2015/7/10更新
編集部 脇浜 義明
私は翁長さんの熱烈なファンでもないし、たぶんイデオロギー的には対立するかもしれないが、彼のぶれることのない辺野古基地建設反対姿勢や、彼の言葉から感じ取れる地域主権思想から、近頃稀な立派な政治家だと、尊敬し、微力ながら支援したいと思っている。
彼が知事になってから2度沖縄訪問しているが、何かが着実に変わりつつあるという印象を感じ取れる。例えば、6月23日の沖縄戦から70年の節目に当たる慰霊の日、私は魂魄の塔で開催された6・23国際反戦沖縄集会で仲間と合流する前に、平和祈念公園で開かれた「沖縄全戦没者追悼式」に行った。いつものように会場へ向かう遺族団の長い行進があったが、いつもと違って誰一人「日の丸」を持っていなかった。これは一つの大変化であろう。
次に、式典で檀上に上がった遺族会の会長が、「戦争につながる新基地建設に反対」をはっきり述べた。県議会の議長は式辞の中で、地域のことは地域で決めると、首相が参列する横で堂々と述べた。安倍の「地域創生」政策への痛烈な一撃であった。
安倍が檀上に上がったときは「安倍帰れ」コールがあったが、日本のテレビ報道、とりわけNHKのそれではその部分がカットされていた。BBCはきちんと放送していた。
ついでに言うと、外国人や外国メディアは、安倍の好戦的政策に関連して辺野古に関心を持っているようで、今回の沖縄訪問では、香港の新聞社や韓国の知識人や米国の元海兵隊員と話し合う機会があった。みんな日本人以上に歴史的に物事を見ている印象を受けた。
辺野古のゲート前でも様子が変わっていた。ゲート前抗議団は、1日に2時間ゲート入口にシット・インを行うが、当局は強制排除を行わず、その間車両をストップ、シット・インが終わるまで待って、終わってから車両の通行をやらせていた。ただし海上保安庁は別で、彼らは海上でカヌーを転覆させるだけではなく、ゲート前でも抗議者を排除する行動を行っていた。
沖縄滞在中に百田発言があった。無知とウソと悪意に塗り固められた発言に対する沖縄人の反応には、もちろん激怒と悲しみが底にあるのだが、笑い飛ばす余裕を感じられた。
「百田大先生を褒め殺しにしょう。電話やネットで、どんどん好き放題言うように、励ましてやろう。馬鹿げたことを言えば言うほど、安倍にマイナスになるのだから。非難するより褒めようぜ」という大衆的反応。あるおばちゃんは、「百田というのは、ゼロの何とかという感涙誘う小説を書いたセンセでしょう。安倍も『美しい日本』なんて言葉遣ってるね。関西のヤシキ・タカジンという右翼芸能人も『純愛物語』みたいなもん書いたのでしょう(注・正確には、百田がたかじんをネタに『殉愛』という本を書いた)。何か、気味悪くない?」と、見事な文化論を語った。
偽善を見破ることができず、感涙してファンになっている日本のミーハーとは、著しい違いだ。百田を講師に招いた自民党の若手議員に沖縄タイムスの若手記者が電話取材、「こちらの新聞を読んだうえで潰したいと思ったのか」と尋ねると、「読んでないけど、ひどいと思う」と答えた。落語の小話にもならない。
翁長さんが知事になってから、少しずつではあるが、民衆が政治に関心を持ち、参加し始めたように思える。何をやってもどうせ同じだと、ずっと裏切られてきた民衆が抱くシニシズムに変わって、物事を変える可能性があるぞと思い始めたような気がする。スペインのポデモス運動は「我々は〜できる」という意味だが、沖縄人はそのポデモス感を持ち始めたのではないか、というのが私の印象である。
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