安婦」女性への経済的支援も一切ありません。
元「慰安婦」女性たちは生活が困窮し、病気で医療支援を必要とする方が多くいました。フィリピン社会は貧困が恒常化していて、絶対的貧困は4割を超えています。その中で、償い金200万円がどう作用するのか自明ではないでしょうか。
──受け取った人々はどのような心境や生活背景を抱えて受け取ったのですか。
白浜…これが日本の誠意だと、喜んで受け取った人もいます。国民基金のホームページでは3人の受け取った人のコメントが引用されています。そのうちの1人であるロサ・ヘンソンさんは、フィリピンで初めて名乗り出て、世界で初めて国民基金の償い金を受け取った人です。
白浜…ロサ・ヘンソンさんが被害を名乗り出た理由には、日本のカンボジアPK0(92年)が関わっています。
彼女は、自衛隊が再び海外に出ることに強く反対していました。沖縄少女暴行事件(95年)について、「あの沖縄の少女は私だ」と言ったとのことです。ヘンソンさんは自身のつらい経験から、軍隊の性暴力に対して非常に敏感な人でした。
ヘンソンさんは「国民基金を受け取ってよかった」と話しています。しかし彼女の当時の生活は、家が火事で焼け、持病で多額の医療費も必要だったようです。生活は確実に困窮していました。ヘンソンさんは、国民基金を受け取ったちょうど1年後の96年に亡くなっています。
──最後に。
白浜…「慰安婦」被害を受けた女性たちは、今もなお罵倒を受け、裁判に訴えても負け、国民基金という政治的妥協で「解決」を押し付けられています。
私は日本政府に対して公式謝罪や賠償、再発防止を求めていきますが、これらに留まらない「正義」を求めます。私の生きるこの日本社会が民主化され、全ての人の人権が尊重されるような抜本的な改革を求め続けていきます。
注
※@ VFA(訪問米軍地位協定)…フィリピン国内で軍事演習などを行う際の米軍人の法的地位を規定したもの。同地位協定を根拠としてフィリピン軍・米軍の合同演習を行っている。98年締結。
※A EDCA(防衛協力強化協定)…米軍がフィリピン軍基地を使用すること、航空機や艦船を配備することを定めている。「海洋安全保障」や「人道支援」を掲げている。14年締結。
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