2015/7/30更新
映画大学学生 鵜戸口 利明
超国家主義政権の押しよせる波とともに各地で反対のムーブメントが広がっている。ぼくは最近、国会正門前における安保関連法制の抗議運動に参加している。主催者発表によると、7月10日には15000人以上、強行採決された15日にはのべ10万人集まった。
驚いたのは、実に幅広い年齢層が参加していたことだ。若い女性から親子連れまで散見され、小学校低学年ぐらいの男の子が厚紙にマジックで「あべそうりはやめて」と書かれたプラカードを掲げていたのが印象的だった。
ぼくのような若者があれだけ参加したのは、主催団体「SEALDs」が大学生であるからだろう。演説する中心メンバーは一見洒脱にして近寄り難さがなく、「民主主義ってなんだ?」という本質的でわかりやすい問いに共感できた。
だが、驚いたことは他にもある。15日、ぼくは二日酔いで遅刻して行った。抗議行動に向かう群れに連なって歩いたが、前に進めない。厳重な警備が敷かれており、足止めを食らわされたのである。警官は、「ここで抗議行動が始まりますので」と平然とウソをついた。正門からほど遠く、シールズのメンバーが1人いないところで。誘導に従えば正門までたどり着けないから、封鎖された道を強行突破するよりほかはなかった。
足止めを食っているとき、ある男性が大声で訴えていたのは忘れられない。「騙されるなよ!正門前にはまだ行けるぞ!!」警察は彼の手を掴み、口を押えようとしていた。また、ある女性が警官にブツけた怒りの言葉にも頷けた。「だれの味方してるの! 税金は私たちが払ってるのよ!!」
正門近くのことである。一部車道を解放していたはずの警察が、とつぜん封鎖しようとしたから、「突然どうしてですか?」と訊くと、「車道なんで」と見当違いの返答だった。まったく驚かされたのは、シールズ主要メンバーの1人が、「警察にありがとうと言いましょう。指示には従ってください」と言ったことだった。無視して車道にいたぼくも、知らないオッサンたちによって、無理やり引きずりだされた。
道を過剰に封鎖せず、信号を渡れるようにしたら人通りはよくなるはずだ。無言で役目を務める警察をみれば、抗議行動を支持していないのは明らかだった。
なのになぜ、シールズは警察の味方をするのか?正門に行けず帰る羽目になった人は大勢いるし、15日には逮捕者が2名出ているというのに、なぜ「警察ともめないでください」などと言って警察の不正に眼をふせるのか? 多少警察と小競り合いがあるほうが自然ではないか。
シールズのホームページには、「自由と民主主義」を守るという彼らの、立憲主義・生活保障・安全保障の3分野に軽く言及されたマニフェストがある。その中の、安全保障の項目に関して批判がでている。
なかでも、京大研修員・鄭氏の指摘は、概して、シールズの文面に現れた「ナショナリズム」の懸念であった。氏の履き違えであるという指摘もあるが、許しがたいのは、シールズと仲のいい「しばき隊」の野間易通らが、人格攻撃じみた誹謗をいまだ執拗に浴びせていることである。ほかにシールズを批判した日本近代思想史研究者・大田英昭に対しては誹謗はなく、鄭氏ほか、フェイスブックに書き込んだ在日朝鮮人だけが攻撃を受けていることに関し、「民族差別の意識を読み取らざるを得」ないと翻訳家・米津篤八が指摘していることは注目に値する。
安保法制が強行採決された今、シールズは「参加者30万人を目指す」という「人数」を金看板に依拠するだけではダメだ。鄭氏の指摘も人権侵害も無視するほか、抗議行動に「一般的に極左といわれてる方はすんませんけど」という言葉に表徴されるように、仮面を被った「セクト主義」的なものを感じざるをえない。マニフェストでも書かれているように、「広範なリベラルな勢力を結集」する時なのだから、リベラルな研究者である鄭氏の指摘を無視してはならない。
シールズは、大田英昭にマニフェストの文面の検討を求められている。沖縄問題について、日本の侵略責任問題について、広く忌憚のない議論をすることは喫緊の課題だろう。
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